苗羽小学校田浦分校(旧田浦尋常小学校) - 明治35年の開校から昭和46年の閉鎖まで70年間、村の小学校として使用され、町内に残る唯一の初期小学校でもあるそう。
なんか、タイムスリップして授業参観に来たみたい
そういえば、実家にあった足踏みオルガン、何処へ行ったのかな? そして壺井栄さん自筆の書「花も実も」。
2教室と教員住宅を含んだ切妻瓦葺平屋建校舎。
窓の外には青い柿の実が生っていました。
次に車で2分という二十四の瞳映画村へ
岬の分教場入館料200円、二十四の瞳映画村入村料630円ですが、お得なセット入村券にて750円なり~
中に入ると小川があり、なにやら泳いでいます
クリックで大きく見えます鯛、ボラ、グレ、そして愛嬌のあるコブダイ、すごく人懐っこいですよ~。魚の餌も売られていました、100円なり~
小川かと思ったら汐江川という海水が流れる川でした
こちらは映画のセットで作られた岬の分教場です。
本当によく再現、保存されていますね。
今はもう黒板さえも見なくなりました。文字を覚えるのもイロハです、最後まで読める人も少なくなったのではそして、机に置かれた出席簿。
この時間割、決して私の時代にはありませんでしたから
あらっ、こんな地図も
のんびり窓の外を眺めながらの授業だったらもう一度受けてもいいかな、なんて
田中裕子さんのサイン入りポスター、1986年ですって
撮影で使われた自転車。古井戸。そして石川六右衛門釜。
石川五右衛門が釜ゆでにされた釜と同型の釜があり、兄弟分のこの釜を六右衛門と呼ぶようになったそうな。
魚網染めに使われていたそうです。
二十四の瞳映画村を出ると駐車場には、
大きな醤油樽のボンネットバス停留所があります
さてさて次は
なんか、タイムスリップして授業参観に来たみたい
そういえば、実家にあった足踏みオルガン、何処へ行ったのかな? そして壺井栄さん自筆の書「花も実も」。
2教室と教員住宅を含んだ切妻瓦葺平屋建校舎。
窓の外には青い柿の実が生っていました。
次に車で2分という二十四の瞳映画村へ
岬の分教場入館料200円、二十四の瞳映画村入村料630円ですが、お得なセット入村券にて750円なり~
中に入ると小川があり、なにやら泳いでいます
クリックで大きく見えます鯛、ボラ、グレ、そして愛嬌のあるコブダイ、すごく人懐っこいですよ~。魚の餌も売られていました、100円なり~
小川かと思ったら汐江川という海水が流れる川でした
こちらは映画のセットで作られた岬の分教場です。
本当によく再現、保存されていますね。
今はもう黒板さえも見なくなりました。文字を覚えるのもイロハです、最後まで読める人も少なくなったのではそして、机に置かれた出席簿。
この時間割、決して私の時代にはありませんでしたから
あらっ、こんな地図も
のんびり窓の外を眺めながらの授業だったらもう一度受けてもいいかな、なんて
田中裕子さんのサイン入りポスター、1986年ですって
撮影で使われた自転車。古井戸。そして石川六右衛門釜。
石川五右衛門が釜ゆでにされた釜と同型の釜があり、兄弟分のこの釜を六右衛門と呼ぶようになったそうな。
魚網染めに使われていたそうです。
二十四の瞳映画村を出ると駐車場には、
大きな醤油樽のボンネットバス停留所があります
さてさて次は
(^_^;)
ぜひ、小豆島へお出かけください(^^)/
気がつきました?日本地図に台湾が日本として描かれています。
小豆島は少し観光バスも来ていましたが、寂れた感じがしました。
とっても良い所がいっぱいあるのに(^^ゞ
北は樺太から南は台湾まで、当時の大日本帝国は壮大な多民族国家だったことがよく判りますが、異なる民族をまとめるのはやっぱ無理があったんでしょう。(笑)
今の日本でもそれなりに広いと思います。
こんなに広かったんですね、当時どのようにしてたか、想像もつきません(-_-;)
今のように飛行機で直ぐに行ける時代でもなかったし。
>今の日本でもそれなりに広いと思います。
日本一狭い香川県ですが、それなりに充実してると思います(笑)
出てきそうです。
行きたいけれど、
夏目雅子さんを想うと重くなっちゃうかな。
夏目雅子さんは二十四の瞳、撮っていれば適役でしたでょうね。
瀬戸内少年野球団のロケ地は金比羅さんでした。
田中裕子さんの写真は結構ありましたよ。