故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

高知市訪問と朝の歩き色々

2013年07月06日 08時54分28秒 | 幕末史

今朝も5時からの歩きになった。Coco壱番屋の前を通ると『冷たいカレーあります』と、どんなカレーだろう。食べたことがないなぁ~。話のタネに一度食べてもいいかなぁ~。

 

丸亀城内で早くから太極拳を。ラジオ体操も。皆さん運動に頑張っている。

 

二の丸まで登り、北方を。今日は港や瀬戸内海の島々が綺麗に見える。

 

ここは丸亀市山北町の山北八幡神社。旧々丸亀市の氏神さまである。毎年正月の初もうでには前の道はごった返し、チョットした渋滞もある。そんなこの神社は、元は亀山(現在の丸亀城)の北方に小祠を営み山北八幡宮と奉称した。  讃岐の国主となった生駒一正は西讃鎮護のため亀山に城を築き社を柞原郷王子森に移し、社殿を造営し神領十六石を寄進した。その後山崎家治封が丸亀城となり社殿を修復、京極氏が丸亀藩主となった後も崇敬する。丸亀は、生駒氏築城以来追々繁栄して西讃の中心地となった。

ここで、77日の午後6時から「六月一夜酒祭」というのがある。 本殿へお参りした後、テントで甘酒をいただく。その時お賽銭をあげるのだが、そのお賽銭の額によって甘酒の量が違う、だからお賽銭はケチらないようにね。その場で飲んで帰る人もある。いつごろからどんな謂れで始まった行事だろうか? 誰か教えてください。

 

高知市訪問の第3弾。高知城へ。先ずは追手門前、ここは天守閣と一緒に写せる場所だ。

 

チョット他の人が通らないところから、こんな場所も。

 

黒鉄門を、ここもあまり人は通らない。 この門を潜れば、すぐ天守閣だ。

 

天守閣に入城。

 

天守を見学した後は、ひろめ市場へ。ここは朝からお酒を飲んでる人もいる。でも、それが自然に見えるのが不思議。

 

中はこんな感じで、自由に座って料理を自分で運んで食べる。食べた後はお店の人が片付けてくれる。カツオのたたき前は行列になっている。私等の昼食はまだまだ。見学だけに。

 

高知については今日はこの辺で。また次回に。で、今日は、一橋慶喜が将軍後見職となった日。文久2年(186276日の事である。  文久2年(1862)島津久光と勅使・大原重徳が薩摩藩兵を伴って江戸に入り、勅命を楯に幕府の首脳人事へ介入し、慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を政事総裁職に任命させた。慶喜と春嶽は文久の改革と呼ばれる幕政改革を目指し、京都守護職を設置し、参勤交代の緩和などを行なった。文久3年(1863)、攘夷の実行について朝廷と協議するため、徳川家茂が230年ぶりに上洛することとなったが、慶喜はこれに先駆けて上洛、将軍の名代として朝廷との交渉にあたった。幕府は攘夷の実行を命じられるなど、交渉は不成功に終わった。春嶽が朝廷の要求に反発して政事総裁職の辞表を出したが、慶喜はこれを受け入れる姿勢をとり、江戸の幕閣の猛反発を招いた。八月十八日の政変で長州藩を中心とする尊皇攘夷派が排斥されたのち、公武合体派諸候・幕閣による参預会議に参加すべく再び上洛するが、ここでも横浜鎖港に反対する諸候の島津久光・松平春嶽らと慶喜は対立した。  って事で尻切れトンボのようだが今日はこの辺で。この後すぐにお出かけだから。じゃ~またネ