昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

二期会創立60周年記念公演『マクベス』を観る

2013-05-02 23:18:00 | アート・文化

表題の通り、『マクベス』をかーたんと観てきた。
今日は仕事を早めに切り上げ、5時に家を出てかーたんとバスで渋谷へ。渋谷から銀座線で上野は東京文化会館へGO!
6時半に開演。まずは魔女たちがロフト・ハウスのような舞台で魔宴をしているところから始まる。巨大な冷蔵庫のようなクローゼットがあったり、大道具のヨルク・コスドルフはなかなか凝っている。そこへマクベスとバンコー登場。マクベスとバンコーの衣装は、ブルーのベレー帽を被ったコマンド部隊の制服のようだ。マクベスとマクベス夫人はスコットランド王を簒奪する野心にかられる。二幕でダンカン王に扮する加賀清孝御大登場。今回はマクベスに暗殺されるためだけの出演でバリトンの美声は無し。
ダンカン王を暗殺し王位を簒奪したマクベスとマクベス夫人は、自らの地位を脅かすものの出現を恐れ、バンコーとその妻子をも刺客に命じて暗殺する。
四幕。マクベス夫人が狂死する場面。マクベス夫人の石上朋美は前から気になっていたがフルボイスの高音部がかすれてもうひと頑張りといった印象。しかし狂乱の場面のアリアではピアニシッシモが中心なので、安定してこなしていた。マクベスの今井俊輔もフルボイスで歌うと声が揺れて多少不安。それに対してバンコーの斉木健詞はバスであらが目立ちにくいからか無難な歌唱。さらにあらさがしをすれば、この演出であるならば、女声合唱はもっと華やかな艶のある音色を響かせてもいいのではないか?
そして最期。マクベスがマクダフに倒され、民衆の歓喜の歌で終わる。
それにさらに付け加わる魔女たちの最終場面。終曲を食卓の上に乗せたラジカセで聴いているところで幕を閉じる。
合唱とレチタティーヴォとアリアだけで構成されるベル・カントによるイタリア・グラン・オペラの真髄は細かいところを除けば如何なく発揮されていた。
ちょっとカーテンコールの際のブラヴォー隊がうざかったが・・・(二期会動員によるものであろう)
ペーター・コンヴィチュニーの演出は斬新でユニークかつコミカル。シェークスピア物のヴェルディとしてはなにやら楽しげな、哀しみや怖れよりも笑い出したくなるような『マクベス』であった。
客席には高丈二、多田羅迪夫らの二期会の大御所が顔を並べていたが、ここで観客席にビッグ・サプライズ!!!なんとあの白鵬関が若い衆二人を連れて、一階席左手中ほどの特別席で観劇しているではないか!これには皆、びっくり。幕間では観客の握手攻めに遭っていた。関取衆もオペラを見るんだなあ、と妙に感心。
帰りは、銀座線で表参道半蔵門線乗り換え三軒茶屋に出て、いつものフォルツァ・ドンナでオカブの一足早い誕生祝いをしてもらう。久しぶりのこの店だったが、料理は相変わらず美味かった。舌にとろける料理にビールをガンガン。今日はかーたんの要望で健康を考え野菜系を中心に注文する。しかし、甘味のドルチェはしっかりいただく。
家に着いたのは午前一時近かった。

悲歌劇を終わりて若葉闇に入る     素閑

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2013-05-02 13:28:14 | 日記・エッセイ・コラム

今日、榛名山の麓に住む学友、陶樵山人から筍が届いた。一昨日、メールで「送るから」と案内が来ていた品。
彼は山深いこの里で、半農で畑を耕し、そして風雅な工房をもって陶芸にいそしむ生活を送っている。都会の世知辛い世で生きているこちらとしては、まったく優雅な暮らしぶりで羨ましい限りである。彼とは大学の山岳サークルで知り合った。以来、数十年に亘る付き合いである。陶樵山人のwebサイトは下の通りであるから、山村の暮らし、陶芸、そしてセルフビルドの家にご興味のある方は覗いてみるといいだろう。

 

彼が、自前で家を建てたときには棟上げを手伝いにサークルのOB一同で榛名まで行った。実態は、棟上げの手伝いとは名ばかりで、OBが久しぶりに集まって、陶樵山人の敷地で獲れた山菜を肴に酒盛りをするという、竜頭蛇尾な結果となった。
彼の家の敷地には竹林があって夥しい筍が獲れる。それを今回おすそ分けにあずかったという次第。早速、今、かーたんが米糠で茹でている。
もう山にも久しく登っていない。陶樵山人ともここ数年会っていない。急にノスタルジーの感興に浸っているような今現在である。
若き日は遠くに去り、老残の身を晒すのみである。

竹の子を山家の友より貰いけり    素閑

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