故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

ハリスが下田に着任した日と参院選の投開票日

2013年07月21日 08時56分01秒 | 幕末史

今朝も5時からの歩きになった。少しづつ夜が明けるのが遅くなっているが、すでに5時には明るくなっている。だから早朝散歩もたくさん見かける。これが冬になって寒くなれば数が極端に少なくなってくる。 今朝の讃岐富士には帽子のような雲がかかっている。

今日は知人とも会わずに会った人と「おはようございます」だけの挨拶で、帰宅は6時半だった。 それから今日は第23回参議院選挙の投開票日だ。経済政策アベノミクス・憲法改正・原発政策に対する国民の考えは??。さっそく、ミキばーちゃんと一緒に行ってきた。香川県は如何に、結果は今夜中にはでるだろう。

 

今日はアメリカ総領事のハリスが下田に着任した日。安政3年(1856)7月21日の事である。  ハリスの使命は通商条約の締結であった。が、幕府は交渉に応じず進展しなかった。健康を害しながらも交渉に当ったハリスは、安政4年5月26日、下田奉行との間に締結した『下田条約』を足がかりに安政5年6月19日、ボーハタン号艦上で日米通商条約及び貿易章程の調印に成功した。通商条約により横浜が開港されると、安政6年5月に下田領事館は閉鎖され、ハリスは下田を去り江戸麻布善福寺へと移った。

ハリスと言えば唐人お吉であるが、お吉は本名、斎藤きち天保12年11月10日船大工市兵衛の次女として生まれた。四才の時家族で下田に移り住み、14才で芸妓となり、新内明烏のお吉と評判となった。それが奉行所の目にとまり、お吉には恋人で鶴松という男がいたが、ハリスの召使いとなった。17才の時である。幕末・維新の動乱の中、芸妓として流浪の果て「唐人」という世間の罵声と嘲笑をあびながら貧困の中、明治24年3月27日の豪雨の夜、川に身を投げ、自らの命を絶ち、波瀾の生涯の哀しい終幕だった。史実はハリスがお吉の首筋にできた吹き出ものを嫌い、僅か3日で暇を出されたと、その3ヵ月後に解雇された。解雇手当を受領した物が残っているともいわれる。また、他にも5人程召使として雇っていたと言われるが、伝えられる唐人お吉の物語と史実は全く違うような。

また幕末ではないが、昭和44年の今日、アポロ11号が月面の「静かの海」に着陸し、人類が初めて月面に降り立った。米国では7月20日であるが、日本時間では7月21日早朝である。 何度もテレビで放送されたのを覚えているが、アームストロング船長の「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな飛躍である」との地球へのメッセージは感動的だった。  って事で、今日はこの辺で。じゃ~またネ