New ・ サワラちゃんの
加計呂麻島日記
& 貝殻採取
023
加計呂麻島 ・ 於斎
台風19号も去り、後幾つこの後来るのか?? まだまだ気が抜けません!
近くの海岸の県道・614号線の一番細まった道路が、高潮で決壊しました。現在10t車以上は通行禁止 毎回決壊する常襲地帯
高潮で海底ケーブルが切断。 復旧が10/24 。今回は長かった!
それでも季節に関係なくハイビスカスが咲く。
特別攻撃隊
最近NHKのHPに昭和19年( 1944-10-25 )から始まった日本海軍がフィリッピンのレイテ方面で始めた、海軍艦載機(零戦など)による米軍艦船への特攻攻撃・神風特攻隊のアーカイブ記事を載せました。70年前の悲しい記録であった。
特攻攻撃で空母エセックスに突入寸前の「艦爆・彗星」
戦艦ミズリーに突入する零戦
爺の住まう加計呂麻島は旧日本海軍の特攻基地でもあった。奄美大島と加計呂麻島の間の大島海峡には、久慈・呑之浦・三浦の三箇所に、隠匿名称・丸四金物と呼称された「震洋」という、モーターボートを改造した、水上特攻機部隊が存在した。
呑之浦基地跡の海岸付近
「震洋」
船体にトヨタのガソリンエンジンを1乃至2台取り付け、250kgの炸薬を搭載して敵艦に体当たりする。機種は2種類あって1型艇、2型艇。最大速度は16ノット、27ノット。大部分が1型艇である。2型艇は指揮官用であったようである。16ノットでは駆逐艦の半分の速度。現在走っている海上タクシーでも20ノット位は出る。これでは敵艦の機関砲で狙い撃ちであろう。今から思えば土台無理の滅茶苦茶な発想の代物である。
爺の住まう集落の近所の集落に「三浦」はある。静かな落ち着いた佇まいの集落である。今から70年前にここから4名の特攻者が出撃した。付近の山肌には幾つもの格納庫の廃墟が残っている。
加計呂麻 ・ 三浦
暫く歩くと、その地点から大島海峡の太平洋への出入り口(安脚場)がはっきり見える。敵艦の姿を目視してからでも遅くない距離。安脚場と三浦のほぼ中間点に「呑之浦」基地がある。海峡の横合いから突っ込む事が出来る。東シナ海から入って来ると「久慈」基地があり、ここでも海峡の横合いから攻撃出来た。
今も残る「震洋」格納庫跡の廃墟 ・ 三浦
実際に特攻攻撃は有った。久慈基地からは13名、三浦基地からは4名が出撃した。記録によれば奄美大島の喜界島・小野津からは5名出撃した。呑之浦基地は1945-8-13に出撃命令が出たが、待機状態になりそのまま終戦となった。 呑之浦基地の隊長は戦後作家となった島尾敏雄氏であった。
70年過ぎた現在、尖閣諸島のイザコザの影響で、奄美大島には300名、加計呂麻島には200名の自衛隊の配備が決まったようである。戦前を知っている古老の胸中はいかばかりであろうか。
喫茶店でちょっと一服
ノベール平和賞
Mis マララ
爺は最近ノーベル平和賞の受賞者は政治的色彩が濃いとしてあまり歓迎しなかったが、今回の彼女は最適人であった。もう17歳の娘の顔ではなく成熟した聡明で理知的な顔立ち。そして受賞金は全て寄付すると言う。普通人にはとても出来ない芸当である。いずれは爺の敬愛するマザー・テレサに近づいて行くのであろう。
日本には、イスラム軍団に戦闘参加したいとして、渡航志願をする某国立大生も存在する。その他の国にも可也の数が居るそうだ。<何考えてるんだ!>と思うのは爺だけではないであろう。平和ボケそのものである。
「歴史の真実」とは?
