ブログは文章力を上げるとは限らない/304 Not Modified
文章力ってなに?
作文というものが上手か下手かってこと?
ブログにおいて「伝えたいことが伝わるように文章にする力」は、いわゆる「作文が上手か下手か」は影響するかもしれないが、必ずしもそれは絶対ではないと思う。
構成だの表現だの下手くそだって、「伝わるものが伝わって記憶に残る」というものが、ブログには存在する。
文章として書かれたものがうまいか下手か、なんてことは、ブログ上で個人が何かを出していく上で、「読み手」としてのわたしはそんなにポイントにはしていない。
説明文、意見文がわかりやすくなることに越したことはないけれど、「これが言いたい」ということの存在自体には、わたしにとってはあまり影響しない。
読み手にも、その文章が記載された思考を読みとる力だって必要とされるわけだし、この読みとる力というものは読み手側の感性も大きく影響するとも思う。
「書き手」としては、自分の思考を文章に表現していくことで、その思考を明確化していく要素がある。
そこに必要とされるものは、文章自体のうまい下手ではなく、明確化することに向き合う姿勢だと思う。
またここであげられている「2ch語」に関しては、以下に同意。
使用しない側の人間にとっては意味不明、使用する人間がその特徴をいかに述べようとも、使用することによって読み手を限定するものであることには変わりない。顔文字も同様の要素がある。
使用言語は思考にも影響する要素があり、使用者を限定する言語に基づいて思考したものに関して「一般」に公開する場合には、翻訳/意訳する意識が求められる。
以下、上記にそってまとめ。
ブログは作文能力を上げるためのツールではありません。
しかし、ブログで更新を続けていくことにより、伝えたいことを伝えたい相手に伝える工夫をする思考を意識することを身につけたり、また伝える力を熟達させる可能性を持つことはできると思います。
*トラックバック:ブログは文章力を上げるとは限らない/304 Not Modified
文章力ってなに?
作文というものが上手か下手かってこと?
ブログにおいて「伝えたいことが伝わるように文章にする力」は、いわゆる「作文が上手か下手か」は影響するかもしれないが、必ずしもそれは絶対ではないと思う。
構成だの表現だの下手くそだって、「伝わるものが伝わって記憶に残る」というものが、ブログには存在する。
文章として書かれたものがうまいか下手か、なんてことは、ブログ上で個人が何かを出していく上で、「読み手」としてのわたしはそんなにポイントにはしていない。
説明文、意見文がわかりやすくなることに越したことはないけれど、「これが言いたい」ということの存在自体には、わたしにとってはあまり影響しない。
読み手にも、その文章が記載された思考を読みとる力だって必要とされるわけだし、この読みとる力というものは読み手側の感性も大きく影響するとも思う。
「書き手」としては、自分の思考を文章に表現していくことで、その思考を明確化していく要素がある。
そこに必要とされるものは、文章自体のうまい下手ではなく、明確化することに向き合う姿勢だと思う。
またここであげられている「2ch語」に関しては、以下に同意。
ブログは文章力を上げるとは限らない(304 Not Modified)2ch語は基本的に「共通経験を有することが必要な仲間言語」。
2ch語は「言葉にならない感情」という切り札を容易に「キター」等の言葉にしてしまい適当な言葉を探さなくなる。何でもかんでも「ヤバい」と表現するのと同じ。フォントいじりはバラエティー番組の字幕と同じ。
使用しない側の人間にとっては意味不明、使用する人間がその特徴をいかに述べようとも、使用することによって読み手を限定するものであることには変わりない。顔文字も同様の要素がある。
使用言語は思考にも影響する要素があり、使用者を限定する言語に基づいて思考したものに関して「一般」に公開する場合には、翻訳/意訳する意識が求められる。
<まとめ>
ブログは文章力を上げるためのツールではありません。
しかし、ブログで文章力を上げることもできると思います。
以下、上記にそってまとめ。
ブログは作文能力を上げるためのツールではありません。
しかし、ブログで更新を続けていくことにより、伝えたいことを伝えたい相手に伝える工夫をする思考を意識することを身につけたり、また伝える力を熟達させる可能性を持つことはできると思います。
*トラックバック:ブログは文章力を上げるとは限らない/304 Not Modified
これが介在しない文字上の世界で存在する「存在感」や「影響力」というもの。
