茜ちゃんの「島日記」

奄美群島から文化の発信を試みております。自然・文化・民俗学など想い付くままの事柄どうぞお聞きください。

サワラチャンの加計呂麻日記-065

2013年09月30日 | 教育

 

サワラちゃんの加計呂麻日記

                       -065

 

 特集/臨時

 

 

太平洋岸の集落・左(須子茂)、中央・奥(嘉入

* 隣の集落へは断崖の縁を巡る林道や町道でつながっております。 

今月でいよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になります。目出度く9月になって3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。  島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。                     

 特集は島暮らし  

  

中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。それでは、今回も島暮らしの実体験をご紹介!  

 島暮らし-009 

 サツマイモ薩摩芋収穫作業奮闘記!  

 本日は<島暮らし中休み 

 

爺の畠での薩摩芋(安納紫芋)の収穫奮闘記をお話ししましょう。

 

 

 下の畠(上下2箇所の畠あり)で、これから収穫作業を開始!

 

 畠はイノシシの害から守るため、網(イノシシ用)で囲い、裾は石で囲い(イノシシは強力な鼻で掘り返す)且つ、難波イバラという針の長いバラで囲い(どんどん伸びている・・花は真っ白な綺麗な花)・・と三重防御を取っています。先日、イノシシが浸入し、多少被害に有ったので徹底的に防御を固めたのです。         お陰でその後は安全! 

 

 

隣の玉葱畑は雨が降らないので、毎日水遣りが欠かせない。隣の人参もね。去年はイノシシにジャガイモを散々やられました。近所の方はイノシシが居るので余り薩摩芋を作りたがらない。でも、負けん気の強い爺は今年こそはと戦いを挑みました。3戦で一勝二敗の戦績!

来年はイノシシ鍋をしてやるぞ!結構旨く、スタミナが付く。

その前に<紫芋>のご紹介! 爺も始めて見たよ!

 

ウン、間違いなく青紫だ!

作業に掛かろうとするが、土がカチン カチンに乾いて手掘りはかなりシンドイ

 

この畠は10年ほど放置され、雑草が生え、整備されていなかった畠。開墾という言葉が似合うくらいの砂利畑でした。昨年、土石流被害に遭い砂利が浸入したらしいのです。ですから本州のような黒いベターな畠ではなく、赤土の畠。でも、ジャガイモ、薩摩芋、苦瓜、カボチャには良いらしい。

薩摩芋は2箇所に分散して植えている

                                   ↑  なす

雨が降らないので、ナスは生育不良。痛みが付いてなかなか大きくならない。ナスは意外と爺には難しい作物。綺麗なナスはセミプロ級の腕が必要だとか。

苦瓜と薩摩芋の間のカボチャ

カボチャは意外と難しい。今年4個の実が付いたが2個は大きくなるらしい

さ~、行くぞ! 

 

一株を掘り起こすのに大変な作業となる。土は固いしガッチリ埋まっている。まるで遺跡の発掘作業並みの注意が要る。傷を付けたら大変。大きいでしょ!

 

少し出てきたぞ!

 

一株掘り起こすと、腰が痛くなるほど。これから<どうすべ~か>とちょっと、心配になった。

やっと、一箇所をヤッツケタ!

隣の2箇所目も掘り返したら、もうクタクタ 

採れた薩摩芋を洗浄して、乾かす作業が待っている。

悪戦苦闘して、隣の婆ちゃんに少し御裾分けしてこれだけの戦果!

纏めるとこんなもんか!

 

お陰でクタクタに成りました。朝から昼過ぎまで掛かる・・・

 

自宅の裏山の空はもう秋の青空。雨降ってくれたらな~ 

上の谷川沿いの畠は自宅と山の間の谷川沿いにある。

 

 

悪戦苦闘のササヤカな喜びの瞬間

これが何と言っても楽しみなのさ!

4台の机の上には本と貝がそこら中に転がっている。貝と本と7台のPCに囲まれた隙間に爺は暮らしている。去年の9月まで傍に三毛猫の<アマミン>が居たんだが・・

 

   アマミン  

昨年、イタチにヤラレテしまいました。

まあ、そんなこんなで本日の農作業は終わりました。毎朝6時には畠に出ます。水撒いて雑草とって、畠を見回って(イノシシが居るんで)、収穫の野菜を持って、日光が強くなる前に退散します。大体9~10時頃でしょうか。雨が降れば楽になるんですがね・・・

天気と風と潮の具合を考えて、シャワーを浴びて、洗濯して、朝ごはん食べてから海に出かけることもある。これが又楽しい時間。雀の涙の年金貰って好きなだけ野菜を作って、好きな時に遊びに出かける。金は使う所もなし。離島暮らしは満更でもないですよ。

来年からは集落も落ち着いてきたようなので、「能面の面打ち」を再開するつもり。刃物を研がなきゃね。これが大変な作業!でも、「趣味程度だからストレスも沸かず」

離島は不便なようだけれども、余計な雑音が外から入らないから、マイ・ペースで生きて行けるのが何と言っても良い点です。青い空と海、綺麗な空気。

たまに台風が訪れるのが難点だが、それもタマニハ良いさ。

 

この子達の明るい顔を御覧なさい!

カンボジア

島はこんな感じの明るい子供達が多いんです。

 

 

喫茶店でちょっと一服   ]

                       株式市場の天気予報   

 

 10/01  14.484.72  28.92

株式市場の動きは現在中段保ち合いの整理の最中なので、予想の範囲の動きになっています。予定通り消費税8%引き上げが決定しました。これからは中勢2波が開始することになるでしょう。中勢1波の上がり値幅程度が中勢2波の上昇幅となる場合、あるいはより大きな幅を取った場合は、続く中勢3波が発生し、¥20.000Pointを目指すでしょうか。

 

 

現在の揉み合いは2002年頃の下降相場の中段保ち合いに影響が見られます。ここで買い付いた向きのヤレヤレ売りを浴びているという事で、相場がもたつくのでしょうね。

                           ↓ A               ↓ B

 

 

中段保ち合いの週足の解析です。

 

現在相場は体勢的に2007前後の頂上を目指して上昇しています。しかし、これから¥20.000Pointまでは、大変な破砕帯でここを突破するには、長時間の悪戦苦闘も有るでしょう。経済の回復が予想以上であれば、ここを抜けてからは大天井まではそんなに時間は掛からないかも。しかし、1990~2000までの大破砕帯は具合が悪くなるほどの因果玉が、燻っている様にみえます。まさに失われた10年です。ここを突き破るには大変な相場のエネルギーが必要と思いますが・・・

大勢波動のチャート(月足)

                       

現在、米国の上下両院で大騒動が持ち上がって居ります。下手すると世界経済にとんでもない事になるかも????

   特段の注意が必要かもNYダウ↓ 、円高97、は嫌な感じですが。 

 

本日は<金融経済超入門講座>は休講します。

 

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サワラチャンの加計呂麻日記-064

2013年09月27日 | 教育

 

サワラちゃんの加計呂麻日記

                       -064

 

  

 

 

 

  いよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になります。目出度く9月になって3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。  島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。                   

特集は島暮らし 

 

中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。                                                 それでは、今回も島暮らしの実体験をご紹介!  

