茜ちゃんの「島日記」

奄美群島から文化の発信を試みております。自然・文化・民俗学など想い付くままの事柄どうぞお聞きください。

「茜ちゃんの島日記」-008-02-01

2017年08月24日 | 教育

 

 

茜ちゃんの「島日記

-008-02-01

 

 

 

 

 

 台風5号が西太平洋から日本海まで延々と走り続けた。

史上3番目の長生き台風となったとか。でも、奄美も被害が出た。

自宅は何でもなかったが、大きなハゼの樹が倒壊した。

都会育ちには解らないこの木の怖さ。

 

 

小枝を掃っている時にカブレてしまい、数日後から現在までその影響が出ている。

カブレの強さは漆以上で全身の症状になる。今も時々は少し痒くはなるが。

昔から蝋の原料にこの木の実を使っていたので、

各所に植えられているのだ。隣地の空き地に生えて来たようだ。

小鳥が実を運んで来たのかもしれない。

 

ハゼの樹

           

 

お陰で一時腕がこんなになってしまった。痒さは大変なものだ。

免疫疾患が持病なので医者での治療は注意を要する身である。簡単に軟膏を使う訳にも行かぬのである。 

ある日の朝方不思議な夢を見た。内容は定かでないが・・

起きかけに「塩」という言葉をはっきり覚えている。

 

              

 

何故なのか意味が解らない。ふと考え付いた。

傍のパソコンのスイッチを入れて、<塩 カブレ 痒み >と打ってみた。

何も出てこない。しかし、暫くして・・本州の山間の温泉旅館のご主人の投稿・・・が眼に止まった。

詳細に順を追って「自然塩」を使った、「痒み・カブレの手当て」が記載されていた。

何度も読んで・・そのまま実行してみた。

終了後・・何と痒みがピタッと止まったではないか。<これは凄い!!>

 

 

 

自然塩は海水をから製造する。安い科学塩ではない。塩の成分以外に多くのミネラルが含まれている。

高級品は結構高い。味も可なり良いのも道理だ。このミネラルが痒みを止めるのであろう。

細胞の中の「ヒスタミン」の活動を押さえるようだ。それで痒みが止まる。

後は人間の治癒力であろう。今は痒みは殆どない。偶にヒリヒリするが。 

 

   

 

 

 

 

 

自然塩を使った治療方法

 

1- シャワーなどで身体を温める。毛穴を開かせるためであろう。

2- 中位の容器に自然塩を入れる。 底に塩が残る位に過飽和状態にする。

3- 刷毛などで患部を丁寧に塗る。

4- 暫く置いてから・・お湯で丁寧に患部を洗う。塩気を取り除く。

5- 冷たい水で患部を再度洗う。 細胞の中のカブレ物質を絞り出す効果であろう。

6- タオルで患部を注意して拭う。他に遷る可能性も有るので、即その後タオルは洗濯すること

7- 強い扇風機の風で患部を乾かす。

 

 これでOKである。 まだ痒みが出る様なら、時間を置いて同じことを繰り返す。

何回か繰り返すうちに自然に痒みが消えて行く。不思議である。

大事な事は無意識に患部を掻かぬように注意をすること。

アレルギー体質の方向けには良い方法かも。病院での治療も否定はしない。

ただ軟膏の弊害も有るから、気を付ける方向けである・・・参考までに

 

 

 

  

 

   

面打ち再開!

 -10

 

 

 

 

 

孫次郎秘密 

 006

 

 

 

初代 堀安右衛門 師

 

ヲモカゲ・孫次郎>は今回で6回目になった。先回までは橋岡一路師であったが、

今回からは同じ年齢の86歳で、関西を代表する能面師・初代堀安右衛門師の登場である。

 

 

堀安右衛門の経歴

 

1931年 京都府福知山生まれ 本名・堀 博之

1953年 謡曲を河村師 狂言を茂山三郎師に習う。狂言面の修理・写しを始める。北澤如意師の内弟子になる。

1958年 能面師として独立する。このころから観世流の観世寿夫師の指導を受ける。

 

 

           

 

 

