昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

ウィーン旅行記2011年・ウィーンは暑かった!

2011-05-19 07:23:00 | ウィーン旅行記2011年

20119_3

昨夜、夜半の1時半に目が覚めた。やはりに時差ぼけにかかったらしい。昨日、ベル・ボーイに案内されて部屋に入ったとき、エアコンが付けっぱなしになっていたので、ウィーンはそんなに暑いのかなと思ったが、一晩寝て納得。とにかく暑い。パジャマなんか着ていられないし、布団も掛けていられないので、パンツ一丁で、ベッドに大の字になっていた。しかもエアコン全開にしていてこの状態である。先が思いやられれる。

7時に朝食に降りる。内容は可もなく不可も201128_2 なくと言いたいところだが、このホテルのプライスで「良」の朝食が出てきたら、それはそれで申し訳ない気になってしまう。ハムが8種類ほど。チーズ4種類。胡瓜、トマト。スクランブルド・エッグ。ベイクド・ベーコン。シリアル。ジュースにミルクに豊富な種類のパン。十分満足できた。

右はホテルのロビー。写真で見るほど大きくない。あまり使う機会はなかったが、待ち合わせのときなどにはいいだろう。

201114

さて、いつものウィーン観光の起点、アルベルティーナへ。いつになく車で混んでいた。ウィーンの観光の最盛期は5月だと言う。思いもかけず、一番混んでいるウィーンにやってきてしまったと言うわけだ。

 

 

 

201110

 

シュテファンス・プラッツに戻って、ケルントナーを行きつ戻りつ冷やかす。もっとも朝早いのでカフェも含めてどの店も開いていないが・・・右はアウガルテンの本店の建物。いつ見ても立派だ。シュテファン寺院と並んでウィーンの象徴といってもいいくらいだ。

 

 

201111

 

右は朝のケルントナー通り。長袖にブルゾンの姉ちゃん兄ちゃんもいるが、いや朝から暑いの何の。湿度は低いが日差しが強烈なのでその分暑く感じられる。

 

 

 

201115

 

しかし、朝のケルントナー歩きは楽しかった。ウィーンの裏の顔が見えるというかなんと言うか、昼から夜の賑わいをよそにしんとした雰囲気が、なんとなく新鮮さを感じる。

 

 

201112_3

 

 

右はカプティーナ教会。地下に、ハプスブルク家代々の皇帝・皇后の遺骸を収めた皇帝納骨所がある。今回は見に行かなかった。興味のある方は『昼のガスパール』ウィーン旅行記2008をご参照ください。

ウィーン旅行記2008

 

 

 

 

 

 

201113

 

右は『オーストリアン・パブ』などというふざけた看板。ウィーンっ子のユーモアと言ったところか?

 

 

 

201116

ウィーン名物のスターバックスコーヒー。カフェの本場に殴り込みを掛けた、ファーストフードのコーヒー店がどれだけ集客できるか興味があったが、なかなか健闘していて、市内に何店か店舗を構えるまでになった。

 

 

 

201117

 

新緑溢れるリンクの風景。どこの国も初夏はいいものです。暑くさえなければ。

 

 

 

 

201118

 

お約束のモーツァルト像。花で彩られたト音記号を見たのは初めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201119

 

 

モーツァルト像を間近から見上げて・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201120

 

リンクを走るトラム。のんびりした街だこと。

 

 

 

 

201121

おや、フィアカーが。ますますのんびりした街。

 

 

 

 

 

201122

 

かーたんと新婚旅行のとき泊まったホテル・オーパンリンク。すっかり模様替えされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

201123

 

オペラ座。今回の旅行では一切、オペラ鑑賞は無し。見ると行きたくなるので、何が上演されているかが分かる、インターネットのサイトも閲覧してこなかった。なんせお金がないからね~。後から検索してみたら、マノン・レスコーがかかっていたみたいだったが、あまり見たい演目ではないので、溜飲を下げる。

 

201124

 

なんで撮ったか忘れてしまったが、たぶん、カールスプラッツの建物。ウィーンではごく当たり前の建物でも、十分鑑賞に堪えられる。今回の旅行は、こうした街並みを見てくるのが最大の目的。

 

 

201125

 

シュタットパークのクワ・サロン。夏は1階がカフェになっている。夜には音楽会も催される。

 

 

 

201126

 