 

島暮らし-008 

 

 最近、離島、陸の孤島などに I ターン者 が増えております。しかし、それらの方々の中には一抹の不安が有ると思います。それで、爺が生の情報をお話したいと思います

 


 

これからのお話し島暮らしというだけでなく、本州・九州・四国などの山奥の限界集落、

周りと隔絶されたような陸の孤島状態の地域をも含むとお考えください。

 


 

<郷に入れば郷に従え>(「郷に入りては郷に従え」)

  皆さんが良く聴くですね。 とは言うもののこれがなかなかの曲者でして、可也の方が耳学問でこの文章を諳んじておられる模様。しかし、何時も思うのは本当にこの言葉の意味を知っているのかな、或いは真剣に考えた事が有るのかなという事です。

本日はこの諺を軸にして、離島や陸の孤島の限界集落で起こるトラブルについて書いてみたいと思います。この手の諺は世界共通の諺のようで、多少の意味合いに違いは有っても、中国、ドイツ、朝鮮、イタリアなど相当数有るようです。 

日本の例・・・ 

郷に入りては郷に従え
【注釈】  『童子教』の「郷に入りては而ち郷に随い、俗に入りては而ち俗に随う」から。
「郷」とは、村里の意味。

【意味】  郷に入っては郷に従えとは、風俗や習慣はその土地によって違うから、新しい土地に来たら、その土地の風俗や習慣に従うべきだということ。また、ある組織に属したときは、その組織の規律に従うべきだということ。 
「郷に入りては郷に従う」「郷に入りては郷に従え」「郷に入っては郷に従う」ともいう。 
【出典】  『童子教』  ・・・注・平安時代の僧侶・安然(あんねん)が著した


中国の例・・・

南宋・普済『五灯会元・巻三十一・洪州大寧道寛禅師』が出典 

且道入郷随俗一句作麼生道。良久曰、西天梵語、此土唐言」 

 「『入郷随俗』とはどのような意味なのでしょうか?良久が言うには、仏法を述べるのに西方にあるインドでは梵語(サンスクリット語)を使い、私たちのいるここでは中国語を使う、ということなのだよ。」


 欧米の例・・・

【英語】  When in Rome do as the Romans do. (ローマにいるときにはローマ人がするようにせよ)
Every country has its law.(どの国にもそれぞれの法がある) 

 
【用例】  「自分の価値観とは違ったところがあったとしても、郷に入っては郷に従えで自分たちがこの町に合わせて規則を守っていくべきだ」 

 


 

 

  皆さん如何でしょうか。良く本土でも、ここ加計呂麻島の住民でも、一部の方達がしたり顔に軽く使っております。恐らくこの方達は故事来歴は知らぬと思います。大抵が耳学問であろうと思います。一般の方でも正直、これらの原典を知っている方は、かなり少ないと思います。

何れも各国同じような意味合いの言葉ではありますが、考えようによっては土地の人の我侭、保守性を隠す隠れ蓑の常套用語として使われていることが多いようです。爺の住む在所でもそうですが、離島に限らず、山間僻地に限らず、昔からの古い伝統を長らく持ち続けて来た土地には、この言葉を長らく使い続けてきた一群の人達が居るのです。その土地その土地には独特の伝統が伝承されているのですが、只管、形を変えぬように頑固なまでに、保持しようとする考えですね・・・・・

 

では、伝統というものの正体とは、本来どのようなものなのでしょうか。

 

                                      能楽 

 

 

 日本の芸術・芸能の世界には、これと表面的によく似た面がみられます・・・・・ 

 

 能狂言の世界では、能面というを千数百年来使い続けて来ております。面(おもて)が痛めばその面を本面として写しを打ち、只管そのを重んじて面を打ち、舞台で使い続けていく。 能の面に限らず、舞台の上での所作全てがその通りに伝承されていく・・・

しかし、演者や能面師は一見型に呪縛されているかのごとく外見的には見えても、実際は型の中にどれだけ自分の個性を精一杯表現出来るかが彼らの勝負所なのです。・・・・

浄瑠璃

 

お解りいただけますでしょうか。 歌舞伎でも浄瑠璃でも・・謡・落語・浪花節・民謡・・日本の伝統芸術の本質はここに有るのです。ですから千数百年もの間生き続けることが出来たのです。

 

この諺の持つ意味合いはそんなに難しいものでは有りませんし、高度な哲学性を持ったものでも有りませんが、とても怖い言葉でもあります

 

NHKのFM放送を聞きながら、このブログを書いておりましたら、能楽の狂言方の年若い修行者の話が聞こえてきました。

   「伝統芸術とは何ですか?」・・・・Q

          「形を変えて心を伝えるだと師匠から伺っております・・・A

 

爺の言うとおりの事・・・・グット・タイミングでした。  最近NHKも良くやるね(^-^)

 

次回は<ムラ社会>について、具体性を持った事例をご紹介してみましょう。  

 

   喫茶店でちょっと一服  

]

                       株式市場の天気予報   

 9/26  14.760.07    39.05 ↓

 

 

 

 連日底堅く今週は蟹の横歩きをしました。8月下旬からの反騰相場が第1局面を終了して、中断保ちあいに入った週でした。悪材料も無く良い相場付きに成りました。理想的な教科書通りの動きです。この段階は戻り高値のあたりのヤレヤレ売りをどうしても浴びてしまいます。

止むを得ず売りで手仕舞わなければならない方達も居るのです。ここで戻り新値を取って来たら新たに買い付いて行くのが定石だと思います。ここで弱気で迷うようなら相場は触らないほうが良いと思います。下のチャートでも戻りで前の高値を取って来ていますから、2013.06月の戻り高値は必ず取りに来ます。消費税。法人税の問題が決着を見るころでしょう。結局。年末以降に20.000Pointを取らなければこの相場は終わりません。慣性が付くと相場は行くべき所まで行くのです。

 

 

 相場に元気が有りますし、安部内閣の信認が増しておりますし、取り巻きの閣僚が手堅いベテランぞろい。中国も韓国もこのところ手が外れてばかり。だんだん秋波を送り続けて居ります。先を読める政治家なら無理をしませんし、日本には手は出せません。相場はこれを既に読んでいると思います。ここは強気でどうでしょうか。・・・爺はそんな風に見えます。

日露の政治的な取引がどうなるかが面白いところですが、<引き分け>を何度も言うのは、一つのメッセージと素直に受け取った方が良いかなと思うんですが。プーチン氏は脇が深いから、ねっちりと寝技勝負で行くべきでしょうが、彼は既に腹は決めたと思いますよ。KGB出身にしてはスマートですね。頭も切れるし、決断力もある。これが最後の日露のチャンスではないでしょうか?