堀安右衛門師は現在、福知山市内で活躍されている。現在まで現代能面師の中では、最高の能面集や指導書を上梓されて来た。

        1- 平成20年 「能面を打つ」 淡交社

        2- 平成16年 「面からたどる能楽百一番」 淡交社

        3- 平成14年 「能面打ち 堀安右衛門の作品と技  (上) 淡交社

        4-  平成14年 「能面打ち 堀安右衛門の作品と技 (下) 淡交社

                5-   平成 1 0年     「能面 面の打ち方」 淡交社

                6-   平成 03年  「能面打と入門」 DVD 平凡社

 

   

 

今回からはこれらの全てを使って基礎資料とし、さらに<ヲモカゲ・孫次郎>に迫ってみたい。

今回は 「能面を打つ」 淡交社 から、師と親交のあった観世寿夫師の言葉を抜粋して見る。

 

室町時代の能面師の増阿弥、龍右衛門、越智、赤鶴、福来、氷見達の作品は、

それ以後の時代の能面と比較すると、まるで月とスッポンである

 

其れに引き続いて、堀安右衛門師曰く・・

 

河内、是閑、満照などは、本面を直接手に入れて写している

大宮大和(河内の弟子)は卓越した打ち手である。次の時代の人は写しを手本にして写している

 

 

孫次郎 河内作

 

 

この二つの文章は非常に重要な事を暗示している。

桃山~江戸期の河内、是閑の作品もスッポンだと言っているのである。

能面の創造期の作品の素晴らしさを指摘している。確かに河内は「若女」を初めて打った。是閑も超一流である。

それでも、河内は金剛家の依頼で「孫次郎」を打ち、現在も金剛家(京都)の代表的所蔵面である。

河内の「孫次郎」は本面「ヲモカゲ・孫次郎」を傍に置いて打った可能性はかなり高い。

(結果的には河内の孫次郎の面相は「ヲモカゲ・孫次郎」とは違う面相になった。

これには他の秘密がある。鈴木慶雲師がそれを著書で暗示している)

 

ヲモカゲ・孫次郎

 

 

ここの記述は非常に大事なのである。

明治期に入ってからは少なくとも、初代堀安右衛門師と橋岡一路師は、

本面「ヲモカゲ・孫次郎」を傍に置いて、写したことは両者の関係の資料の記述などからそれを証明できる。

これは間違いない事実である。

江戸期の初期の何時までそれが可能で有ったかは、次回以降に詳細に述べてみたい。

 

 

     

  

 


「茜ちゃんの島日記」-008-01-03

2017年08月17日 | 教育

 

 

茜ちゃんの「島日記

-008-01-03

 

 

 

 

台風も去って一安心とはいかなかった。 

その後はまた雨が降らなくなった。通年なら70~80%の確率で雨の日だそうだ。

8月いっぱいはカラカラ天気のようである。東京は反対に8月17日までは全て☂。

今年は台風を初め気候は酷い年になって来た。

 

 

台風の大風で塀の外のハゼの樹の大木が倒壊した。

危うく電話ケーブルと電気のケーブルの間に落ちた。

しかし、除去作業の時にハゼの樹液にカブレてしまった。

兎に角、大変な迷惑を被った。

 

        

     

 ハゼの樹のカブレは漆よりも強いとか。なかなか治らないが最近やっと落ち着いて来たようだ。

もう、時間の問題であろうか。大変な目に遭った。   

 

  

 

 

  

 

藤井棋士のチャレンジ 

 

 

 30連勝は惜しくの逃したが、その後活躍も目覚ましい!

大阪市の関西将棋会館で行われた王位戦の予選で小林健二九段(60)を120手で下し、公式戦の通算成績を36勝3敗とした。 

勝率は1967年から破られていない中原誠十六世名人(69)の0・854(47勝8敗)を上回るペースで、

再び記録で脚光を浴びる可能性が出て来た。さて、どうなるか?

 

       

 

 

 

 

 

  

 

   

面打ち再開!

