茜ちゃんの「島日記」

奄美群島から文化の発信を試みております。自然・文化・民俗学など想い付くままの事柄どうぞお聞きください。

「茜ちゃんの島日記-008」-03-01

2017年09月22日 | 教育

 

茜ちゃんの「島日記

-008-03-01

 

 

次回のブログ更改は私用のため10月20日(金)と致します。宜しくどうぞ!

 

 

 

台風18号も被害無く立ち去って、漸く涼しい北風も吹き始め、

頃は彼岸である。明日は彼岸の中日。それでも奄美は雨の日が多い。

スコールが来るとすぐ時雨て来る。

 

 

台風の前にバナナやパパイアの樹をロープで固定したが、

11月の初旬まではこのままにして置く。何時台風が来るか分からない。

葉は千切れるが幹を倒されたら堪らない。

バナナの葉は大分被害を受けているが直に元に戻る。

野生の植物の再生力である。子供や赤ん坊が芽吹いて来た。

 

 

 

来年も大きな島バナナが実りますように・・・

二つの畑に現在4本の親バナナが成長している。

来年は食べ切れない程実るかも・・

 

  

 

本日も実は時雨そうであったが、久しぶりに買い物に市街地に出てみた。 

フェリーに乗って島を離れると、何か引っ越しでもする感じ。

港が遠くなると奇妙な感じがして来た。<じゃ、サヨウナラ! お世話になりました!>・・

雨は幸い降らず。また、数時間後には元に戻って来たが・・離島暮らしもカッタルイがもう6年になった。

 

 

 

  

 

 比叡山延暦寺に伝わる「千日回峰行」

 

 

   

 

 比叡山延暦寺に伝わる「千日回峰行」は、およそ1000日をかけて、

合わせて4万キロの山道などを駆け抜けたり、

9日間食事も水も絶って眠らずに祈とうを続けたりする荒行である。

 

   

 

7年間にわたって挑んできた僧侶が、9日間の断食などの難行を乗り越え、

大津市の住職・釜堀浩元さん(43)が18日すべての修行を成し遂げました。

この行を達成したのは戦後14人目だということです。

比叡山・浄土院では「十二年籠山行」という猛烈極まりない厳しい行が更にあるという。

何れにしても並大抵ではとても出来る業ではない。

 

 

   

 

面打ち再開!

 

 -12   

 

  

 

孫次郎秘密 

 

 008 

 

ヲモカゲ・孫次郎 (本面)

 

 

ヲモカゲ・孫次郎にについて、橋岡一路師と初代・堀安右衛門師

二人の現代の名人級の方々が写された女面・「孫次郎」を紹介して来た。

「ヲモカゲ・孫次郎」の真の作者は誰なのか? 専門家の研究では二人の名前が出て来ては居る。

 

1- 金剛太夫 金剛右京久次(幼名・孫次郎)・・・1537~1564

2- 金剛太夫 金剛孫次郎頼勝 ・・・江戸初期・・1662~1700 とされている。

 

しかし、これには大きな疑問がある。それは前回指摘した通りでもある。

 

Q-01 弘安年間に存命していたとされている、石川龍右衛門重政の「孫次郎」が、ある宗家に存在している。

    昭和18年の東京府東京市の公文書まで存在している。  ただ、それが本面なのか、写しなのかは確認中である。

    龍右衛門の活躍した弘安年間は鎌倉末期で有り、赤鶴や氷見等の活躍していた時代である。

   (龍右衛門作の孫次郎の面は、鈴木慶雲氏の「能の面・上・60p」にモノクロームでも紹介されている)

   この事から推察できることは・・右京久次が打つ前から「孫次郎」という型の女面はこの世に存在すると  

   いう事である。研究者の調べでは毛書きの様式も、さらに古くから存在したという事だ。

 

Q-02  桃山から江戸初期に活躍した是閑吉満(1528~1617)の「孫次郎」も存在する。

 

是閑にしては余り良い出来とは云いかねるが・・鼻筋の右振り、全体的な骨組みを見ると、

  本歌は「オモカゲ・孫次郎」である。これが確定すれば金剛孫次郎頼勝の線は消える事になる。

河内は(1582~1645/1658)とされているから、河内の「孫次郎」を写したと云う仮定は、

存在する可能性は有るが、骨組みが異なるし、天下一是閑のプライドが許すまい。 

 

孫次郎(国立博物館資料)

  

 

そこで今回ご紹介するのが、「故・長澤氏春師」である。

長澤氏春師の打った「孫次郎」と天下一・河内の「孫次郎」比較して頂きたい。 

  

 長澤氏春師

 

長澤氏春 写し・「孫次郎」 河内家重 作「孫次郎

  

 

長澤氏春師は生前から河内を尊敬し、逝去日まで同じ4/20という程の現代最高の能面師であった。

河内の「孫次郎」と比較するなら、<ドンピシャ!>の写しである。

どう間違っても「ヲモカゲ・孫次郎」の骨組みは見えてこないである。

何故なのか?」

この事実から見ても、「オモカゲ・孫次郎」以外に

もう一つの「孫次郎」の型が存在したという事になるのではないだろうか。

橋岡 一路師や堀 安右衛門氏は明らかに「ヲモカゲ・孫次郎」を本歌として

写しているのは事実であり、今迄ご紹介した通りである。

長澤氏春師は河内の研究家としても専門家である。

ただ、師の著書の中にはその辺りの経緯は書かれていない。

 

 

今回の能面は上記の長澤氏春師の能面集から掲載した。

孫次郎 ・ 長澤氏春師

   

 

万媚・長澤氏春師

  

 