 

 政治は一歩先は闇ですから、確定的なことは言えませんが・・・・日本は政治経済的に転換点をハッキリ過ぎて来て、この辺りで上昇気流を掴んだと思います。それが長期チャートの月足にハッキリ出てきています。一度相場は尻(ケツ)を入れてたら最後、ちょっとやそっとでは相場は壊れません。途中の道中は相場の綾で、上下は有りましょうが、大勢上昇相場だと思います。

中国が日本に対して宣戦布告をして来たら、どうなるかは分りませんが<そりゃ、無理でしょう>。韓国は古代朝鮮の新羅の二の舞をする事に成るのかもしれません。親父さんが草葉の陰で泣いていると思いますよ。新羅は唐帝国に見捨てられたじゃありませんか。

                                     毛沢東主席

        

 

 中国が怒っているのは・・・毛沢東・周恩来VS田中角栄・大平正芳の、かの会談の密約らしきものを、反故にされたと思っているのではないのでしようか・・・事の真偽は分りませんがね。中国は面子を重んじる国ですから、そうそう信義に反する事を言い、行動する国ではないと思っております。今回の一連の尖閣の問題は、南シナ海とは同列に考えないほうが宜しいかも。

棚上げにする」ということで、双方が問題の先送りをして、後は双方尖閣諸島から手を引いて、ムニャ、ムニャにして欲しかったのでは・・周恩来氏はそう言っていた筈です。それは毛沢東氏の考えでも有りましょうから。 習主席はその辺りを十分理解をしていると思うのですが・・・・でも、既に4人は黄泉の人・・・法理論だけでは政治は動きません。世間には<なあ~ナア~の線>て有るじゃないですか。

これは爺の考えですが・・・あてにならない サワラ 

 

金融経済学入門講座 

 

 

 

昭和恐慌と金解禁 

 

1930年前後の政治経済情勢金解禁-007  

 


 

 昭和元年・1926年 大正天皇崩御 ・ 昭和天皇 

       1927年 金融恐慌(片岡大蔵大臣失言事件) 

              台湾銀行救済緊急勅令枢密院で否訣 

       1928年  張作霖爆殺事件 

             1929年 ニューヨーク株式市場大暴落・・・世界大恐慌

             1930年 昭和恐慌本格化す 

             濱口 雄幸狙撃さる 若槻礼次郎内閣成立

             陸軍中堅による三月事件

       1931年  満州事変勃発  犬養内閣成立 英国金本位制停止

             高橋 是清 大蔵大臣就任 金本位制停止 

                    


 

 ここ暫くの間、1920~30年代の日本の政治金融経済を書いてきました。当時の金融経済の状況は現在と比較して、より現在のアメリカの金融経済に酷似しているとしたら、いかが考えますでしょうか。少し当時の状況を書き出して見ましょう。

                                            ウオールマート

 

A・・企業が外部資金を調達する主たる場は株式市場である。・・間接金融

B・・株主の力は強力で高い配当を要求する・・・・シャンシャン株主総会は有り得ない

C・・労働市場は採用、解雇が頻繁に行なわれる・・・失業率25%

D・・貯蓄率が低く、消費が80%を占める・・・貧富の差が激しい

E・・企業経営は買収合戦が激しく、業績を上げなければ、即地位を追われる可能性がある

如何でしょうか。これは現在のアメリカの金融経済そのものです。しかし、これが1920年代の日本であるとしたら、なかなか納得できないと思いますが。

 

                  <丘を越えて>・・昭和~大正期・・Nikkei より

 

 日本型経済体制は前世紀から引き継がれて来たもので、日本の所謂、江戸時代からの古い商慣習や経済体制の伝統を引き継いで来た、と考えても無理からぬ所でしょう。しかし、現実は全く違っておりました。江戸時代は鎖国政策で出島でオランダからの文化が移入されていた事は確かですし、又、徳川幕府の末期はフランスからの文化文物を取り入れて居りました。いずれにしても、西欧の大陸文化が主流でした。以前にも書きましたが、法律はフランス、プロシャの法律を模範としたものであり、会計学は大陸系の静態会計学です。

山口、鹿児島県(長州・薩摩)などには、英国などの強い影響が有ったことですから、英米法の影響が強かったと考えられます。ペリー来航で日本も大きく開港を迫られ、日本からも数々の方が渡米しました。明治政府は長州・薩摩の影響が強かったのですから、日本の経済構造が英米の経済構造に似てきたのは、当然の事かもしれません。

 

                            オランダ商館・長崎出島

 

このような事から、1920代の日本の経済構造がミニアメリカであっても、不思議ではない訳です。しかし、打ち続く経済不況によって、政財界、思想界、軍関係などから、疑問の声が上がってくるようになりました。

アダムスミスの自由主義経済には根本的な欠陥が有るのではないか・・と言う事です。折りしも、隣国の社会主義体制国家・・マルクス/レーニン主義に基づく経済政策が大きな不況にも見舞われる事なく、順調に伸びている事への憧れが有った事は事実です。

中国大陸は日清、日露戦争後混迷を極め、大陸の列強が中国大陸に進出し、上海などは租界と成っておりました。 列強諸国の草刈場であったのです。香港、マカオは最近になって中国に返還されましたが、これなどはその象徴的な事実です。しかしながら、現中国政府は当時の列強に対して<歴史認識云々、損害賠償>すら言いませんね。我が国には大変な剣幕で、有りもしない領土的野心を尖閣諸島に向けて来ておりますが・・・

マカオ                 

 

内容的には既に記述している事と重複はしておりますが、アウトラインを思い描いていただければ結構です。・・・・

このような時代背景から、自由主義的経済体制では上手く行かない → 計画経済体制の導入への経済思想にだんだんなって行ったのです。 官界において実質的に中堅に位置づけられた方達が、朝鮮半島、満州でこの計画経済の実験を試みようとしていたのも事実です。官界だけでなく、旧財閥に対する新興財閥・・日産グループ・・などが、それらに呼応して満州に眼を向けたのも事実です。しかし、旧財閥は太平洋戦争以降は積極的でしたが、この当たりは寧ろセーブしておりました。

満州国

 

二大政党が合い争っていった政治体制の中で、昭和恐慌が日本経済を蝕み始め、アメリカ型経済体制に疑問が発生し始め、農家の主力産業・米価の大暴落が社会不安を醸成し、これが農家から出征した新兵に対する同情心から、軍の仕官層に政財界に対する不満が大きく鬱積するようなって来た・・・・この辺りが陸軍が朝鮮・満州に活路を求め、それに財界の一部が付いて行くという形になった・・・・陸軍の単なる独走ではないと言う事になります。これが歴史の真実でしょう。

教科書的には<陸軍が勝手に独走し、政界がこれを制御出来なかった>と記述されておりますが、この当たりは不正確ですし、ハッキリ言って間違いで、政治力の不甲斐なさではないでしょうか。これには二人の政治家が大きく関わっているように思えてなりません。

 

   ***************************************************************************** 

 

  以前からこのシリーズをお読みいただいている方は、気が付いていた事と思いますが・・・・文章が途中で何時も時々、昭和末期から平成初期の経済恐慌に戻ることを・・・・皆さんも先刻お解りの通り、このシリーズの主眼は<昭和経済史>でなく、別な所にあるのです。「失われた15or20年の真実」とは何か? 最近日本経済新聞にも外国のジャーナリストなどが、この事について投稿するようになりました。外国人の方が立場上鋭く切り込んでいるようにも思えます。それはそれとして、この時代を実際に生きてきた我々は、新たな眼で、教科書や参考書に余り依拠することなく、現実の事実を証拠として採用し、より客観的に考えてみたいと思います。我々その者が時代の生き証人なのですから。

 

 

 ***********************************************************

 それでは、次回は今回に引き続いて、第二次世界大戦という大陥穽に落ち込んでいく、主要な要因<戦時経済体制>について書いてみて、その後少し戻って本論である所の<金本位制、金解禁、再禁止>について書いてみましょう。 

 

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サワラチャンの加計呂麻日記-063

2013年09月20日 | 教育

 

サワラちゃんの加計呂麻日記

                       -063

 

 

ツバル ・ 前にも紹介しましたが・憧れ! 