シュタット・パーク。暑くさえなければのんびり寝転んでいたい雰囲気です。

 

 

 

 

201127

ウィーンの裏通り。

 

 

 

 

 

201130

 

ペスト記念柱。中世から近代にかけて、ヨーロッパではペストが燒結を極めた。その流行が止んだときは、人々は喜びに沸きかえったことであろう。これは、皇帝が立てたペスト終結を記念した柱。

 

 

 

 

 

 

 

 

201131_2

 

 

ペータース教会。ウィーンで二番目に古い教会。もっとも今の建物は16世紀に建てられたもの。エアラッハの設計。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201132_2

ペータース教会内部。典型的なバロックの装飾。ウィーンではこの重々しいデモーニッシュなバロックの真髄が街全体を通してのしかかって来る。それがウィーンの人を惹きつける魔力でもあるのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

201147

 

昼食は、ナーグラー小路の『アルトシュタット・ブロイ』で。ナーグラー小路はグラーベンから発して、アムホーフの横を通る細い通り。左右にはレストランや商店が軒を連ねている。『アルト・シュタット・ブロイ』には昔懐かしの蜂蜜入りビールが飲めるのでは?と期待して行ったのだがそんなものはないと言う。しかし、夏のシャニガルテン(テラス席)は気持ちが良い。

201146

 

自家醸造の生ビールは美味かった。

 

 

 

 

201145            

 

シュパーゲル入りサラダ。大変美味しく頂いた。

 

 

 

 

201148

 

ヴィーナー・シュニッツェル。仔牛のものである。ここのシュニッツェルは塩味なしの淡白な味わい。ウィーンの味を満喫するのも今回の旅の目的である。

 

 

 

201150_3   

『アルトシュタット・ブロイ』の建物。かつて、『シュタット・バイスル』という食堂があったところ。

 

 

 

 

201137

ショッテン教会。オカブがウィーンで一番好きな教会。

 

 

201138 

 

 

 

 

 

 

 

 

201136

 

 

 

ショッテン教会内部。なんともこのバロックの躍動感と神秘性、そして空間に満ちる静謐感のアンバランスに魅了されてしまう。

 

 

 

 

 

201142_2

 

 

 

グラーベンの珈琲で有名なユリウス・マインル本店。

 

 

 

 

201141

 

グラーベンのカフェで。

 

 

 

 

201139

 

 

グラーベンのカフェで、ラードラーを。レモネード入り生ビール。フランスで言う『パナシェ』である。夏の暑さに喉を潤すには丁度良い。

 

 

 

 

 

 

201143

 

 

コール・マルクトの有名な洋菓子店『デーメル

 

 

 

 

『デーメル』隣のアドルフ・ロース設計の『マンツ書店』。もはや、文化財的存在の建物である。

 

 

 

 

 

201144 2011 20112

晩飯は、また昨日の『ツム・シェーラー』で。広場に面したテラス席の雰囲気がえらく良かったので、ここにした。今回のメインは、シュパーゲルのグラタン。ちょっとカロリーが高かったような。しかし、これは美味かった。生ビールも冷えていて最高。

 

オーストリアの典型的なディジェスティフ、シュナップス。オカブのお気に入り。昨日知り合った、馴れ馴れしいウェイター氏とますます昵懇な間柄になってしまった。

 

 

 

 

 

 

初夏に燃える陽ありて石畳   素閑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ウィーン旅行記2011年・出発

2011-05-18 20:25:00 | ウィーン旅行記2011年

20112_2 いよいよ、ウィーンへ出発である。4年ぶりの海外でちょっと昨晩は気持ちが昂ぶってよく眠れなかった。成田U-Cityホテルでバイキングの朝食を摂って、無料のシャトルバス8:45発。成田空港には9時半前に到着。さすがに3.11の影響か、空港内はがらんとしていた。アメックスのサービスでスーツケースを空港に宅配していたので、それをピックアップしに、JALエービーシーカウンターへ。荷物はすぐ出てきた。こいつを、オーストリア航空のカウンターでチェックインして、あとは雲上人となるばかりである。WEBチェックインしていたので、荷物を預けるだけ。 2011 ボーディング・パスを受け取ってあとは飛行機に乗るばかりだ。