先般来から「歴史の真実」について、連載のような形で書いてきた。歴史の真実はなかなか我々の前に素直に現れてくれない。 教育関係の教科書にも錯誤が多い。不注意ではなく作為的な部分もあるからである。これは日本だけではない。中国、韓国などはその代表格。その他の国も大同小異であろう。
回天特別攻撃隊
* 回天については次回の「喫茶店でちょっと一服」で細述します。
今回は南太平洋で原爆をアメリカからテニアン基地まで運んだ、重巡洋艦・ インディアナポリスを、日本の潜水艦・伊-58号が撃沈した事件を書いて見たいと思う。
インディアナポリスと伊-58艦長
<問題が複雑なので、当時の状況を簡単に書いて見よう>
インディアナポリス・・ 排水量-9.800t 最大速度 32ノット 1932年就役、1945-3-31に日本海軍の特攻隊の特攻攻撃を受け戦闘不能となり、アメリカ本国に帰国。その後修理に入った。
伊-58潜水艦
伊-58潜水艦・・ 基準排水量・水上2140t 水中3688t 最大速度17.7ノット 人間魚雷「回天」を6基積載。戦艦大和水上特攻に参加するため航行していたが、途中で悪天候で取りやめた。以後マリアナ海域で策敵後帰港した、これがこの艦の運命を決めた。
以上が登場する艦船の戦闘能力である。いずれも大型艦でありチャチな規模の艦艇ではない。問題のインディアナポリスは運命の皮肉であろうか、伊-58と同じ日にアメリカの基地から出撃していた。ここからこの米艦の悲劇が始まった。インデイアナポリスはゴールデン・ゲート・ブリッジの真下を通過し、伊-58は呉軍港を出発した。
ゴールデン ゲート ブリッジ 呉軍港
第6艦隊司令部から伊-58号が受けた命令
「パラオと沖縄を結ぶ線、グアムとレイテを結ぶ線の交叉点付近を中心として作戦行動をせよ」であった。
伊-58艦長が第六艦隊司令部から受け命令の策的範囲
作戦命令地域
インディアナポリスは米国から原爆を2個(広島・ウラン型 長崎・プルトニューム型)を積載して、順調に航海し、サイパン島の隣のB-29の攻撃基地・テニアンに届けることが出来た。そしてテニアンからグアムへ、グアムからフィリッピン・レイテに向かった時、上記の地点で伊-58に攻撃され撃沈された。
撃沈位置 北緯 12.02度 東経 134.48度
日本海軍潜水艦・伊-58が命令された策的範囲の極近くの、言わば中部太平洋の、周囲に島が存在しない、所謂ど真ん中である。撃沈現場は策敵中心の凡そ100~150km程の円の範囲内であろうか。
<伊-58号から発信された通信>
「7月28日回天二基発進、油槽船及び駆逐艦轟沈。 アイダホ型戦艦に対して魚雷6本発射、3本命中、撃沈確実」
実際は駆逐艦は小破、油送艦は撃沈であったようである(米国発表)。しかし、アイダホ型戦艦は重巡洋艦・インディアナポリスであった。実際の撃沈時間は7月27日午後23時以降のようである。伊-58が水中で3発の命中音を聴き、深度潜行後再度攻撃のため浮上した時は、敵艦は既に撃沈されていた。
簡単に撃沈されたのにはいろいろな落ち度と伊-58側の幸運が有ったようである。艦の側面の防水扉を開いたまま航行していた。また、前方で他の艦艇が策敵していたので監視を怠った。気の緩みがあった。これが後に艦長の責任問題を問われた。
インディアナポリス
撃沈された後、アメリカは日本艦艇からの無線を傍受解読したが、どういうわけか暫しの間無視された。その後、漂流中の乗組員は偶然に友軍の偵察機に発見され、救援に向かったのであるが、時既に遅く乗員1192名の内救助されたものは316名であった。
この撃沈事件が米国の大型艦の最後の撃沈になった歴史的撃沈事件でもあった。歴史の皮肉であろうか。
伊-58はその後北に航行し、敵艦を数隻撃破して日本に帰港した。1945-8-17であった。橋本艦長は重責を果たし、後日、アメリカの裁判に喚問された 艦は1946-4-1に五島列島沖にて沈められた。
皆さんここまで読んで見て如何であろうか?
「余りにもタイミングが良過ぎるのではないか 」
・・・真実はどうなのよ?