台風18号はどうした訳か、南西諸島には一滴の雨も降らさないで、北上されました。爺に意地悪した訳だな。畑は水が欲しいって泣いている!京都の鴨川の三条大橋が水面まであと少し。こんな事なんて未だ見た事なかった。今年の気象は全国で異常でした。皆さんも気を付けて下さい。

ブログを公開し始めたのが、大津を離れる年の2011年の1月

未だ3年足らず。それでも最近は一時7本公開していたものを、

やっと、整理して週3本ペース更改 。

畑仕事と資料調べ、貝の採取に忙殺されて一時後悔しました。

でも、視聴者が1本当たり1.000人超え/週になってくると、

好い気なもんで爺も調子が出て参りました。

それぞれバラエティーに富んでおります(自画自賛!

では、今週も元気に行きましょうか! 

 がんばって!爺ちゃん  「サワラちゃん

 

  

 

 先月の8/31で、いよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になります。目出度く9月になって3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。  島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。 

                   

 特集は島暮らし  

 

中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。           それでは、今回も島暮らしの実体験をご紹介! 

 

 島暮らし-007  

 

 

 

 最近、離島、陸の孤島などに I ターン者 が増えております。しかし、それらの方々の中には一抹の不安が有ると思います。それで、爺が生の情報をお話したいと思います

 

これからは島暮らしというだけでなく、本州・九州・四国などの山奥の限界集落、周りと隔絶されたような陸の孤島状態の地域をも含むと、お考え頂きたい。

 

 


 さて、先回は山口県周南市の山間僻地で発生した凶悪事件を紹介しながら、僻地、陸の孤島、離島の集落の状況について、一般論的な事を書いてみました。今回は<アジアの庶民の考え方>、次回は<郷に入れば郷に従えに付いて書いてみましょうか。


 それでは、その前に東南アジアで起きた、本当のようなのような話を・・・・

 

 アジアの庶民の考え方 

 

カンボジアのお祭り

 

 

第一話・・・カンボジア 

A <あるご夫婦がカンボジアのある田舎に住むことになりました。ある日、奥さんが花の苗を沢山買って来て、庭に植えようとしました。ところがその時思ってもいないことが起こりました。近所の奥さん達が突然やってきて、その苗を奥さんの所の庭に、勝手に植え始めたのです

日本なら先ず考えられない事ですね。<お節介>と言われても、仕様がないということです。ところがその土地ではそれが当たリ前。 

B <また、ある時、この奥さんの家で、洗濯機を新しく購入しました。日本でも昔からあった、二層式の古いタイプの洗濯機・・・家の水道の蛇口の傍に置きました。使い始めてから数日後、ビックリする様な事が起こりました。近所のオカミサン達が断り無しに、勝手に洗濯機を自分達で使い始めたのです。唖然としたそうです

大阪のオカミサンなら ちょっと、何すんねんって叫んだでしょうね。でも、これはその土地では当たり前。

            **********************************

第二話・・・タイ 

                                          チェンマイの露天の娘

 

 <ある時、日本人の男性が、タイの田舎の娘と恋に落ち結婚しました。瀟洒な家に二人で住むことになりました。ある時、この嫁の家族が遊びに来ました。数日して帰ると思ったら何時までも長逗留し、そのまま住み着いてしまったのです。それから何人もの家族がやってきて同じ行為に及んだのです。とうとう主人はどちらが家主か分らない状態になり、肩身の狭い立場になったとか

娘達

 

「そんな馬鹿な」 ではないんです。 どうもそれは普通の事のようです。

!・・・じゃナインです。

第1.2話は、実際に日本人が現地で体験されたことです。日本じゃ先ず考えられない事ですね。でも、<所変われば品変わる>なのです。でも、現地の人にとっては、生まれた時この方空気を吸う如くなされてきた慣習ですから、疑問の沸きようも無い。ビックリするのは現地に飛び込んだ人ばかりとなります。

後にお話しするJAIKAの職員などは、未開発地にも派遣されるので、よりビックリするような事に遭遇するかもしれません。はじめて爺が島に来た時、海上タクシーの使い方が分らないので、大分戸惑いました。何時発着するか全く分らず。<説明、案内標識>もなし。見よう見まねで覚えました。<こりゃ、エライとこ来たのかも????>と思いましたが・・・今じゃ・・・・

 

 

    喫茶店でちょっと一服   

                          株式市場の天気予報    

 FRBの議長候補NO1のサマーズ氏が辞退とか。上院の人気が無い事が、ご本人痛く気にしているようですが。やりゃいいんですよ。大統領がご推薦なんですから。   まさか、まさか・・次期大統領を狙っている・・・そりゃ無いでしょう。 仕事が出来たからって、おいそれと成れるというものじゃないんです。これでFRB議長はかのご夫人で決まり。

 東京は<東京五輪>で、段々盛り上がって来ました。しかし、長期フローチャートの月足はそれを知っていたみたいですね。神様仏様のチャートですね。これを既に見据えて長期戦を腹に決めた人は賢い。大儲けしたでしょうね。いや、まだまだ売りはしません。下値で買い増したでしょうね。

年金資金管理の担当部署もその内の一つかな。それでも数兆円儲かったとか。お願いしますよ。爺の年金の原資ですから。株式投資は現物・長期投資が一番でしょうか。でも、先行きが見えない・・・人間は所詮こんなものでしょうかね。

                   月足フローチャート

 

 

2013 09 20    14.742.42    23.76   

 順調な戻り基調で推移しています。特に悪材料が有りませんし、戻り高値奪回は間近でしょう。 

現在先の高値付近まで戻っていますので、ヤレヤレ売りが有るだけです。

13W,26Wとのクロスは発生しませんでした。

このまま株価は上昇し、戻り高値を奪回するでしょう。

 

 

安部内閣の支持率も様変わりの67%↑ ツイテキマシタ、日本も!

これが大事なんです。財務、官房長官、経済産業大臣が確りしてますし、

今までの中では近年稀に見る安心出来る内閣

これが市場に好影響。年末¥20.000Point夢じゃない!

尖閣諸島のデモンストレーションも本当のデモ、でも。

中国国内は反日に神経を尖らしているそうで静かです。

これは国内向けのアジテーションですね?

そ~と、して置くに限ります。

振り上げた拳は、いつか降ろさねば。

初の女性駐日大使も間もなく就任する。

女性は真面目だから、結構はっきり物を言うかもね。

何せKennedyのお嬢さんだがね!