ボーディングは11:10分のフライトに対して、10:30から始まると言う。それにしてもまだ時間がある。そこで、いつものIASSラウンジへ。ビールで一息ついたのは言うまでもない。おつまみのおかきをばりばり齧りながら、これで日本の味もしばらくお預けだな、としばらくしんみり。昨日、かーたんと天下寿司で、日本食の食い収めをしてきたので、ウィーンでは高くて不味い『ヤパニッヒ』には行かないことと決めている。10日間のウィーン料理責めで耐えられるかちょっと不安にもなるが、まあこれまでもなんとかやってきたのでなんとかなるだろうと楽観。                      

20113_4ボディ・チェックとパスポート・コントロールを受け、搭乗口へと向かう。それほど待つこともなく予告通り、10:30に搭乗が始まる。思えば、成田-ウィーン便が、3.11でキャンセルとなり、それ以降も、北京、ソウル経由便となっていたので、もう、このウィーン行きは半分諦めていた。それが4月になって、オーストリア航空が直行便の運行を再開したので、なんとか今回の旅行に漕ぎ着けた次第。なんとも難産な旅だったが、とにもかくにもここまで来たことにほっとするやら、なんとも感動するやら。

搭乗してみて気づいたのだが、このフライトはビジネスは満席だがエコノミーはがらがら20114

ほとんどのエコノミー乗客は3席を独占してエコノミー・ファーストクラス状態。横に長々と寝て、長い飛行時間を過ごすことが出来る。こんな感じだと、当分の間ヨーロッパ便はビジネスを取らなくてもエコノミーに乗ったほうが楽だなあ、と乗れもしないビジネス客のことを案ずる。ところでオカブはこんなにエコノミーが空いているとは思わなかったので、エコノミー席の最前列をブッキングしてあった。これだとご覧の通り、ビジネス側に楽々と、伸び伸びと足を伸ばせてラクチンに座っていられる。まあこんなにエコノミー20115_2 が空いているのを知っていれば、この席をあえてとる必要もなかったのだが、座っていても楽だからいいとしよう。しかし、オーストリア航空は通常時のエコノミーの特等席、非常口後ろの座席を、70?プラスのプレミアム料金をとって売り出すような真似を始めた。こりゃ、オカブが予言したとおりのことが、航空業界でも起こっているのかなと実感。パリ旅行記2008を参照。しかし航空会社もせこくなったもんだな、こりゃ!?まあ、食前酒のセクトはしっかりとせしめたけどね。

20116パリ旅行記2008

せこいと言えば、機内食も、前菜が日本蕎麦、デザートは袋入りのウェハースと言うせこさだった。まあ、5月のハイ・シーズンに特別料金といっていい低価格で乗せてもらってるんだから文句は言えないが。それにこのエコノミーのがらがらの快適さ。運がよかったと言わねばならないだろう。それにオーストリアのヴァイス・ヴァインは美味かった。

さて、予定の20分前にテイク・オフしたOS52便は一路、ウィーンへ。飯を食ってしまえば、後は、寝ているか、酒を飲んでいるかしている以外に手はない。オカブは20119 後者を選んだ。『オッタックリンガー』、『ゲッサー』とオーストリアのビールをがぶ飲みした上、ワインを十分に堪能した。

それにしても、オーストリア航空は飲み物を頻繁にサービスで持ってきてくれると言う点で、なかなか結構な扱いである。酔い覚ましにアップフェルト・サフトを頂いて、存分に空の旅を楽しむ。

右はシベリア上空の写真。まだ雪が残っているんですね~。201110

オーストリア航空名物の間食のチキンラーメンを食べて、やっとこさウラル山脈を越えようという所。ようやくヨーロッパに入るんだなあ、と感慨もひとしお。

また、ビールとワインを飲んで、うとうと眠った。しかし、12時間でこれくらいしか食わなくても飛行機の中では腹は空かないものですね~。

そうこうしていると、はや到着1:30前になって、2回目の機内食。スモーク・サーモンとサラダ。まあ、前よりもまともだからいいか?

