13日の終わった核サミットに出席した鳩山首相のことを、ワシントン・ポストはhapless and increasingly loopyと酷評した。Loopyという言葉を私は知らなかったが、Loop(輪)から「輪のように堂々巡りする」という意味かな?と推測していたが、そうではなくて「頭がおかしい」という意味だそうだ(もっとも「輪が多い」という意味もある)。文章全体では「あわれでますます頭がおかしくなっている」という意味だから酷評といわざるをえない。
ここまでの酷評は正直礼を欠くものと思うが、親日的と私が思っているシーラ・スミス女史(全米外交評議会の日本専門家)もニューヨーク・タイムズに「日本は機会を失した」という寄稿を寄せている。何故機会を失したか?というと「唯一の被爆国として核拡散に反対し、国際原子力機関IAEA等でリーダーシップを発揮している日本が普天間問題に足を取られてまったく存在感を示すことができなかった」と同女史はコメントしている。そして民主党はマニフェストの中に「核放棄に向けて国際社会と協力しながら断固たる処置をとる」とかかげながら(この部分は私が補足)、それを実行する機会を失したと補足している。
だが私はより大きな問題は、世界的な政治・外交の課題の中で日本の立ち位置を見ていないという点だろうと私は考えている。
世界経済が景気後退から脱却し始めた現在、オバマ政権は外交・軍事面で幾つかの方向を示し始めた。大きな流れは「核軍縮を含む軍縮」「膠着するイラク・アフガン問題への対応」「新たなテロの脅威への対応」である。中国もイランへの制裁に同意を示すなど一定の協力示し始めている。
この背景を考えてみると、金融危機脱却のため大きな財政負担を背負った米国などは、財政改善のために今後軍備費を削減する必要があり、そのためには世界の大国が歩調を合わせる必要がある訳だ。
次の問題は中東問題への対応だろう。オバマ政権の中で「イラク・アフガンなどでのイスラム過激派との戦闘を緩和するには、イスラエル・パレスチナ間の紛争を解決する必要がある」という認識が高まってきている。つまりアメリカはテロリストには厳しい対応を取るけれども、イスラム圏全体にはもっと友好的だという姿勢を示すことで、穏健・中道派の支持を取り付け、イスラム過激派を孤立させようという戦略だ。
「新たなテロの脅威」とは、テロリストが核兵器を手に入れるリスクだ。
これらの大きな流れの中で「日本は何をするべきだろう」「日本には何ができるのだろう」と考えることが、外交の立ち位置というものだろうと私は考えている。
今のところ日本で身近にテロの脅威を感じることはない。だがそれを持って「私は関心ないものね。それより普天間基地の問題なんとか穏便に済ませませんかねぇ」などという態度を取れば、アメリカ側が「ええ加減にせい」と怒るのは当然だ。「俺たちはあちこちで血を流してテロリストと戦っている。やっと解決した普天間基地問題に関わっている暇はない」というのがアメリカの本音だろう。
それ故手厳しい人からはLoopyと言われ、親日的な人からは「折角点数を稼ぐ機会があったのに残念でしたね」といわれるのである。