本日はそういう事で

爺、調子に乗るな! サワラ 

 

 

金融経済学入門講座

 

 

NY株式市場 

昭和恐慌と金解禁

 

1930年前後の政治経済情勢金解禁-006

 


 昭和元年・1926年 大正天皇崩御 ・ 昭和天皇

       1927年 金融恐慌(片岡大蔵大臣失言事件)

              台湾銀行救済緊急勅令枢密院で否訣

       1928年  張作霖爆殺事件

             1929年 ニューヨーク株式市場大暴落・・・世界大恐慌


 1927年に枢密院で台湾銀行救済緊急勅令否訣され、それが引き金で日本の金融世界は金融恐慌に突入して行ったのですが、この時政権に付いたのが、憲政会の若槻礼次郎内閣でした。時の大蔵大臣は<片岡 直春>でした。

銀行の取り付け騒ぎを起こして多くの銀行が潰れました。全国で潰れた銀行が44行。預金額にして8億3千万円・・・・当時の全国の預金量は91億円・・・11%がOUTになりました。自殺者も出たそうです。平成大不況でも拓銀や特殊銀行が潰れ、有名な銀行は殆ど合併などして、世間から消えて行きました。如何ににすざましい事だったか分ります。

 

外国の銀行取付騒ぎ

 

でも、何故これ程の銀行が潰れたのか・・・予定の行動だったのか・・・必然か

この頃、政府は金本位制復帰を模索していました。金本位に戻ると金が海外に流失して、不景気になるから内容の悪い銀行は、この際膿を出して整理した方が良いという判断が有ったようです。

 

当時の国会内では震災手形善後処理法案でおお揉めの最中でした。1927年3月14日、東京の渡辺銀行が「とうとう支払不能になりました」と大蔵次官に報告しました。大臣にメモが渡され、この事を議会で言明。ところが実際は渡辺銀行は翌日までに資金繰りが付いた。

しかし、既に公のニュースが世間に飛び回っている。これで万事休す!これより銀行の取り付け騒ぎはいっそう酷くなりました。事の真相は闇の中。あるいは筋書き通りだったかも。良くあるケースです。

 

行政改革会議・1996年

 

 

 

 平成の大恐慌ともいえる金融再編成は、「構造改革」の基に行なわれた大鉈だったのでしょうか。されば、これも政金融財界の当初からの筋書きだったのでしょうか。1920代の金融恐慌を見直すと、そのような感じもしますね。世の中の裏側の世界の奥底はなかなか見えないものです。

大蔵省がどの程度これに関与していたか、今になっては分らないが・・・・IMF+が筋書きを造った・・・という話の信憑性は果たしてどうなのでしょうか。橋本行革の主人公は黄泉の国・・・大蔵省をよっこして、首相+日銀+IMFでの芝居はちと無理かな?これは後々考えましょう。

 

金融恐慌の処理 

 

  台湾銀行救済緊急勅令を枢密院で否訣で、若槻内閣は責任を取って倒閣。次は政友会の田中義一内閣。大蔵大臣は財政金融のベテラン・高橋 是清でした。

 

A-2日間の銀行自発的休業 B- 大口預金21日間支払い停止の勅令発布 C- 日銀は紙幣を印刷して銀行に貸し出す。(片面刷りの200円札紙幣)・・この時、銀行にこの紙幣を山積みして、顧客の動揺を押えたとか。・・これで漸く騒ぎは収まったとか。

しかし、束の間の事。 それから1929年のNY株式大暴落・・昭和恐慌にまっしぐらでした。 

 次回はいよいよ高橋 是清の腹心・井上 順之介が大蔵大臣として登場してきます。緊縮政策と世界恐慌・・・金解禁・・・大失政と揶揄される羽目になります。では、本日はこの当たりで終わりにします。

  

 

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サワラチャンの加計呂麻日記-062

2013年09月14日 | 教育

 

サワラちゃんの加計呂麻日記

                       -062   

                    

 

 加計呂麻島の集落

 

 * 画面の枯れた大木の上辺りを、町道が通っている。 ここが土砂崩れになると、断崖の傍の道を辿って、大回りしてフェリーのもうひとつの桟橋を目指すことになる。それもやられたら、陸の孤島になる。 後は小船で逃げるしかないかも?X? 

 

   

 8/31で、いよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になりました。目出度く9月になって3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。  島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。 

 *****************************************************************

 

                   特集は島暮らし」  

 

中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。               それでは、今回も島暮らしの実体験をご紹介!

 

 島暮らし-006 

 

最近、離島、陸の孤島などに I ターン者 が増えております。しかし、それらの方々の中には一抹の不安が有ると思います。それで、爺が生の情報をお話したいと思います

 

 

このシリーズも今回で第6回です。いよいよ佳境に入ってきた感じ。では参りましょう。

 これからは島暮らしというだけでなく、本州・九州・四国などの山奥の限界集落、周りと隔絶されたような陸の孤島状態の地域おも含むと、お考え頂きたい。

 

 先回まで5回に渡って<島暮らし>について、実際に奄美大島の離島・加計呂麻島にIターンした筆者・当年69歳の爺さんが、実体験を交えて書いてみました。これから定年などを迎えて、都会を離れ山間僻地や離島などに、移り住もうと考えられている方々に、役立つであろうと思いつつ様々書いてみました。

 

 最近、皆様もご存知の通り山口県周南市の山間部の小さな集落で、悲しい事件が引き起こされました。まだ、公判が始まって居りませんので、正確な確証のある情報が乏しいのですが、流れている憶測情報も含めてHPなどを読んで見ますと、他人事ではない様な事柄が書かれております。加害者は63歳。

 

 

 今年の初めの頃、鹿児島県屋久島の小さな集落でも、今回と似たような忌まわしい事件が起きておりました。内容は少し違う面も有るのですが、何か重苦しい感じがしてしまいます。加害者の年齢が75歳。

 

         ******************************************************

 

 

周南市は山口県と広島県の県境の地域で、近くの瀬戸内海一帯は大工業地帯です。しかし、そこから少し入ったばかりの当時14人ばかりの人口の集落で、一挙に凶行が発生し、現在は8人となってしまいました。偶然ですが、爺の住まう集落と同じ人口になってしまいました。

まさに、一挙に限界集落になってしまいましたのです。いったいどうしたと言うのでしょうか。いろいろニュースのHPを見て見ますと、信じられないような事柄が沢山書かれておりました。皆さんもTVやHPで見られたことでしょう。

 

 

これらの事は<本当なんですか??? ・・・・・

 

本日からは暫く、「島暮らし」の第2場として少しこの事について書いてみたいと思います。 

 

   

 

 この事件の被疑者は結果的に、日本の法律に基づく裁判の結果なるものは、ほぼ予想出来ます。つまり、殺人・放火罪ですし、しかも5人の殺害者ですから、結果は間違いなく絞首刑でしょう。しかし、時代的錯覚と言う方も居られましょうが、江戸時代の奉行・大岡 越前でしたら、どのような評定を下したでしょうか。 大変興味有る所です。

 

 