 -9

 

 

 

孫次郎秘密 

 005

 

「ヲモカゲ・孫次郎」も能面師・橋岡一路師から始まって大分歩みが深まった。 

今回は「三井家旧蔵 能面」と「橋岡 一路能面集」に掲載された、

橋岡氏の文章を紐解いてみよう。橋岡一路師は当年86歳である。

 

 能面師・橋岡一路

      

 

橋岡一路師の簡単な略歴

 

昭和6年(1931年) ・ 大阪観世流 橋岡家六世忠三郎雅雪の曾孫 七世泰次郎の子

昭和20年 ・ 東京美術学校入学(東京芸大) 畑教授に師事。(能面)

昭和24年 ・ 宝生流能面師 鈴木慶雲師(高村光雲弟子)に師事。

昭和27年 ・ 岐阜県 永泉寺 国宝十一面観音菩薩像の模刻(東京別院 善長寺)

昭和31年 ・ 国立博物館所蔵能面・狂言面を六面修復する。

昭和57年 ・ 国立能楽堂所蔵面 十四面修復する。

昭和58年 ・ 宝生流面師となる。

昭和61年 ・ 井伊家所蔵能面 二十六面修復する。

 

                   

 

平成元年 ・ 三井文庫 旧金剛流本面・五十四面公開展示に伴う「白式翁・花の小面・増女・牙べしみ」(重要美術指定)の修復する。           

       この際「ヲモカゲ・孫次郎」の修復は延期となる。

平成二年 ・ 文化庁・三井文庫の特別許可が下りる。<ヲモカゲ・孫次郎の写し許可>

       修復作業は6/05~11/27まで掛かった。 12/10に写しを三井文庫に寄贈した。

                                      以上 「橋岡一路能面集」より適宜抜粋した。

       

 ヲモカゲ 孫次郎 (写し) 能面師・橋岡一路

 

 

 

昭和39年 白洲正子著書「能面」(読売文学賞)

序文

生きている間は一所懸命に生きなければと思う。それが我が師、我が友へのせめてものの感謝のしるしであり、恩返しのつもりである

 

 

橋岡一路師が能面集を出された時、橋岡氏が尊敬しておられた当代一流の著述家白洲正子氏が序文を書かれた。

 

本面・孫次郎 銘 ヲモカゲ

 

         

 

 

おもかげ花 三井家旧蔵 能面 より抜粋掲載

 能面の写しと修復についておもかげ孫次郎を写す

 

不思議な面もある。美の極致とでもいおうか、いつのまにか深遠なる世界に引き込まれる。ふと我にかえる。

いったいこの魅力はどのようにして生まれたのであろうか。

現存する能面のなかでもっとも美しい面といえば、

たれもがこの「おもかげ 孫次郎」をあげるであろう。

 

彩色は全体に雲母(キラ)入り打ち彩色で、やや淋しげな表情は品格も高く、

におうがごとき趣があり、「思いを内に秘めた」日本女性特有の気品ある美しさがここに有る。

「中略」

面を打つ者にとって、この「おもかげ」を写したいとの念願は、生涯脳裏を離れない。

しかし、女面の中でも最高にむずかしい微妙な表情を持っている面であるがゆえに、

なかなか手が出ないのも事実である。

「中略」 

 

           

 

平成二年 五月十一日、「おもかげ」を写す特別許可によってかなえられた。

「中略」 

頬が低く、こんなにも薄い面があるものか、何と平坦な面であろう。彩色も雲母がいぶし銀にも似て古色が深く、

そのなかに涼しげな目と優しい口もとが、私に何かを語りかけて来る。

野上豊一郎氏は「能の幽玄と花」のなかで、そこには「小面に感じられるような肉の美しさともちがった、

謂わば人間的であって、人間的でないような美しさの中から抽出された美しさそのものが、

霞の如く淡雪の如く漂ってゐるのを感じる」と述べている。そして、

いづれにしても、余程非凡な腕でないとこれだけ整った美しい面は打てないであろう。

それほど類例のない数少ない華麗な面である。

  以上 「三井家旧蔵 能面」より適宜抜粋した。

 

 次回から橋岡一路師と同年齢で、現代の能面師の最高峰を行く「堀 安右衛門」へ移って行く。

次回は8/25と予定している。

 

 

 

 

 

 

 

 


「茜ちゃんの島日記」-008-01-02

2017年08月11日 | 教育

 

 

茜ちゃんの「島日記

-008-01-02

 

 

 

 

台風5号

 

 

 

今回の台風は史上3番目に寿命の長い台風であったようだ。

西太平洋のど真ん中で発生し、蛇のようにノタウチながら、北に行ったり南に行ったり・・

 

 

その内に西南諸島方面に向かい始めた。途中で北上するかと思いきや、

奄美大島に向かい始めたのには驚いた! 一時は自宅の真上を通過するような予報にもなった。

台風の眼の中に入るかと期待していたが残念!