伊-58艦長が第六艦隊司令部から受けた命令の策的範囲が余りにも意図的で、且つ、的確で何か裏に大きな秘密が有りそうではないか。そして、米軍の基地がインディアナポリスが撃沈された潜水艦からの連絡電報を傍受し、解読していながらも何故暫く放置していたか?
軍の人命を真っ先に考えるアメリカ軍の基本的なスタンスから外れている。そこには確信犯的に、上層部からの命令で意図的にサボタージュしたのではないか。現に日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃することを分かっていながら、米軍中枢部はこのことをハワイの艦隊司令官に連絡をしていなかった事実がある。しかし、後日、司令官は責任を負って解任された。
酸素魚雷95式
* 95式酸素魚雷・・ 伊-58が積載していた酸素魚雷。19本積載。
第六艦隊司令部が何故、南太平洋のど真ん中のある地域を策敵地域に命令できたか。広島への原爆投下は1945-08-06である。伊-58は1945-07-16に呉を出航している。20日程前である。インディアナポリスも又同じ日であった。
アメリカの裁判で(インディアナポリスの艦長は後日、裁判を本国で受け有罪となった)次のような不思議な話があった。
酸素魚雷93式
「橋本艦長の受けた命令は”フィリッピン東方上にあって、敵艦船を攻撃せよ”というのであった。この命令を誰が書いたのかは知らないが、先に記した巡洋艦(インデイアナポリス)の運命を知っていたかのようである」・・・・と・・意味深ではないか!
伊-58艦長が米国裁判に出廷したのは、橋本艦長の戦争裁判ではなく、撃沈された艦長の責任問題のための喚問だけのためである。インディアナポリス艦長は裁判で有罪となったが後日名誉を回復したようである。
皆様如何であろうか。
これらは単なる偶然で、運命の悪戯であったのであろうか?
「日本の上層部は米軍による原爆攻撃計画を既に知っていた???・・マサカ!
そして、米国もインデイアナポリスの撃沈事故を意図的に隠そうとしたか??・カモね」
これには国際的なスパイ網からの情報が絡んでいるらしい??・・
・・・真実はどうなのよ?・・・
まあまあ~急がずに・・・次回をお楽しみに
「 海外市場について 」
FRB量的緩和終了宣言!
一応、予定通りの行動となりました。次回は金利上昇・・0.25%位でしょうか?いずれにしても金融当局は約束通り、金融引き締め政策に転換することを決定した事になります。紙上では米国経済の成長を歌い上げていますが、基幹産業へ資金が充分に流れていないのは、厳然たる事実。今回の民間企業のロケット打ち上げの失敗を見ても、本当の米国財政の懐具合を如実に表しています。単なる金融相場、バブル相場であったと観ているのですが
FRB
先回もご紹介しましたとおり、米国の消費電力量の長期低下傾向、NY市場の出来高の長期減少傾向は、政府が小手先では弄れない基本的データー。こちらを真実と見て信用すべきであると考えます。実際の株価の上昇は人為的な表れと観ております。
東京市場も思わぬNY市場の乱高下で上下に振れまして、一時、爺もヒヤッとしましたが、未だ予想の範囲内。長期的チャートでは相場の綾でしょうか。でも、野党が詰らない大臣の粗探し。顰蹙を買うだけですな。田舎芝居そのものです。・・・・そして、民主党、自民党の幹事長が早期解散をチラッと仄めかす発言?・・・・来年の消費税10%問題も絡んで・・・・安部総理も野党も腹を決められたのでしょうか
胸中は如何か?
年末の株高、来年度予算の査定、等と絡んで11月は米国議会の選挙、オバマ大統領の去就と絡んで、スーパー台風が吹くかも・・・困りましたね
充分慎重に行動しなければならぬかも・・ご注意ください!
10/31大引けは東京市場は暴騰! 755.56 ↑ 爺もやっと一安心
今晩のNY市場は如何でしょうか?
南瓜の花
奄美も朝晩は気温が20℃位まで下がり、いよいよ野菜の植え付け。今年は気象が不順で小雨傾向。災害は国道が一部決壊で未だ復旧中。それでも毎日畑仕事で大忙し。朝鮮人参を飲みながら頑張っております。ハイ!
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「白洲正子能面学」と「面打ち」