201111到着直前。窓の外にヨーロッパの上空の景色が見えてくる。はや、ウィーンに近づき、シェーンブルン宮殿などが上空から観覧できる。ああ、ついに、またウィーンに来たんだなあ、とまた感傷に浸る。

ベルト着用のサインがつき、飛行機は着陸態勢に。

そして予定よりも15分早い、15:35にウィーンシュべヒャート空港にランドオン。12時間のフライトを終えて、ヨーロッパの到着のこの15分差は大きい。 201112

ヨーロッパの入国審査は非常に簡単、バゲージもプライオリティ並みに早く出てきて、カスタムも、NO Declearであれば、なんのチェックもなく、空港外へ。

CATへ乗ろうと地下へ降りるエレベーターに乗ると後から日本人の一人旅のオバハンが乗ってきた。地下でCATの切符を買おうとしていると

「あの、日本からの方ですか?」

「ええ、そうですよ」201129_7

「あの、この券売機、カードでなければ変えないんでしょうか?」

「いや、ユーロの現金でも買えますよ。片道10ユーロ。往復で買うと割引で18ユーロ」

「いえ、帰りはこれに乗るつもりはないんで・・・」

そんなことから、このオバハンとは、ウィーン・ミッテまで付き合うことになってしまいましたが、なんでもご主人がブダ・ペストで国際会議に出席のためのご一家でのウィーンご来訪。ただし、全員バラバラでのウィーン入りと言う。

まあ、このオバハンにはなんやかんやで頼られそうになったが、別に初海外でもなさそうなので、オバハン、日本人だと思って頼ろうとせず、自分で考えて行動せえや。中には怖い日本人だっているとも限らないし。

そんなこんなで、オバハンの世話を焼いたり焼かなかったりしているうちに、自分がウィーン・ミッテで迷子になってしまった。20118

ウィーン・ミッテの駅ビルはいま改築工事中で、CATの出入り口が今までの反対側になっていた。だから出口を出て右に曲がってまっすぐ行けば黙っていても、リンクにでると思っていたが、どうも様子がおかしい。うろうろしていると、サングラスにホット・パンツの姉ちゃんが「道分かんないの?」と助け舟を出してくれる。

「ああ、リンクに出るにはどう行けばいいんだい?」

2011_3 「リンクは反対側。ここをまっすぐ行けば出るわ」

「あっ!そうすか?ダンケ・シェーン」

なんのことはない。駅ビルの反対に出たから、出口を出て左に曲がればよかった。

なんのかんので、リンクからシンガー・シュトラッセに入り、シュテファンス・プラッツへ出て、グラーベンに抜け、ドロテア・ガッセの入り口のお目当てのホテル・グラーベンに到着した。

ホテルのフロントで、

「予約していたオカブだが」

20116_2と申し出ると、パスポートとクレジットカードのコピーをとられ、宿帳に記入させられて、

「朝食は7時から10時まで。あそこのレストランでどうぞ」

てな、具合で解放されて、部屋の鍵を渡され、晴れて自由の身となった・・・と思ったらベル・ボーイが荷物を持ってついてきた。

日本の地震は?津波は?と聞くから、まあなんとかなってるけど原発の被害が大変だね、と答えておいた。

ウィーンで地震のことが話題になったのは、これとあと一回きりだった。

なにか、ひどく骨董品的なのを、モダンに改造したようなリフトで5階に上がり、部屋に入ると、狭いながらも、まあまあの部屋。バス・タブもついておる。20115_4

まあ、これはこれで良しじゃて。

ただ、前回のウィーン旅行記でも書いたが、このグラーベン・ホテルと、ホテル・ロイヤルとレジーナを擁する、このクレムスラーナー・ホテル・チェーンのオーバー・ブッキングの悪癖は直っておらず、オカブの滞在中、二組もオーバー・ブッキングでバンプトゥ・アウトされた予約客を見かけた。ホテル・スタッフはシステムのトラブルのせいだと事も無げに応対しており、客もそんなに怒った素振りは見せていなかったので、欧米ではそんなに珍しいことではないのかもしれないのかもしれない。20113_9

しかし、一組の客は、代わりのホテルも探してもらえずに、大層困ったことであろう。オカブもそのことには用心して、リコンファームの電話を入れたが、今回も運には見放されず、ちゃんと泊まれた。このホテル、オーバーブッキングさえなければ、従業員はフレンドリーだし、価格はリーズナブルだし、立地は最高だし、申し分のないホテルだ。

スーツ・ケースの中身を整理してシャワーを浴びて・・・さて、今日の夕食は・・・・?いや、飛行機で軽食を食べたから、晩飯抜きでもいいのだが、やっぱり、限られた時間20113_11 の中で、ウィーンの味覚を満喫したいので、アム・ホーフのあたりをうろうろしていると旧市庁舎の裏の広場に面した、『ツム・シェーラー』というバイスルが目に付いた。