 

 

 

奄美大島と喜界島の付近まで来ると、トカラ列島の方向へ旋回し始めた。

偏西風の影響である。突然、動きが鈍くなる。自転車の速度で動き出す。

その間は大雨で警戒警報が出っぱなしとなった。600mmの雨量は史上最高レベル。

土砂災害が島の彼方此方で発生し、道路が寸断し避難指示が出る事となった。

 

     

 

自宅の高い塀の上に大きな樹が倒れて、電線と電話線の間に嵌りこんだ形。

危うく情報ラインが途切れる羽目になるところであった。ヒヤヒヤ!

 

    

 

島バナナは切り落としてあったので、倒れる事はなかった。すべて無事であった。

バナナの実は現在「熟成させる島の独特の方法」で室内で吊るしてある。

全体が黄色くなるまで暫し掛かるかな?

島バナナは高級品で1㎏=¥2.500円とか。熟成まで楽しみにしている。

 

     

 

パパイアは一個実が落下しただけで被害なし。

早速、野菜として確保。野菜炒めの材料に・・

 

その後の台風は気象庁などの専門家の予報を悉く欺いて、四国の室戸岬を掠めて紀州和歌山に上陸する。

その後紀ノ川を遡り「根来寺」➡「桜井・聖林寺」➡「長谷寺」と上り、

急に旋回して奈良の南都の寺院を参拝して、伊賀を超えて琵琶湖を坂上り北近江に至る。

そのまま日本海へ出るのかと思いきや、白山を目指して越中の七尾湾迄駆け上がった。

そこで日本海に出る予想を覆し、新潟方面まで列島伝いに北上し、やっと温帯的気圧に変身した。

蛇と云うか龍と表現して良いものか・・とんでもない台風の航路であった。

 

 

これから西南諸島は台風シーズンに突入する。大体11月上旬までが危険な時期である。

今年の気候は当初異常であった。雨が降らず高温で作物が育たない。

可なりの野菜が枯れてしまったり、生育不良となった。島に来てから初めて野菜を本州から買った次第である。

本当に驚いている。このままだと11月までは駄目かも。

イノシシの被害も多かった。食べ物が無いのであろうな。毎日何もない畑を穿り返している。

 

     

 

山鳩の鳩子は無事であった。倒壊した木の枝で「ポッポー ポッポー」と鳴いている。

今はペット替わりで、朝の会話を楽しんでいる。可愛いものだ。

今年は「バンシロー」の実も生らなかった。益々異常を感じる。

 

 

 

 

そのような訳で・・台風の後始末に8/09までは追われる羽目になって・・・

8/10になってブログの事に気が付く有様・・机の上はこんな状態。

 

    

 

 現在、4セットのパソコンの内2台を使って、ブログを作っている。

台風が来ている間は自宅に引き籠るしかないので、能面集を丹念に観ていた。

お陰で思わない資料も発見! これからのブログのネタになりそうである。

 

      

 

宗家の能面集は大凡持っているので、例えば能面の種類ごとに或は面打ち師の作者毎に、

データーの編纂をすることが出来る。これを事細かに研究すると・・・

データーの編纂・分析の方は少々プロなので・・中々将来が面白くなるという塩梅に達したのである・・

「災い転じて 福となる」であろうか。

 

 

 

 

 

面打ち再開!

-8

 

 

 

孫次郎秘密 

 004

 

 

             

 

 資料集を引っ繰り返している内に、「ヲモカゲ・孫次郎」の秘密が段々解けて来た。

それは専門家のいろいろな説の裏付け資料の発見や、この能面を修理した能面師の実話を、

能面集の解説から本人の論文として引き出せたことからである。学者や専門家の説は兎も角として、

修理に携わった能面師の言説の信用度は極めて高い。眼の付け所が全く違うのである。

 

 ヲモカゲ・孫次郎

 

 

この小面についての詳しい事は、このシリーズの最後に纏めてみる事としているが・・・

この能面は現代に入って二人の能面師によって修理を行っている。初代・堀安右衛門師と橋岡一路師のお二人である。

現在、「三井文庫所蔵」の<花の小面>も お二人が修理を行っている。奇遇である。

雪・花・月の小面」については、ヲモカゲ・孫次郎」の次に取り上げたいと予定している。

 

「小面・

修理前                   修理後

       

 

 今回は思わぬ台風の被害で大きく場所を取ったので、以降は次回8/18にとすることに・・・・