 この事件は単なる地方の稀なる凄惨な事件ではないと思います。米国でも拳銃乱射事件が頻繁に起こっているように。 現代、あるいはアジア人、日本人らしい、何時でもどこでも起こりえる事件なのかもしれませんが、よく見てみますと     限界集落らしい特性も備えております

 

 

 

 日本の各所には、歴史的に周りとは違った特別な地域があります。その形態は様々です。南西諸島のように、現代史を代表するような戦火の猛烈な火の粉を浴びた地域、琉球・薩摩・米国の3地域に翻弄された経験のある地域(奄美はその代表)、あるいは平家の落人伝説なる地域、宗教の巨大な聖地に隣接してきた地域、差別問題のある地域、在日韓国・朝鮮の方々が多く住んでいる地域・・・まだまだ有ります。

そこに生まれ育った方には、余り強い自覚が無いのかも知れませんが、ヒョンな事からそこに入って行った人達には、驚かされることが沢山有ると思います。生活上の意識感覚の相違、文化の違い、生活習慣の違い etc ・・・ここではその評価には触れないで置きましょう。誤解の元になります。

いずれにしてもその地域独特な習慣、生活が有るという認識が大切です。

 

 昔、北近江に爺が住んでおりました時のこと・・・

この辺りは十一面観音菩薩像などの名高い仏像が存在している、古来から伝わっている、日本美術史上珍しい地域です。

 

 

ある時、山道を自転車を引いて、山間の観音堂に向かった時のことでした。 収蔵庫を新しく建てて、複数の観音像が集められた場所がありました。傍まで行きましたら、土地の数人の爺さん達に急に咎められました。

お前、どこから何しに来たんだ?> 

気難しい嫌な感じの顔付きで・・・驚きましたね。事情を話したら直ぐ理解をしてくれ、建物の中まで親切に案内してくれました。

後で調べましたら、ここの地域は関ヶ原の戦の戦国時代に、戦国の武将「石田 三成」が捕らえられた地域なのです。三成は住民には善政を施しておりましたので、民から信頼が有りました。しかし、他所からこの地に婿に来た男の讒言で、徳川方に捕えられてしまったという、悲しい不名誉な歴史が有ったのです。それ以来<余所者は気を付けよ、信頼するな>の伝統が有るらしいのです。

石田光成

 

そのような訳で、のこのこ出かけて来た爺が、土地の爺さん達に咎められたというわけ。爺には迷惑千番な話ですが、後で調べて良かったですね。

 

 このような事はそうしばしば有るものではありませんが、山間僻地や離島には実際存在します。自然の空気を吸うが如く、その土地の人の心と身体に染み込んでいるのです。知らないで入って行った人が驚くのです。本土の中央部で、数千年の古い歴史のある北近江の土地でもそうなのです。

爺のような高々百数十年位の暦しかない北海道・札幌の人間には、正直理解しがたいことも有ります。歴史と伝統は日本全国津々浦々に存在しますから、この手の話は沢山聴かれたことでしょう。

 

         ********************************************

 

最近、日本経済新聞のHPに掲載されていた記事<敵は身内、競争を嫌うムラ社会
成長戦略の忘れ物(1) >が有りました。トップレベルの研究者社会やその類にもMURAが存在するのです。何も山間僻地、離島だけではありません。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDF0200R_S3A900C1SHA001/?dg=1

村社会は至る所に存在するのです。

 

本日はオリエンテーションとして、サワリの所を書いて見ました。次回は東南アジアのカンボジア、タイで有った本当のような嘘のような話をして見たいと思います。

 

 

    喫茶店でちょっと一服    

                          株式市場の天気予報    

 

 9/13  14.404.67    17.40  ↑

 基本的に予想の範囲で株価は動いております。やれやれ売りが有りますが、何とかこなしているという状態です。消費税も予定通りのようですし、シリア情勢も小康状態です。今のところ悪材料もありませんので、年末にかけて¥20.000Point狙いは変わりはないと思いますね。

ここでやれやれ売りををするようでは、儲けは出来ないかも。人によって事情が有って、追証が掛かっている方も有りますか・・・ もう少し我慢なされば笑う時が来ます・・・・ここで空売りをするようでは財産が幾つ有っても足りません。今までの相場観を変えることです。

 

 

 

中勢2波動にすでに入っております。

 

月足のチャートでは、まったく新しい世界に株式市場は、すでに入っているという認識が必要ではないでしょうか。暫くすると明確に上値傾向線を突破していることが分かりますでしょう。そうなれば¥20.000Pointが次の目標であることが、明確に認識できるでしょう。

月足チャート

 

 

 

 

金融経済学入門講座

 

 

 

昭和恐慌と金解禁

 

1930年前後の政治経済情勢金解禁-005 

 


 

昭和元年・1926年 大正天皇崩御 ・ 昭和天皇

       1927年 金融恐慌(片岡大蔵大臣失言事件)

              台湾銀行救済緊急勅令枢密院で否訣

       1928年  張作霖爆殺事件

             1929年 ニューヨーク株式市場大暴落・・・世界大恐慌


 神戸市に本店を構えて、台湾との取引を主な商いとしていた貿易商が、時代の波に乗り、金子 直吉という稀代の大番頭の英才で、一躍当時の財閥三井物産をも凌駕するような、大店に伸し上がった鈴木商店。 片や政略的な台湾進出の金融面の中心を担った台湾銀行。この二つの企業が段々密接な取引関係になり、遂には台湾銀行の総貸出額の30%を占めるまでになった事は、既にご紹介しました。

                   旧台湾銀行

* 台湾銀行は当時、一般の市中銀行とは違って発券業務(紙幣発行)も行なっていた、謂わば、中国の中央銀行でした。特殊銀行であるが単純なものではなく、貿易銀行であり植民地銀行であり一般商業銀行であり台湾における国庫金の取扱いを行うなどいろいろなことを行っていた。

                               鈴木 直吉

 

 このような事情から、双方は国策の上に乗った商行為であったと思われます。当然、日本の中枢はこれを黙認し、最高幹部はそれを知る立場にあり、鈴木 直吉もそれを十分承知で大きな取引を行なっていたのでしょう。一介の一商人が如何に才覚有りと言えども、そう簡単にこのような事を出来るものでは有りません。ですが、最後の付けは鈴木直吉個人と台湾銀行に回されました。

歴史の表面に出てくる事実はほんの僅かです。 真実は闇から闇に葬られるものです。世間の人達にはこの生贄を見せ、事件の幕引きを図る。事は筋書きとおりに行ったかどうかは定かでは有りませんが、銀行取付騒ぎが全国に発生し、多くの銀行が潰れ、預金を降ろすことが出来なくなった人達が巷に溢れ、中には自殺をした人達も多く見られました。

                          取り付け騒ぎ

 

 

先回、紹介しました震災手形制度によって、台湾銀行は1億円、鈴木商店は7200万円の未処理の手形が残ったために、震災手形善後処理法という法案を政府は上程しました。

 

その時の未処理手形は総額2億円・・・如何に鈴木商店等のの借財が巨大な額か想像出来ます。それに対して、政府は日本銀行に対して当初の約束通り1億円を公債で補填し、残り1億円は台湾銀行等に公債を貸し付けて当座をしのがせ、鈴木商店等に対しては10年割賦で返済させるという法案でした。