ZUM SCHERER=>

ツム・シェーラー

夕暮れ迫る広場に面した、佇まいがなんともロマンティックなので、思わず吸い寄せられて、シャニガルテン(テラス席)へ。ずいぶん馴れ馴れしいウェイターがやってきて、注文を聞く。まずはビール。海外に行くと、外人は馴れ馴れしいか、つっけんどんか、どちらかなので気にしない。

おお、今日の特別メニューにシュパーゲル(白アスパラガス)があるではないか!?オーストリアでは5月の旬の食べ物と言えばこのシュパーゲルに決まっている。迷うことなく、シュパーゲルをとる。

ビールは美味いし、テラス席から見る広場の眺めは幻想的で、ロマンティックだし、で・

20112_4肝心のシュパーゲルのお味はと言うと、名物に美味いものなしの諺通り、そんなに美味いものとは感じられなかった。

しかし、この時はまだ、高脂質、高塩分、高カロリーのウィーン料理に毒されていなかったから、こんな感じになったのであって、以降、シュパーゲルには2度ほどお世話になった。

このバイスル、シュパーゲルとビール大ジョッキ2杯、シュナップスで22.3ユーロ。1ユーロチップに置き、馴れ馴れしいウェイター氏とますます馴れ馴れしくなって店を出る。

さて、お腹も一杯になり、ホテルに帰り、バタンキューである。今は午後10時。日本では早朝5時の計算。寝たくなるのも当然である。

 

 

 

風すがし暮れ行く日惜しむ五月かな   素閑 

 


ウィーンにたつ前成田に前泊

2011-05-17 18:35:00 | ウィーン旅行記2011年

201113 いよいよ、ウィーンに出発である。しかし、オカブが発った5月というのはまだ東北大震災の余燼が残っており、計画停電で、電車が動かなくなるなどの心配もあったので、安全策をとって前日から成田に止まることにした。かーたんの見送りを受けて下北沢から新宿、西日暮里に出て、京成電車で成田にたどり着いた。これで一安心である。荷物はアメックス・カードのサービスで以前に空港へ宅配してあったので、海外旅行者とは思えない身軽な格好での成田行であった。まだ、ホテルのチェックインには早いので成田山新勝寺を見物してくることにする。

201111

新勝寺の参道である。両側には寿司屋や鰻屋などの飲食店、参詣客向けの旅館や宿坊などが並んでいる。

 

 

 

2011

 

宿坊にあった講の札。まあ、昔から信仰を集めていた古刹に相応しい、時代がかった街並みである。こういう日本の伝統を目の当たりにして、明日の今頃はオーストリア・ハプスブルグの本家本元の都に乗り込んでいこうというのだからなにやら不思議な気分になってくる。

 

20116

 

成田山新勝寺の本堂。古刹の堂宇というにはあまりにも近代的過ぎて風情がない。この時はなにやら中で護摩法要見たいのをやっていて外国人観光客が珍しそうに見入っていた。この本堂のテラスから節分になると横綱やら大関が豆をまくのは日本の年中行事だ。

 

 

20117

成田山新勝寺の旧本堂。こちらのほうが風情があってよい。しかし大本山の本堂としては小さすぎると言うのか?

 

 

 

 

20118   

旧本堂の内部。古色蒼然としている。

 

 

 

 

 

201110

三重塔があった。あまりにも味気ない本堂の佇まいの言い訳のように、とって着けたように建っていた。

 

 

 

 

201114

今日の泊まり、成田U-シティホテル。料金も安く至極快適。設備は十分。近くにコンビにもあるので夕飯も弁当を食べれば安く上げられる。空港までは送迎サービスがついているので、フライトに合わせて都合の良い時間のバスで空港まで運んでもらえる。

成田U-シティホテル

 

 

 

 

 

曇りたる五月に人なし新勝寺  素閑

 


