茜ちゃんの「島日記」
-008-03-01
次回のブログ更改は私用のため10月20日(金)と致します。宜しくどうぞ!
台風18号も被害無く立ち去って、漸く涼しい北風も吹き始め、
頃は彼岸である。明日は彼岸の中日。それでも奄美は雨の日が多い。
スコールが来るとすぐ時雨て来る。
台風の前にバナナやパパイアの樹をロープで固定したが、
11月の初旬まではこのままにして置く。何時台風が来るか分からない。
葉は千切れるが幹を倒されたら堪らない。
バナナの葉は大分被害を受けているが直に元に戻る。
野生の植物の再生力である。子供や赤ん坊が芽吹いて来た。
来年も大きな島バナナが実りますように・・・
二つの畑に現在4本の親バナナが成長している。
来年は食べ切れない程実るかも・・
本日も実は時雨そうであったが、久しぶりに買い物に市街地に出てみた。
フェリーに乗って島を離れると、何か引っ越しでもする感じ。
港が遠くなると奇妙な感じがして来た。<じゃ、サヨウナラ! お世話になりました!>・・
雨は幸い降らず。また、数時間後には元に戻って来たが・・離島暮らしもカッタルイがもう6年になった。
比叡山延暦寺に伝わる「千日回峰行」
比叡山延暦寺に伝わる「千日回峰行」は、およそ1000日をかけて、
合わせて4万キロの山道などを駆け抜けたり、
9日間食事も水も絶って眠らずに祈とうを続けたりする荒行である。
7年間にわたって挑んできた僧侶が、9日間の断食などの難行を乗り越え、
大津市の住職・釜堀浩元さん(43)が18日すべての修行を成し遂げました。
この行を達成したのは戦後14人目だということです。
比叡山・浄土院では「十二年籠山行」という猛烈極まりない厳しい行が更にあるという。
何れにしても並大抵ではとても出来る業ではない。
面打ち再開!
-12
孫次郎の秘密!
008
ヲモカゲ・孫次郎 (本面)
ヲモカゲ・孫次郎にについて、橋岡一路師と初代・堀安右衛門師の
二人の現代の名人級の方々が写された女面・「孫次郎」を紹介して来た。
「ヲモカゲ・孫次郎」の真の作者は誰なのか? 専門家の研究では二人の名前が出て来ては居る。
1- 金剛太夫 金剛右京久次(幼名・孫次郎)・・・1537~1564
2- 金剛太夫 金剛孫次郎頼勝 ・・・江戸初期・・1662~1700 とされている。
しかし、これには大きな疑問がある。それは前回指摘した通りでもある。
Q-01 弘安年間に存命していたとされている、石川龍右衛門重政の「孫次郎」が、ある宗家に存在している。
昭和18年の東京府東京市の公文書まで存在している。 ただ、それが本面なのか、写しなのかは確認中である。
龍右衛門の活躍した弘安年間は鎌倉末期で有り、赤鶴や氷見等の活躍していた時代である。
(龍右衛門作の孫次郎の面は、鈴木慶雲氏の「能の面・上・60p」にモノクロームでも紹介されている)
この事から推察できることは・・右京久次が打つ前から「孫次郎」という型の女面はこの世に存在すると
いう事である。研究者の調べでは毛書きの様式も、さらに古くから存在したという事だ。
Q-02 桃山から江戸初期に活躍した是閑吉満(1528~1617)の「孫次郎」も存在する。
是閑にしては余り良い出来とは云いかねるが・・鼻筋の右振り、全体的な骨組みを見ると、
本歌は「オモカゲ・孫次郎」である。これが確定すれば金剛孫次郎頼勝の線は消える事になる。
河内は(1582~1645/1658)とされているから、河内の「孫次郎」を写したと云う仮定は、
存在する可能性は有るが、骨組みが異なるし、天下一是閑のプライドが許すまい。
孫次郎(国立博物館資料)
そこで今回ご紹介するのが、「故・長澤氏春師」である。
長澤氏春師の打った「孫次郎」と天下一・河内の「孫次郎」比較して頂きたい。
長澤氏春師
長澤氏春 写し・「孫次郎」 河内家重 作「孫次郎」
長澤氏春師は生前から河内を尊敬し、逝去日まで同じ4/20という程の現代最高の能面師であった。
河内の「孫次郎」と比較するなら、<ドンピシャ!>の写しである。
どう間違っても「ヲモカゲ・孫次郎」の骨組みは見えてこないである。
「何故なのか?」
この事実から見ても、「オモカゲ・孫次郎」以外に
もう一つの「孫次郎」の型が存在したという事になるのではないだろうか。
橋岡 一路師や堀 安右衛門氏は明らかに「ヲモカゲ・孫次郎」を本歌として
写しているのは事実であり、今迄ご紹介した通りである。
長澤氏春師は河内の研究家としても専門家である。
ただ、師の著書の中にはその辺りの経緯は書かれていない。
今回の能面は上記の長澤氏春師の能面集から掲載した。
孫次郎 ・ 長澤氏春師
万媚・長澤氏春師
次回はもう一方の能面師・故高津紘一氏の「孫次郎」をご紹介したい。4人の高名な能面師の孫次郎には、
明らかに2種類の「孫次郎」の型が存在することをハッキリ暗示する。
最後の結論はそれからじっくり考えてみたいと思う。いずれにしても話のキーマンは、
弘安年間に在世したとされる、石川龍右衛門重政である。能面史における最重要人物である。
堀安右衛門師、長澤氏春師の作品は次回にも更にご紹介する予定である。
次回は私用のため10月20日(金)と致します。