金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

セーフティネット、米・北欧型の折衷は可能なのか?

2010年04月21日 | 社会・経済

今日(4月21日)の日経新聞朝刊の「経済教室」は、「日本の政策体系は、フランス型の保守主義レジームと米国型の自由主義レジームの折衷から、スウェーデン型の社会民主主義レジームと米国型の自由主義レジームの折衷に移行すべきだ」と主張していた。

政策体系というと非常に幅が広いが、ここでは「社会政策体系」という意味で使われているので、以降社会政策体系とする。なお社会政策という場合に狭義には社会保障政策を指すが、ここではより広義な「労働、教育、住宅等を含む社会政策全般」という意味で使う。

私がこの論文を読んで問題を感じた点は次の2点である。一つは「社会政策体系はその社会の伝統、共有される価値観、宗教観と整合するものでないと定着しないが、その視点が欠落している」という点だ。

もう一つは「スウェーデンのような高い税金(含む社会保険料)を通じて所得再配分を図る社会政策を『社会民主主義』と呼ぶことで、スウェーデンの思想基盤を誤解する危険性はないか?」という点だ。

まず前者について述べよう。米国型の自由主義レジーム(形態)の根底には「自助努力の精神」があるが、それと同時に「キリスト教的な隣人愛やその具現としての喜捨」がある。無論富める者が貧者に喜捨することを勧めるのは、キリスト教の専売特許ではなく、イスラム教も仏教も重視している(もっとも今の日本の仏教は葬式仏教化し、喜捨の重要性を説くことを忘れている)。この喜捨の精神がボランティア活動につながり、国による社会保障を補完している訳だ。

もう一つ米国の自由主義レジームを考える場合見落としてはならないことは、才能や運に対する宿命論的な考え方であると私は考えている。才能のことを英語でgiftというが、これは「神が与えてくれたもの」という意味だ。つまり非常に大きな社会的成功につながる才能というものは、努力によって得られるものではなく、神から与えられた天賦のものという考え方だ。

また事業に成功したり失敗することも個人の努力だけでなく、運不運によるところが大きく、その運不運とは人間の推し量ることができない神の意思による・・・とする考えがあると私は考えている。このように考えると成功した人はその成果を社会に還元するべきだし、失敗した人にも立ち直りの機会を与えるべく、過度の負担は求めないという思想が生まれてくる。

一方日本では「因果応報」の考えが強いため、努力する=成功する、失敗=努力していないという構図を描く傾向が強い。日本の成果主義が失敗する原因の大きな理由は、努力=成果と短絡化し、成功しない者は怠け者と仕訳するところにある。世の中はそんなに単純ではないのだが・・・・

ノンリコースローンだとか、責任財産限定型のパートナーシップといったファイナンス手法は米国発祥のものが多いが、その根底には「人間には努力で克服できない不運による失敗がある。その失敗について当事者に無限責任を負わせるのは不当である」という考え方があり、その根底にはキリスト教的価値観が横たわっていると私は考えている。

ところでスウェーデン型の高福祉政策レジームの基盤は何であろうか?それは1960年代に知的障害者の福祉に努めたベンクト・ニィリエBengt Nirjeの「ノーマライゼーションの理念」であると言われている。「ノーマライゼーションの理念」とは、障害者等社会的弱者が可能な限り普通の環境で生活できるようにするという理念だ。スウェーデンの高齢者介護の基本は在宅介護であるが、その根底には「ノーマライゼーションの理念」があるのだ。

スウェーデンなど北欧諸国は雇用や政治参加で男女平等が最も進んだ国であるが、その根底には「ノーマライゼーションの理念」があると考えることができる。

私はこの「ノーマライゼーションの理念」と米国型の「自助努力の精神」は対立するものではなく、同一の思想基盤に立つものだと理解している。それは「人間の自主性の尊重」や「強烈な個人主義」である。

米国型の低負担・低福祉レジームとスウェーデン型の高負担・高福祉型レジームは所得の配分スキームとしては、対極をなすものだけれど、その違いはむしろ国や社会の成り立ちの歴史に求めるべきではないだろうか?