                          枢密院会議

 

この法案を国会休会中に上程し、枢密院の議決、即ち台湾銀行救済緊急勅令で強引に強行突破を図ろうとしました。しかし、1927年に枢密院で台湾銀行救済緊急勅令否訣され、ついには日本の金融経済は転落の坂道を転がり落ちて行くと言うことになります。日本政府の国策とは言いながら、危険な橋を渡ったことになります。台湾銀行は休業状態に陥り、1945年に清算されました。そして、戦後残余財産で(株)日貿信が設立されました。

*台湾銀行救済緊急勅令が否決された裏には、反体政党と枢密院の顧問官との策謀があった模様である。これにより内閣は倒閣した。

   銀行取付騒ぎに対する、銀行の中に積んだ札束の山

 

しかし、これが又後日国会で大問題を引き起こし、遂には金融恐慌に発展して行くのでした。大変な事になって行きました。片岡大蔵大臣失言事件はこの時偶然起こったことでした。

そして大陸の軍部(旧日本陸軍)は、1928年に張作霖爆殺事件を引き起こし、ついに大陸侵攻が始まったのです。これより日本の政治金融経済はさらに大きく歴史の坂を転がり落ちて行ったのです。

次回は<片岡大蔵大臣失言事件の真相から書いてみたいと思います。所謂、銀行取付騒です。

 

 

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サワラチャンの加計呂麻日記-061

2013年09月11日 | 教育

  

 

サワラちゃんの加計呂麻日記

                       -061 

 

                      

 

 

 東シナ海を望む・・・彼方は中国大陸

 

 

    

 8/31で、いよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になりました。目出度く9月になって3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。  島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。 

 

                   特集は島暮らし

 

中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。今回も島暮らしの実体験をご紹介! 

島暮らし-005

 

最近、離島、陸の孤島などに I ターン者 が増えております。しかし、それらの方々の中には一抹の不安が有ると思います。それで、爺が生の情報をお話したいと思います

このシリーズも今回で第5回です。いよいよ佳境に入ってきた感じ。では参りましょう。

 これからは島暮らしというだけでなく、本州・九州・四国などの山奥の限界集落、周りと隔絶されたような陸の孤島状態の地域も含むと、お考え頂きたい。 

 

 

 先にも書きましたとおり、爺は北海道生まれの道産子で、皆さんも知っておられる札幌の「時計台」が、戦後一時期図書館で有った頃から、そこいらで青少年時代を過ごしました。その後、仕事の関係で東京23区内、都下、千葉、神奈川、静岡、愛知・・・特に名古屋は13年間も・・・三重、京都。滋賀県と只管、南下して最後かはどうかは知りませんが、奄美まで来てしまいました。

後残りは沖縄、先島諸島なのですが・・・貝の採取と貝殻図鑑造りが常に頭にあるから・・・どうなりますやら。

 

 

北は北海道から、南は九州沖縄まで・・・何て言う台詞が有りましたっけ。

そのような訳で、旅行を含めるとほぼ日本全国は、満遍なく踏破したつもり・・・つまり、いろいろな日本人の暮らしを見させて貰ったたということになります。そのような前提の上で、島の人や情報がある程度途絶したような地域の方々の思い、考え、習慣の中で、気になった特長のある事どもを、書いてみたいと思います。

これからこのような地域に入って生活しようと思う、年金生活者・Iターン者には幾分参考になりましょうから・・・参考にはなると思っておりますが。

 

 

 

 

   人心・慣習因習

 「島人・シマンチュウ」
 
 
 この単語はここ奄美大島に来てから、初めに知った言葉であり奄美独特の概念でした。爺の北海道もその概念で考えれば、<道産子>であるから、似たようなもので、心情も良く似ている。共に本州地方を「内地」と呼ぶ。子供の頃は<内地に行く>と言ったら、東京に行くと同義語であったんです。一種の羨望感を込めて。 奄美人も案外そうかもしれない。朝鮮、台湾、満州が外地であったように・・・・
 
ただ、この辺りが何か相互の心がもつれた時、面倒な事を引き起こすことにもなるが、最近は相互の交流も昔と違って盛んですから、それ程心配は要らないと思う。しかし、純然たる離島ともなると、幾分その傾向は強いかも。程度問題でも有るが。陸の孤島でも同じです。
 
 
 
 
 対外的な心意気も同じようなものだと思います。<道産子の意地を見せてやるべ~>何てね。大相撲で有名な強い横綱は大抵、北海道か青森出身。でも最近は弱くなった (^~:)
初めて奄美大島に上陸した時、周りの山々の景色以上に驚いたのは、島人の顔の北海道の人間に似ていること・・・本当に驚いた! 間違って来たんじゃないかいなってね。
 
それもそのはず。 ここの地は縄文人の住んでいた地域。北海道のアイヌ人と同系列。学問的にも間違いのない所。唯、北海道と違うのは南方の人達(ミクロネシア・マクロネシアなど)や中国(広東省方面)の人達の混血がないだけ。人種の根幹は同じ。
 
そのような訳で、この事がここに来る決定打となりました。<島人>は「結い」という意識で結ばれている。日本ではどこでもそうですが、田舎に行くと都会にはない共通の精神的概念があります。特に歴史の古い所ほど、奥まった所ほどその傾向は強いようですね。
 
 
 
 
 加計呂麻島に9/08に移住してから、2ヵ月後に土砂災害に見舞われ、自宅の畑の裏の隣接の谷川の土手が決壊し、十数mも土手が流されました。畑は泥まみれ。こんな時十数kmも離れた所から男達がスコップ、ダンプを持参で駆けつけてくれ、泥かきをしてくれましたね。有りがたかったね! 東北大震災の<友達大作戦みたい>・・・・これが「結い」です。
 
何か有ったら、手分けして助け合う!・・・・
 
 先般、関東地方の駅でご夫人が列車に足を車体に挟まれた。 駅員の一声で周りの人達が車体を傾けさせて、無事救い出したましたね。これが世界で大評判!日本人なら<当たり前の事、驚くに当たらない>と言うでしょう。 中国のHP、韓国のHPが驚きのコメントを出しておりました。でも、考えてみればこれは良い面でもあり、外国人には怖い面でも有ると写るらしい
 
 
 
 
 島は漁師の方達も多いので、一見気性は荒らそうではあるが、これは全国共通。 根はサッパリして優しい人が多い。<板子一枚下は地獄>であろうから、気が強くなければ生きていけない。北海道でも同じ。酒は強いし、女性も気は強い、ニャン子も気が強い  ・・・・・いろいろ有りますがな。
 
唯、北海道と違うのは台地の広さ故の、自然に対する恐怖感が違うかも。行けども行けども真っ直ぐな道路が多い北海道と、猫の額のような平らな地の奄美群島。 気温も最低気温が10℃と零下45℃を記録する世界では当然違う。零下の世界は即、死と直結する。だから、生きるが必死という精神状態に結び付く。
 
 
 
