故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

高知で雨の竹林寺

2013年07月09日 11時22分11秒 | 日記

今朝は5時に目が覚めた。別に急ぐことも無いのだけれども、何故かバタバタと用意して5時15分に家を出て歩いた。久しぶりに丸亀城へ。城内の市立資料館へ行ってみた。朝の6時前だから場外資料のみ見学。「水車」を。私は子供の頃に微かに見たような記憶が。田んぼへ水を入れるために、人が足踏みで水車を回転させて、水を汲み上げる。

 

これは消防ポンプ。「腕用ポンプ」と云われるもの。両側でシーソーみたいに上下させて水を放水させるようだ。左側の機械に「大正4年警防団」右側の機械には「昭和32年中津消防」と記されている。消防団ではなく警防団と呼んでいたんだ。

 

今日は6時40分頃には帰宅。朝食後から畑の草抜きを。でも暑いから9時には中断し、シャワーを浴びてゆっくりしていると、買い物に行こうと、ミキばーちゃんが。つまり運転手だ。近くの 新鮮市場きむら へ。帰宅後はやっと自分の時間が。でも今日の予定は午後から歯医者のみ、何をするにも暑いからなぁ~。その他の予定は、まだ未定?

今日は高知小旅行の最終回。牧野植物園を後に、竹林寺へ。山門。

 

この階段を上れば本堂だ。

 

本堂へ着くころに雨がポロポロと。

 

この竹林寺で昔の恋物語がある。はりまや橋の小間物屋でサンゴのかんざしを買ったのは、竹林寺の脇寺妙高寺の青年修行僧慶全である。お馬という16歳頃の娘がいた。当時お馬の母は五台山頂の寺々を廻り僧たちの洗濯を仕事にしていた。お馬は母を手伝い寺々に出入りするようになった。そこで、慶全とお馬は互いに見初め会い慶全がかんざしを買ったのである。しかし、この恋は実らず、慶全は柏島の生家へ帰された。そのお馬が悩みを相談したのが妙高寺の住職純信だった。純信の同情はいつか深い仲となっていった。二人の逃避行も琴平まで、やがて御用となり、高知城下へ護送されさらし者に。その後、純信は国外へ、お馬は仁淀川以西の追放で、須で農作業をしていたが、池ノ内村の船大工寺崎米之助に嫁ぎ2男2女をもうけ、晩年は東京の子息の家に身を寄せ幸せな生涯を送った。片や、純信は伊予の川之江に落ち着きお馬を忘れることなく、生涯妻帯せず地元の子弟の指導、その後は伊予の美川村に移り住み、地元の人々から感謝と尊敬されこの世を全うしたと言われる。 慶全にしろ、純信にしろ、男って何故か悲しいなぁ~と、お馬の方は3人の男を変えて幸せに生きて行く。男の純信は女を忘れられずの一人身を全うするのに対し、女の方が変わり身が早いっていう事だろうか?

五重塔へ、雨が本降りになってきた。 この五重塔は三豊市詫間町の富士建設㈱の建設だと。

 

山門まで帰ると足元はビショビショに濡れて来た。

 

四国出身で初めて内閣総理大臣となった濱口雄幸の像。高知市五台山の麓の山村に生まれた雄幸の生家を復元した「浜口雄幸生家記念館」があるみたい、勉強部屋や政治活動に関する資料などが展示されていると。雨だから断念、でも高知だからまた来れるよ。と自分に言い聞かせ(笑)

 

再び市内へ行こうとしたが、道を間違ってしまった。 すると偶然に板垣退助邸址に。

 

その後は再び、市内の喫茶店で休憩。高知駅前には「坂本龍馬・中岡慎太郎・武市瑞山」の三人の像が。雨の中で。

 

夕食は回転すしで済ませ、小降りになった高知を後に、SA・PAに寄りながら、ゆっくりと帰路に。久しぶりに高知を満喫できた1日であった。って事で。この辺で、じゃ~またネ