そこでもう一つの論点のスウェーデンを『社会民主主義』と呼ぶことで思想基盤を誤解することにならないか?ということを論じたい。日本では社会民主主義を掲げる政治団体の中に国防問題を軽視する傾向があるので、特にこの問題を取り上げるのだが、ロシア・プロシア(ドイツ)など大国との戦争に疲弊したスウェーデンは17世紀から「武装中立」を掲げている(二度の世界大戦にも不参加)。国民には兵役義務がある。つまりスウェーデンという国は平和を守ることは相当の努力と犠牲を伴うということを国民が納得している国なのだ。スウェーデンは欧州連合には加盟しているが、国民投票の結果、国家主権が損なわれるとしてユーロには参加していない。これは国家主権ということに国民が高い関心を持っていることの表れだ。

また90年代には金融危機等で苦労したスウェーデンは、財政規律の改善と構造改革を進め2000年代には経済成長率を高めた。2008年には中道右派が政権を取っている。スウェーデンは高福祉と高度な資本主義を上手くコンビネーションさせているが、その根本には強烈な個人主義と合理主義があると見ておく必要があるだろう。

このように見てくると一国の社会政策の基盤には、国民が共有する価値観があることが見えてくる。価値観を確立することなく、他国の制度の「良いとこ取り」をしようとしても上手くいかないと私は見ている。

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キムチの話から日韓インフレ・デフレを雑学

2010年04月21日 | 社会・経済

19日付のFTに「韓国でキャベツの値段が高騰し、主婦はキムチ作りに苦労している」という話が出ていた。タイトルはSouth Korea in a pickle over cabbage price. 面白いのはin a pickleという表現。pickleはピクルスつまり漬物だが、in a pickleは「苦境に陥っている」という慣用句だ。「韓国はキャベツの価格で苦境に陥っている」という意味だが、「漬物(キムチ)」と「苦境に陥っている」が掛詞になっている。

韓国のキャベツ高は例年より雪の多い気候が原因だ。FTによると1個6千ウオン(昨年の4倍)という。為替レートは1ウオン=0.08円だから日本円に換算すると480円だ。日本でも天候不順でキャベツの価格は400円近い値段をつけているから、それほどの差はないように見える。

韓国ではヘッドライン・インフレ(生鮮食料品・燃料を含んだインフレ率)が2%近くになっている。韓国はインフレターゲットを3%に設定しているインフレターゲット国だから、その数値自体は驚く程ではないが、3月に年率換算10-13%上昇した燃料価格と相まって消費者には頭の痛い話である。

FTはキャベツに対する関税の高さや輸入依存度の高さも、価格上昇の要因にあげている。因みに韓国のキャベツの関税率は27%(日本は3%)だ。

ところで韓国ではインフレが進行し易く、日本ではデフレ傾向が続く一つの理由は、「ウオンが実力より安く、円が実力より高い」ということにある考えられる(インフレ・デフレというのは複雑な経済現象なので、原因を単純化することは危険だが)。

例えばCIAのFact bookによると、韓国の購買力平価(PPP)ベースのGDP(2009年)は1兆3560億ドルで為替ベースは8097億ドルだ。日本のPPPベースのGDPは4兆1370億ドルで為替ベースは5兆1080億ドルである。つまり為替ベースで見ると日本経済は韓国経済の6.3倍の大きさがあるが、PPPベースで見ると3倍程の大きさしかないということになる。

一人当たりGDPをベースに計算すると、日本円は購買力平価に較べて1.23倍割高で、韓国ウオンは0.60倍割安になっている。つまり日本円は韓国ウオンに較べて2倍程度割高になっている。これでは韓国企業が日本企業より輸出競争力を持つのは当然の話だ。

「ウオンが安いからインフレが進むのか?」あるいは「インフレが進むからウオンが安いのか?」というと鶏・卵のような話になるが、韓国が安定的な通貨拡大政策を取ることでマイルドなインフレを促進してきた効果はでているようだ。もっともリーマンショックの後、急速なウオン安に襲われたなどという要因もあるのだが。

韓国企業は国内の住み分けが進み、日本企業のように国内で泥沼のような価格戦争を行わないからデフレ化しないという意見もある。また1997年の通貨危機以降IMFの構造調整計画を受け入れ、多額の外国資本が投入されたので、利益重視の外資的経営が浸透したという意見もある。(例えば韓国の大手行にはシティやゴールドマン、スタンダードチャータードなど外国資本が多額に入っている)

デフレの問題はかなり複雑な問題で私は金融の超緩和策だけでデフレが克服できるとは考えていない。しかしお隣の韓国と較べてみると何かヒントがあるかと思ってこのエントリーを書いた次第である。

因みにいうと「現在の日本経済が抱える最大の問題はデフレである」という人がいるが、これは本当に正しいのだろうか?

私はむしろ「購買力平価で見た一人当たりGDPの持続的な低下」ということの方が大きな問題ではないか?と考えている。09年の日本のGDPは32,600ドル(前年は34,300ドル)で、世界42番目である。隣の芝生を見ても仕方がないが、一つ下は国債の債務不履行懸念がささやかれるギリシアである。

ビジネスモデルを変革し、新興国に対し優位性のある分野に進出し、一人当たりGDPの伸びを図れば、結果としてデフレは克服できるのではないだろうか?デフレ克服論を先頭に立てるのは、馬の前に馬車をつけるような気がしないでもない。このあたりは経済学の専門家のご意見を聞きたいところである。

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