徒然草第百四十段は財産を残すな、という話である。
「身死して財(たから)残ることは、智者のせざるところなり。よからぬ物貯え置きたるもつたなく、よき物は、心留めけむとはかなし」
「価値のないよくないものを集めておくのは見苦しく、逆に価値の高いものならそれに執着したのだろうとむなしさを感じる」と兼好法師はいう。
我々は庶民は価値のあるものを残すことは難しいが、他人には価値のないガラクタを貯めてしまうことは多い。コロナウイルス騒動で自宅籠りが続く中、身辺整理をする人が多く、家庭ごみが増えている。回収される方にはご苦労様だがいずれ廃棄されるものだからこの機会に整理が進むことは歓迎すべきだ。
兼好法師は財産があると「自分には貰う権利がある」などと主張するものが現れ相続争いが起きるのは醜悪であると述べている。相続争いは何時の時代でも起きるものなのだ。
ただし私はこのところ「相続争いブーム」は沈静化しているのではないか?と感じている。
6,7年前に相続学会を立ち上げた時は「争族」という言葉がはやり、相続争いをテーマにしたテレビドラマが放映されたが、今はあまり相続争いという言葉を目にしなくなった。これは相続争いが減ったというよりは、相続争いが日常化(たとえば夫婦喧嘩のように)して話題性が乏しくなったからではないか?と私は考えている。
とはいえ「少子化により相続人の数が減り争いが少なくなった」「遺言書を作成する人が増え争いが減った」という面もあるだろう。更には長生きして争う程の財産を残す人が少なくなったという面もあるかもしれない。
兼好法師は財産があれば、生前贈与し、日常不可欠な品々以外のものは残さずに死ぬのが理想的だと述べている。終末期医療にかかるお金が観通し難い現在では難しいことではあるが・・・