 
ケッパル!>という言葉はこれを端的に表している。ノンビリするなどということは死ぬかも知れぬという事なんですね。厳冬のスノー・アウトと呼ばれる吹雪に、野原などで遭遇して御覧なさい。死を何時も連想せずには居られない。経験者はその恐怖感は分かっている。
 
奄美も離島、孤島で生きて来た人達。本土から援助が無い場合は、如何様にしても生きなければならない。北海道も大きな離島であり孤島。 概念は似ている。津軽海峡は最近までは本土と遮断する海峡でした。子供の頃、青森から函館の間には青函連絡船が就航していたが、出航の際は誰もが悲しい思いをしたものでした。奄美も同じですね。
 
 
 
 
ただ、北海道と比較して救われるのは、
 
1- 温暖で雨量が多いから、作物の栽培に苦労しない。(旱魃の時は別かな)
2- 海が傍だからたんぱく質には不自由しない。イノシシも居るさ。
3- 米の栽培が盛んではないから、これは堪えるであろうか。サツマイモ、バナナがあるさ。
本土より無理しなければ生きていけるという、安心感が有るかも知れない。本州ではそうは行かない。雪も降る。 奄美には全く縁もなし。
 
この当たりのところをIターン者がどのように考え評価するかでしょうね。ハブもイノシシも怖い虫も嫌だでは、南西諸島はなかなか住めないでしょうね。でも、紺碧の海と青い空、海水も何時も温く、泳ごうと思えば直ぐ泳げる。水中には珊瑚や海の花が咲く。鉛色の冬の海や飛び込んだ途端に心臓麻痺になる冬の北海道の海とは格段に違う。
 
自然の中に飛び込んでと言うより、溶け込んで住まうという生き方。日本中ならどこの田舎でも可能ではありましょうが、目一杯の自然となると、そんなに多くは有りませんね。そのような訳で奄美群島は絶対お勧めなのです。
 
 
 
 もう一つオマケで言えば・・・奄美群島は世界の貝の代表的宝庫
 
特に加計呂麻島はピカイチと筆者は思っている。
 余り学者以外は薦める言葉を吐かないが・・・・・東京大学の貝の教科書を見て御覧なさい。
奄美の名前が各ページにぞろぞろ出てくる。 新種貝がどれだけあるか分からない。
特に知る人ぞ知る<オキナエビス>科の貝は種類。 奄美は世界最高に多いところ。
 
       ベニオキナエビス
 
 
世界で27種類しかないシーラカンス並みの生きた化石貝。
明治時代、東京大の三浦半島の研究所で採取された貝。 
英国大英博物館から巨額の資金が東大に払われた・・・多額のマネー。
研究官が頂いたボーナス・・ 現代の価格で¥36.000.000円・・嘘じゃないのよ。
今でも家一軒買える金額。それ以後・・・・別名<長者貝
 
ちょっと昔、この種類の貝1個で¥3.600.000円・・・嘘じゃない・・・三重の鳥羽水族館に並んでるよ。見てきたら。 兎に角半端じゃない。それだけ貴重な貝。
 
奄美に移住して・・この貝探してみたら・・・貝探し三日やったら止められない!
 
 

  ?X  

 

 

    喫茶店でちょっと一服   

                          株式市場の天気予報    

 

                             週足によるチャート・51326Week・・・・上値抵抗線突破!

 
 
 
                 中勢2波動を上昇中・・現在NO2の局面    ↓
 
 
 
 最近、日本経済新聞が中勢¥20.000Pointを言い始めた。前から爺の言ってた通りになってきた。兎にも角にも、東京五輪は3~4兆円の経済効果があるとされています。爺は日本人への精神的効果を考えると、そんなものではないと考えます。今回は大材料が出てきた。日露の話も上手く行くかも・・・・そうなりゃ、コンナモンデハな~い!
 
 
 
 

金融経済学入門講座

 

 

 

昭和恐慌と金解禁

 

1930年前後の政治経済情勢金解禁-004

 

「鈴木商店台湾銀行

鈴木商店 

 


 

昭和元年・1926年 大正天皇崩御 ・ 昭和天皇

       1927年 金融恐慌(片岡大蔵大臣失言事件)

              台湾銀行救済緊急勅令枢密院で秘訣

       1928年  張作霖爆殺事件

         *************************

             1929年 濱口雄幸内閣成立 海軍軍縮 金解禁政策

             ニューヨーク株式市場暴落 世界恐慌開幕

             金解禁の大蔵省令公布 翌年1月施行

       1930年  昭和恐慌本格化する 濱口首相狙撃される 若槻礼次郎内閣           

 


 

  先回は1930年前後に発生した「昭和恐慌」と「井上・高橋金融政策」について書きはじめました。悪いときには悪いことが連続して続くもので、時代の土台が傾くような事になって行きました 

                          井上準之助

 
 
  第一次世界大戦が終了してから、所謂、戦争景気なるものが終わりを告げました。 第二次世界大戦後にも日本は朝鮮戦争終了後に、似たような経験をすることになります。第一次の場合は直接戦火を交えることも少なく、もっぱら軍事物資の輸出等の貿易収支の(+)で、外貨を溜め込むという結果になりましたが、戦後は段々それを吐き出して行くだけになって来ました。その原因は次のような事柄が考えられます。
 
1929年の世界大恐慌からはアメリカ向けの繊維輸出、特に生糸、絹織物の輸出が大幅に減り、それが繊維産業の衰退に繫がって行きました。そして、産業構造も昭和に入ってから重化学工業の産業にしめる割合が、徐々に増加していくようになりました。1930年代には32.8%であったものが、1940年代には58.8%を占め、繊維産業が幅を利かした産業構造から、次第に大きく変わって行ったのです。
 
               
                   ロンドン軍縮会議
 
 
この事が日本の眼が英米・社会主義諸国のアジア特に中国への侵略に対する警戒感から、朝鮮、満州への侵攻となり、軍需製品の開発、あるいはワシントン軍縮会議による保有軍艦の割り当てなどが、国内の重化学工業への産業の傾斜を強める要因になって行くのです。工作機械の開発、その他産業機械、化学原料の開発など現在の日本の基盤を造り上げる嚆矢ともなりました。以上が今回の時代背景です。
 
このころ地球規模になって展開し始めた世界金融経済の大波に、日本はすっかり呑まれてしまいました。単に一国の政治経済だけでは泳ぎきれなくなったと言うわけです。国内的には第一次世界大戦の好景気から一転して、世界のデフレ圧力にヒタヒタと押され始め、政友会と憲政会との政治闘争も激しくなり、軍部の独走も少しづつ始まり始め、これをコントロール出来なくなり始めていたころでした。5.15,2.26事件などのクーデターが勃発する前夜でもありました。
 
そのような状態の中で、日本経済は昭和恐慌に遭遇したのでした。それが将来の奈落の底に落ちていく警笛のようにも、国民の無意識の心に響いていたことでしょう。
 
話は核心の<金解禁と解禁禁止、再解禁>にだんだん近づいてきましたが、いま少し他所道へ。
 
 
 次回は「鈴木商店」と「台湾銀行」の問題について、もう少し突っ込んで書いてみましよう。この問題は高校や大学の教養課程の教科書ではサラーっと触れるだけなので・・・
 
 
 
 
 

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