再びウィンナ・シュニッツェル

2011-05-05 06:44:00 | グルメ

3.11の大地震で3月のウィーン行きを止めた。エアーもホテルもすべてキャンセル。この非常事態、国難のときに、海外旅行でもないもんだと思ったからだ。しかし、海外の取引先との会談を兼ねていくので困ったことになった。そこで、思い切って、5月18日発で行くことに決めた。この際、非国民と言われようが、行かねばならんし、時局をわきまえぬ物見遊山との非難も5月にはいれば多少薄れているだろうと思う。そんなわけで再来週からしばらく日本を留守にします。そんなこんなで、ウィーンに行くことになり、下準備をしておかなければならんということで、ウィーン名物、ウィンナ・シュニッツェルを夕飯に食うことにする。シュニッツェルのエントリーは過去にもたくさんあり、またかと言う方もおられるとは思うが、ご容赦いただいて、お付き合い願いたい。ウィンナ・シュニッツェルとは、要はウィーン風のトンカツ、あるいは仔牛肉のカツのことである。「食うことにする」と言っても、レストランで食うわけではない。家でオカブが料理して食うのである。また残念なことに、東京では、本格的なウィンナ・シュニッツェルを食べられるレストランがない。一昨年、表参道の『カフェ・ラントマン』に行ってシュニッツェルを食べたが、ウィーンのものと比べるとはるかに小さく、お値段もかなりいい価格だった。そこで5時過ぎから台所に立ち、とことこと料理を始める。そんなわけで、またまたレシピを公開。まず、肉。牛と豚である。豚でも牛でもどちらでも良い。ウィーンでは庶民的な大衆食堂では豚を出し、高級レストランでは仔牛肉のものを出している。かーたんは牛が好きなのでオーストラリア産ステーキ用、1パック2切れ入り328円というのを買ってきた。オカブは豚のほうが好きなので、アメリカ産100グラム98円というのを買ってきた。両方とも言うまでもなく特売品である。というか、肉が特売だったからシュニッツェルを作る気にもなったのだが・・・そこで料理。肉をしっかりした台の上のまな板に載せて、どかどかと肉叩きで叩いて薄く延ばす。ぺらぺらに延びたところで塩・胡椒。ここが普通のトンカツと違うところ。そして小麦粉をまぶし、溶き卵をからめるところはトンカツと同じ。そしてパン粉をまぶすのだが、ここがトンカツとの最大の違い。トンカツは普通、日本で市販のパン粉をまぶすのだがシュニッツェルの使うのは、センメル・ブレーセルといういわばシュニッツェル専用のパン粉。カイザー・センメルという、オーストリア・ドイツ独特の固パンから作る。そしてこのセンメル・ブレーセルはパン粉の粒が非常に細かい。このセンメル粉がなければシュニッツェルはただの薄っぺらいトンカツになってしまうくらい重要な食材だ。オカブはウィーンに行くと毎回このセンメル・ブレーセルを4箱ほど仕入れてくる。このパン粉もいろいろなメーカーが出しているが、アンカー社のものが一番粒が細かくて品質がいい。そしてあとは揚げるだけ。本場のものはフライパンに薄く引いたラードで揚げ焼にするそうだが、オカブ家では、サラダ油でフライを揚げる要領で揚げてしまう。出来上がったのが写真一番下のもの。エルさんとばーたんと4人食卓を囲んで夕餉は楽しかった。

     こどもの日目抜き通りになみだ雲     素閑

 

2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9_2 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Dscf0188_edited

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16

 

 


行者葫

2011-05-03 06:20:00 | グルメ

五月の連休半ば。今年も行者葫の季節になった。実は3月頃から店頭には出廻っていたのだが、1パック350円あまりとお値段もそうお安くなかったので、買うのをためらっていた。そうこうするうちに3.11の大地震があり、原発の影響か栽培ものはいっせいに店頭から消えた。もう、今年はこのゲテモノ好きが喜ぶ野菜を食べられないのかな、とやや落胆していると、ありました!北海道産、1パック158円也。これは買わずにはいられない。これは野生のものであろう。行者葫のいわく因縁については、先のエントリーで深田久弥さんの文章を引用しながら、深く書いておいたのでご参照願いたい。とにもかくにも、行者葫は本来、野生のものであるということ。近年の栽培ものの普及は邪道である。そこで、太子堂の大久保で早速、1パック買ってきて、味噌をつけて、生でがりがり齧った。正直、あまり美味いものとは思えない。しかし、なかなかワイルドな食べ物である。葷臭強烈である。1本食うと部屋中が臭くなる。こんなものを食うのは酔狂である。しかし、酔狂人のオカブは、そう美味いとも思わないこの野菜をこの季節に食わずにはおられない。まあ、自分は、ちょっと変わり者だと自覚しているから、これくらいの酔狂は許していただきたい。

   心荒れ憲法記念の雲早し     素閑


Jpg