故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

高知の、訳ありの30番札所と、旧山田町の獄舎

2013年07月05日 08時36分47秒 | 幕末史

先日の朝の歩きで見つけた、丸亀市柞原町の高幢神社の「甘酒祭」明日6日の午後3時から6時まで。どんなイベントが行われるのだろう?

 

昨日は友人たちと10時に喫茶店で会う約束をしていた。9時半頃に出かけようとすると、けたたましくサイレンが鳴っている。近くからは真っ黒い煙が、時間が有ったので車で行くと火事だ。真っ赤な炎と真っ黒い煙。  木造アパートの火事だった。すぐに隣の棟にも火は移った。若い女性が救急車で運ばれて行くのが見えたが、夜にニュースで見ると、1人が死亡・3人が軽傷だと。改めて火事って怖いなぁ~と。

 

そして、今朝の歩き時、火事の後はこんな感じになっていた。 右側に置いてある車も焦げている。

その後は友人とお茶を、今回は3人の参加だった。色々話をして昼時に解散となった。また時々は会う事を約束して別れた。  

高知第2弾、高知市洞ケ島(ほらがしま)に安楽寺というお寺がある。

 

山門を潜り抜けて。

 

ついウッカリ本堂の写真が残っていない。でもお参りはしっかりと。大師堂にもお参りを。

 

この安楽寺は、四国霊場三十番「奥の院」。 この30番は、歴史的に複雑な何かがあるようだ。以前からこの安楽寺と善楽寺(高知市一宮)が札所となっていた。平成6年、札所が善楽寺になり、安楽寺は「奥の院」となった。 今でも入口には左側に「土佐一ノ宮安楽寺」と、右側に「四国第三十番霊場」とある。

 

 その奥の院・安楽寺のすぐ隣にあるのが、薫的(くんてき)神社である。 薫的神社は、廃仏棄釈で廃寺となった瑞応寺の境内にあった「薫的堂」が明治3年、洞島神社となり、昭和24年に薫的神社と名前が変わった。勝運の神様として信仰され「薫的さん」と呼ばれている。

 

拝殿 お参りを。

 

薫的和尚と御牢

 

今回の高知訪問で1番の目的がここ お牢。現在のはりまや町3丁目、山田の牢を移築した建物である。 でも少し期待外れだったかな。

 

旧山田町の獄舎では実際に、土佐勤皇党の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が山内容堂の逆鱗にふれ、入牢・切腹させられた。その他、多くの勤皇党員が入牢させられ、勤皇党首領、武市半平太の弟、田内衛吉の服毒自殺、島村衛吉の拷問死等、また岡田以蔵は獄門刑の厳しい処分。お牢はその獄舎の一部が移築保存されたもの。

 

って事で次回も高知の情報を。楽しみにしていてネ、では今日はこの辺で。じゃ~またネ