これを追求しているものが「ブログ論」だの「サイト論」だのってとこに入るかもしれませんね。
「人を騙す能力」というか、集団のペースメーカーやムードメーカーになる類の人は、文字上でも強いんでしょうかね。
わたしは文字上だからこそ存在するような個性の放出、なんてのも、実は好きだったりします。
ディベートで相手を言い負かして多数の味方をつける能力、もっと極端な言い方をすると人を騙す能力。
騙すと言うのは使い方次第ですけど、多くの人が詐欺にやられる要因として、この相手の能力が大きいと考えています。
はめられたか。
コメントスパムが多かったので、
FC2のコメントスパムアク禁一覧を貰って設定したのだが。。
ちょっと緩めてきますw
すみません(泣)。
コメント、投稿しても出てこないよ~~。
いや、なんだかばたばたとなさっていたようで。
帰郷のあたり、しみじみと読了などしておりました。
祝復帰。
>えっと、何処かで2,3人に向けて書けって興味深い記事見たんですが、
まなめさんとこの「304」でしょう。
>みんなに伝えたい!!って思って書いたコメント、大体スルーされちゃうんですよね。。(泣)。
ふむ。
わたしはコメント入れてないけど、スルーしてるつもりは無いよ。
そうか、反応しなきゃ、それは「スルー」になるのね。
でも前にも言ったけど、わたしはネタ上げ前のヤツ、好きですよ、リンク先見なくてもアレは常連だもの。
ああ、RSSで全文読めてしまうってのがある。
そうするとアクセス数にも反映しないし、全くのスルーと同じことになるのかな。
ちょっと、コメント行ってきま~す。
日記は確かにそんな感じで、想像してる2,3人に向けて書くこと多いですw
少ない時は一人に向けてになりますが。。
みんなに伝えたい!!って思って書いたコメント、大体スルーされちゃうんですよね。。(泣)。
自分用語使いまくってますし(泣)。
でも、そんな中でコメントが一件とかでもあったときは、
何か『わかってくれたぁ~』って感情で嬉しいッスよねw
もちろん批判的意見でも、言いたい事を分かってくれて、その上で批判してくれるとか考えてたら、、
すっげー嬉しくなってきます。
だから、平謝りが多いのですがw
2ch用語や渋谷系?の言葉は、ある意味オレより上手い世渡りの言葉だと思います。
孤独が嫌いなのに、自分の道を貫こうとしてしまうオレは…orz
周りにS嬢とかΠ氏とかいいひとが多くてよかったですw
という事で、まだ本調子ではないですが、復帰!!
よく言ってました、「手記を書きましょう」と。
告知の衝撃、障害との出会いの衝撃、不安、そして自分。
「手記を書きましょう」
ゆっくりと自分が向かい合うべきことに対しての姿勢が明確化されていくチャンスになる場合が多いんですよね。
医師の立場の方にも、子どもの障害の受け入れが難しい親に対して「手記を書きましょう」と勧める場合があるようです。
今は、本人が望みさえすれば、ネット上のあちこちに「手記を書く場」がある。
そういう意味じゃ、時代に恵まれていると思います、ネットが一般化されてきた時期に障害をもつ子を生んだ方々は。
>伝えたいことを伝えたい相手に伝える工夫をする思考を意識することを身につけたり、また伝える力を熟達させる可能性を持つこと
これ、実は「障害児の親」にとって、けっこう重要なスキルなんですよね。
「2ch語」と「一般」。
これ、実は「障害が日常である層」と「一般ではない層」に言いかえも可能な部分があります。
ってことで、この文章、支えているのは実は「経験」です。
>「書き手」としては、自分の思考を文章に表現していくことで、その思考を明確化していく要素がある。
そこに必要とされるものは、文章自体のうまい下手ではなく、明確化することに向き合う姿勢だと思う。
うん、この「向き合う姿勢」というものの大切さを僕も最近感じるようになりました。それに加えて、明確化することで、明確化した自分の思考を踏み台にして越えていければ最高なんだよなぁということをよく思います。
それから、Sさんの記事を読んで気づいたのですが、確かにブログを始めることで「相手に伝える工夫」というものをまじめに考えるようになったなと思います。独りよがりなものを書き続けてると、面白いくらい読んでもらえなくなりますから。(笑)もし、ウェブでひと様に向けて文章を書くことのメリットがあるとしたら、そうした意識の大切に気づけることかもしれませんね。
それにしても、いつも思うのですがSさんの記事は、いつも漠然となんとなく空気のように感じていたようなことを鋭くことばとして「明確化」してくれるので、大変得るところが多いです。それこそ、自分にとっては「伝わるものが伝わって記憶に残る」ブログのひとつです。いつもありがとうございます。