茜ちゃんの「島日記」
2017-12-17
先日、ジャガイモ畑の植え付けも終わったので、イノシシの被害がなさそうな野菜を植え付けようと、
毎日、朝の7時から始まった畑の天地返しが数日前に終わった!またひと汗かいた。
最後にお決まりの「苦土石灰」をタップリ撒いて作業は終了。
ここいらはカタツムリが繁殖している。キャベツは穴だらけになる。
苦土石灰はどれだけ効果が有るのもやら。カラスやイノシシも大変だが、カタツムリは更に上を行く。
仕様がないので止むを得ず薬を頼んでみた。さて、効果があるやら?
無農薬栽培を旨としているのだが、こう被害が多いと止む終えない。谷川沿いの畑は虫食いが少ない。
この畑は周りをブロックで覆っているので水害に会っていない。
この関係があるみたいだ。それで天地返しの後、土を網でより分け小石などを取り去っている。
この作業のおかげで土中の害虫なども取り除けるかも。
でも、大変な作業である。筋肉痛になりそうだ。でも、しょうがないね。
これ位の広さの畑の小石を選別したら、こんな数の土嚢が出来た。
驚いてしまった! まるで河原の上の畑である。
水害に会うとこんな結果になる。土嚢は畑の周囲に置く積り。
来年の夏ころの台風対策である。奄美の自然は結構厳しいのである。
大雨、風水害、高潮、土石流などである。
平地が少ない海沿いの僅かばかりの川の扇状地だからであろう。
昔から小石取りをしている畑は、鍬を入れた瞬間で良く解る。
鍬の先にカチン!という音は響かないが、
荒れ地になった土石流の被害に遭っているこの畑は大変である。
ここまで来るのに6年余かかった。
初めての農作業なので見様見真似であった。しかし、現在は真面なのはここの畑だけである。
後の周囲の畑は放置されて荒廃してしまった荒れ野である。
その内に灌木が成長し、手の施し様がなくなるであろう。爺婆農業の成れの果てである。
今朝見たらジャガイモの芽がどんどん成長している。まだ芽が出ていないのは数個位。
まあ、上手く行っている方だ。この後は土を株基に入れる作業が残っている。
雨が適度に降れば順調に成長する。この時期はイノシシ位が危ない対象である。
柵の効果が立証される。上手く行くと思うが。
畑の周囲を亀甲のステンレスの網でガッチリ固めて、柵の裾を土嚢で固めれば土石流の被害も防げる。
一番良いのは廃屋の家の中の畑である。周りのブロックの塀が土石流が防げるので、廃屋を片づけてその後に畑を作るのが最適だ。
イノシシ、風水害はシャットアウトにできる。何れその様な事になる家が多くなるだろう。
実際、里の1/3位はそんな感じである。放置の家が数多くなって来た。
キナ臭い朝鮮半島情勢のお話
今年も残り少なくなって来た。もう少しでクリスマス。
それから幾日もせずにお正月となる訳。子供達には楽しい日々の連続!
そうは言っても今年ばかりは楽しいばかりではない模様
朝鮮半島内の情勢が日増しに悪くなって来ている。
中国と北朝鮮の国境沿いの人民解放軍の演習、避難民の受け入れ準備が進んで居る模様だ。
シリア難民の事を既に中国人民解放軍は想定している。
万が一の場合はこの地域が朝鮮民族の地域でもあるので、朝鮮半島の民衆などの流入は一番多いであろう。
シリアのロシア軍の一部撤退が完了した。この地域はISの騒動が有った地域であるが、
まだ完全に安全とは言い難いが、何故このようになったか?
恐らく撤退させた軍隊は朝鮮半島の国境地帯に送られるであろう。
中国の人民解放軍と同じ考えであろうから。当然でもあろうが。
最近、テラーソン国務長官を巡る米国中枢部との齟齬が目立つ。密かに進む交代人事である。
元CIAの長官が彼の後釜に決まっている模様である。大統領は表面上は否定しているが・・
米国の北朝鮮との交渉は「無条件交渉」で臨むと力説していた国務長官が、
最近、条件付きの政府方針に転換して来た。中枢には抵抗でき無いと判断したからか・・
マテイス国防長官がテラーソン国務長官とどのように考え行動するかが、大事なポイントであろう。
朝鮮半島の情勢は予断を許さない。クリスマス休暇が始まる12/24~25から、韓国在住の米国人の帰国が始まるであろう。
来年になったら果たして帰って来るのであろうか?? それが最大のキーポイントである。
韓国は邦人やカナダ、オーストラリアの民間人の避難に対して非協力的である。
最近、これらの関係国が共同して行動する協定を結んだとか聴こえて来ている。
この時期に朝鮮半島に旅行するなど危険極まりない。
「世阿弥」
赤鶴の研究をする積りでいろいろ調べている。先日までは「ヲモカゲ・孫次郎」だったが、
急に色合いが変わってしまった。鬼畜面の天才・「赤鶴」
ところが資料が能面集に掲載されている作品の写真以外にはないのである。
経歴も解らない。初めと終わりも解らない。止むを得ず「世阿弥」から探ることにした。
理由は簡単・・・72~3歳のころ理由は不明だが、世阿弥と同じように佐渡島に流刑になっているという事実だけ。
されば、「世阿弥」から手繰り寄せるしか手立てはない。
有難い事に「世阿弥」に付いては、資料がそれなりにある。世阿弥が佐渡に流されたのもほぼ同じ時代の、
年恰好も同じ頃である。場所は佐渡島の中央部の辺りから両津までの一帯であることは解っている。
先日辺りから「白洲正子全集・12巻」や世阿弥関連の書籍を読み始めた。読み進める内に面白い事実が解って来た。
能楽の研究が実際にされるようになったのは、明治時代になってからだと云う。 是には驚いた!
4歳の時から能舞台に立たれ能や能面の研究を、晩年に至るまでされていた碩学の弁である。
竹本幹夫箸「風姿花伝・三道」と「申楽談義」を読みながら、まず手始めに白洲正子全集・12巻の
「世阿弥を語る」を先に読んでいるのである。能楽や能面の研究者とその実践者の著作は大事である。
「世阿弥を語る」を読み進める内に、いろいろ面白い当時の内幕の話が出てくる。
足利義満と世阿弥の関係。義満と親しい関係が有った前関白「二条良基」と世阿弥の関係。
あるいは世阿弥の数人の子供達の早世と養子の話。結構いろいろ複雑である。
その他に当時の中世社会の性風俗<男色>の話まで出てくる。
それがどうもこれらの上流の社会と無関係ではないようなのである。
何れにしても、世阿弥が何故佐渡流刑になってしまったか・・
「世阿弥」は幾内の大和か、信楽辺りの出身である。越前大野の出身である「赤鶴」とは、
どのような関係にあったかは分からないが、何故同じような年齢で佐渡流刑になったか、何か伏線が見える様でならないのである。
世阿弥の流刑の理由の追跡がそれを可能たらしめるかもしれない。
一番良いのは・・佐渡島に行って脚と眼で確かめるのが良いのであるが・・
最近の朝鮮半島の情勢は予断を許さない。旅行などしている状況にはなれない。
まあ、そのような訳でこのようになってしまった。
こちらの話は追い追いに・・・