次回はもう一方の能面師・故高津紘一氏の「孫次郎」をご紹介したい。4人の高名な能面師の孫次郎には、

明らかに2種類の「孫次郎」の型が存在することをハッキリ暗示する。

最後の結論はそれからじっくり考えてみたいと思う。いずれにしても話のキーマンは、

弘安年間に在世したとされる、石川龍右衛門重政である。能面史における最重要人物である。

堀安右衛門師、長澤氏春師の作品は次回にも更にご紹介する予定である。 

 

次回は私用のため10月20日(金)と致します。

 

        


「茜ちゃんの島日記」-008-02-02

2017年09月08日 | 教育

 

茜ちゃんの「島日記

-008-02-02

 

 

 

 

 

 

 

 

台風5号が奄美大島に接近してからもう1ヶ月 

その後は晴れの日と高温の毎日。奄美に来てから最も過ごしにくい夏となった。

 

       

 

それでも自然は確実に秋に向かっている。

パパイアも大きな実を付けて、今年いっぱいはこれで充分と云う位。

島バナナの子供が数本芽吹いて来た。来年には親と同じくらいになる。

去年秋に植えた赤ん坊位の島バナナは元気で、こんなに大きくなっている。

 

 

 

 

 

 

  

 

 先月台風5号で倒壊したハゼの樹にカブレて大変な目に遭ったが、一か月経って漸く治癒した。

 

 

 

     

 

「自然塩」による東洋医学的な治療方法で、痒みに悩まされる時間は大きく削がれた。

免疫疾患でお悩みの方は、このやり方も良いのでは・・・

問題はもう一本の更に大きなハゼの樹の大木をどのように枯らすかという問題。

海水を毎日根元に撒く。これが確実で被害が出ない方法かも。またしても「塩」である、 

 

 

 

 

 

  

面打ち再開!

 -11 

  

 

 

孫次郎秘密 

 007

 

 ヲモカゲ・孫次郎」シリーズも7回目になって来た。

先回から現代能面師の最高峰・初代 堀安右衛門師に舞台が移ってきた。

 

ヲモカゲ・孫次郎 (本面)

 

先ずは初代 「堀安右衛門師の孫次郎」の写しと「河内の写しの孫次郎」をご覧いただきたい。

 

孫次郎の写し

 

堀 安右衛門 写し            河内 写し

 

                   

 

一見して分かる事は、眼の切り方や鼻筋の振り方が全く違うという事に気が付く筈である。

初代・堀安右衛門氏の写しは、本面・ヲモカゲ・孫次郎を忠実に写しているのがすぐ理解できる。

本面を傍に置かなければとても写せる代物ではない。如何であろうか。

 

河内の写しは特に鼻の振り方は右左が逆になっている。何故なのだろうか。

本面・ヲモカゲ・孫次郎は右振りである。河内は明らかに左に振っている。

河内は桃山時代から江戸初期にかけて活躍した名工で、「天下一」の称号まで受けている。

河内の「孫次郎」は現在、京都・金剛家の孫次郎として実際に演技に使われている。

 

若女 河内 本面

 

    

 

学問的には「若女」は河内が創作した女面という事になってはいる。

果たしてそれが真実かどうかは、断定は出来ないのであるが・・・

観世流はそれまで「深井」を女面の主要な面として使って来たが、河内に「若女」を創作させてからは、

以後は「若女」が観世を代表する女面となってくる。

観世流の「深井」には雪・月・花の3種類の面が存在するのも、この間の事情を物語るものである。

 

初代・堀安右衛門師が自ら書いた文章の中で語っていることは・・

如何にこの孫次郎を写すことは困難な面か・・ということである。

 

ヲモカゲ・孫次郎・本面

 

            

 

ヲモカゲ・孫次郎・堀 安右衛門師 写し

 

          

 

本面を横に置いて、緻密な型紙を本面から採り、新たに写すという技は、大変な技術と労力が要るであろう。

堀師は若い時から金剛流を初め数々の宗家の古面を、修理修復してきた大ベテランである。

その方にしてこの弁である。先回の橋岡 一路師も奇しくも同じことを言われている。

如何に「ヲモカゲ・孫次郎」が大変な逸品で有るかという事が解る。

 

孫次郎の写しの詳細 堀 安右衛門師

 

       

 

 

頬の高さ 

 

「頬」の高さの如何に薄いかがこれで解るであろう。この部分が孫次郎を写す際の最大の難しい部分で有るようだ。

 

 

 

眼の切り方の秘密

 

眼球の部分の下瞼を注意して観て欲しい

この部分だけ眼球の大きさに合わせて、下瞼を盛り上がらせるように細工している。

実に細かいところまで神経が行き届いているかが解る。

これは堀安右衛門師が本面を傍に置かなければ、打つことが出来ない実例でもある。

 

本面・ヲモカゲ・孫次郎を傍に置いて写した能面師は、

現代においては橋岡一路師と初代・堀安右衛門師しかいないという証拠でもあろう。

 

 

 天下一・河内がこのような写しを打っているかの理由は別にあると思う。

河内はヲモカゲ・孫次郎を横に置いて写せる立場と時代背景が存在する。

にも拘らずである。ここに孫次郎の根本的な秘密が存在するからだ。

 

その答えは 

孫次郎」には古来より型が2つ存在する。

河内が意図的(ヲモカゲ・孫次郎とは別のもう一つの型)に違った様式で孫次郎を写した。

 

この事に付いては長澤氏春師、高津紘一師の孫次郎をご紹介した後で、

最後に結論を再度書いてみたいと思う。

今回は現代の名工・初代・堀安右衛門師の能面集や書籍から抜粋してご紹介した。

 

次回は堀安右衛門師の作品を数点ご紹介しながら、更にヲモカゲ・孫次郎の秘密を探ってみたい。