金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

年の終わりは大菩薩

2008年12月14日 | 

この土日(12月13日、14日)に大菩薩峠を歩いた。私は四季を通じて大菩薩峠を歩いているが、今回は会社の山仲間と山梨側から奥多摩側へ横断するというもので、このルートは初めてだ。13日土曜日9時少し前に塩山駅に到着。予約していたタクシーに5人が乗り込み、裂石(さけいし)から上日川峠を経由して、福ちゃん荘を目指す。この道は12月15日で閉鎖になるという話だ。閉鎖になると裂石から歩かなくてはならない。塩山から福ちゃん荘までのタクシー料金は5,500円程。時間は30分少々だ。9時40分に福ちゃん荘を出て30分程歩くと、白根三山や赤石連峰が雲の上に頭を出した。すっかり雪を被っている。先月登った鳳凰三山の観音岳も見えるが余り雪は着いていない。更に暫く登ると雲の中から忽然と富士山が姿を現した。富士山は大きく高い。

10時40分雷岩到着。

Fuji

富士山を見ながら大休止。今回の登山は忘年登山ということで小菅で温泉に入って一泊するという楽な設定だ。慌てる必要はない。やがて富士山は雲に隠れた。この後天気は緩やかに下り坂になり富士山を再び見ることはなかった。

雷岩から10分程歩いて大菩薩嶺を往復。日本百名山に選ばれている2056mのこのピークは深い樹林に囲まれ眺望はない。登山道は雪や雨水が凍りつるつる滑る。丸川峠から登ってきた人の中には軽アイゼンを着けている人もいた。

日あたりの良い雷岩から大菩薩峠に至る稜線には雪や氷はない。ただし道はぬかるんで結構靴が汚れた。

Daibosatu

写真は大菩薩峠の少し上から北の方を見上げたものだ。私は大菩薩峠付近の広々とした景色が好きである。大菩薩峠は江戸時代は青梅街道が通っていたところだ。奥多摩側の丹波(たば)や小菅から鬱蒼とした林の中をあえぎながら登ってきた旅人達はここで、富士山の雄大な姿を見てしばし疲れを癒したことだろう。

11時45分峠到着。30分程休憩して12時15分前に小菅に向けて下山開始。林道に到着したのは午後2時30分。少し休んだ後歩き始めると3時に迎えに来る予定だった小菅の旅館・亀井屋さんのライトバンがやってきた。亀井屋さんは宿泊客が5人揃うと奥多摩駅や登山口まで送迎しますということだった。

この日は日帰り温泉「小菅の湯」でゆっくり休憩した後、亀井屋さんに一泊。夕食は小菅川で取れた川魚料理だ。岩魚の刺身は皆初めてだったので珍しがる(私は一度だけだが自分で釣り上げた岩魚の刺身を食べたことがあるが)。肉など出さずに地元の食材にこだわっているところに好感が持てた。因みに一泊二食で8400円は妥当というべきだろう。

翌14日日曜日は朝から雨。計画では奥多摩湖畔からJR奥多摩駅まで旧青梅街道を歩く予定だったが、当然止めてバスで奥多摩駅まで直行する。バスを待っていると雨はミゾレ交じりとなり、尾根の杉林は少し白くなっていた。小菅の冬はそこまで来ている。小菅から奥多摩駅へ行くバスは朝夕各一本。8時半過ぎに宿屋の前を出たバスは20kmの道を50分かけて走り、氷雨降る人気の少ない奥多摩駅に我々を含めて7人の乗客を下ろした。

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干し柿を作る

2008年12月14日 | うんちく・小ネタ

今干し柿を作っている。元になる「渋柿」は食材を通信販売している「大地を守る会」http://www.daichi.or.jp/で買ったもの。柿の皮をむいて縄にぶら下げ10日程日に干すと「干し柿」ができるという。

Hosigaki

先週の日曜日に柿を干したのでもう少しの辛抱だ。

渋柿を干していると、子供の頃庭のはずれの傾斜地にあった渋柿を竹ざおで取って干し柿を作ったことを思い出した。竹の先を割って二股にしてそこに柿の枝をはさんで捻じ切るのである。

親父は少し短兵急なところがあって、十分干し柿が熟すのを待てずに試食いをして渋さに顔をしかめていたことを思い出す。親父は元気だが、柿の木ははるか昔に枯れてしまった。高齢化などで私の故郷では干し柿作りはめっきり少なくなっているはずだ。

今年の干し柿作りが上手くいけば、来年は信州辺りに出かけて大量に干し柿を作り故郷の人にも分けてあげようかなぁ・・・などと私は考えている。

柿干して遠い昔を思い出し    北の旅人

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