三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

「阿波遍路恋唄」床本その6

2022-03-22 22:23:23 | 日記
「阿波遍路恋唄」床本その6

原案創作:陶久敏郎
床本作成:鶴沢友輔

はや暮れかけの雲間より一筋差し込む光明に照らされ浮かぶ祠より現れいでたる御大師様
  「これお松、竹一と両人ともどもに、わが心にかなう善行 まことに良きことなり。この後はめでたく夫婦と相成って 幸多く暮らすがよい。
これお梅、前生からの因縁か、巡り合えた数々の縁。苦しきことも、この縁を大事にすればきっと結願できるであろう。同行二人と記せし通り、わしも共に順礼いたすであろう。心安くまいるがよい。」
俄かに驚き、取り乱し、右と左にきょろきょろとさわぐ心もそのままに、またもやあふるお梅の涙、御大師様を見上ぐれば、
  「御大師様、どうぞ夫の病をお治しくださいませ。夫が元のようになるように、心をこめて順礼いたします。お言葉胸にきっと結願いたします。」
  「夫の病平癒の願い、確かにきいた。その願いを一心に四国参りをするがよい。また、道々での接待は有難く受けるがよい。結願がかなうその頃にはお前の心から迷い、不安も遠のき、気持ちも安らかになるであろう」と、宣ふ御声麗しく、尊く導く太師の教えを残し、かき消すごとく失せ給う
  「御大師様。私には、いつも御大師様がお傍にいてくださっていることを信じてお遍路いたします。竹一さんやお松さんのような優しい人にまた会えると信じてお遍路いたします」と、お梅はその場で深々と頭を垂れ、唱える念仏は「南無大師遍照金剛」、もとより唱えるお松とともに、響きわたるは二人の声。重なり響くは夕暮れの鐘の音、御大師さまの遍路道 有り難かりける御法なり。

(令和四年一月六日)

~終わり~

「阿波遍路恋唄」床本その5

2022-03-22 22:09:16 | 日記
「阿波遍路恋唄」床本その5

原案創作:陶久敏郎
床本作成:鶴沢友輔

  「オオ、オオ、ほなちょうええでえ。そしたらわしは堂々と、このお松と祝言をあげると、村の人たちに言うまでじゃ」と、にっと笑って竹一は驚くお松を抱き寄せる。あまりの嬉しさあふれ出しお松は思わず泣きじゃくる。
  「ほな、ひとっ走りいってくるわ。」
と、勇んで竹一、お松を残し村へ向かって駆け出だす。
~続く~
  「うれしい、うれしい、祝言だって。どうしよう、どうしよう、恥ずかしい」と、一人お松は竹一の後ろ姿をいつまでも見送り見送りそわそわと 
  「町のかわら版が聞きつけたらどうしよう。そうだ早速、想定問答集でも作ろうか」と独り言を繰り返す。
かたやお梅は不安げに
  「ほんにありがとうございます。助けて頂き、こんなに嬉しいことはないのです。でも、まだ二十一番札所。この先の一人旅が不安です。お二人のような親切な方にまた巡り合えるとは思えません、心細くて仕方がないのです。」と胸の内を打ち明ける
  「何を言うとん、そんな心配いらんけん。四国の人はどこでもお遍路さんに優しいんよ、みんな特別なことをしているんと違うんじょ。これが当たり前、お接待を素直に受け入れてお遍路してよ。でも、まずは平等寺にしばらく逗留して足を治さなな。そうそう、岡花村と西光寺村には中村園太夫座といって評判の阿波人形浄瑠璃の一座があるんよ。ぜひ観てほしいな。それから、お梅さんはさっき一人旅って言うたけど、違うんじょ。お遍路さんは一人じゃないけんな。ほら、竹一さんも言うたでしょ、お遍路の間はずっと弘法大師様がそばに付いてくれてるんよ。」
と迎えが来るのを待つ二人、嬉しさ不安が入り交じり、思い思いの心持ち、時を超えても変わらぬ情け、受け継がれるは遍路道、お接待の心意気、御大師様へと続く道

~続く~

「阿波遍路恋唄」床本その4

2022-03-22 21:18:56 | 日記
「阿波遍路恋唄」床本その4

原案創作:陶久敏郎
床本作成:鶴沢友輔

  「私も和尚さんから聞いたわ。お遍路するんは、願いごとを叶えるためだったり、病を治すため、供養のためだったりと、理由は人それぞれにあってな、でも、それだけではないんじょ。ずっとずっと昔から順礼によってご利益を受けるという意味だけではなしに、自分から困難に立ち向かうことで人生の答を見つけるという意味も奥に隠されていてお遍路さんが絶えんのよ。このお四国ではどこでもお遍路さんをもてなすのは当たり前のことなんよ、なんか見返りがほしいてお接待している訳ではないんじょ。」と、話し終えるを待ち兼ねて、次はわしじゃと竹一が
  「わしらは四国八十八か所を全部回ったことないけんど、お梅さんは一番札所の霊山寺からこっちへ回ってきたんだろ。ここまで来る途中の遍路道はどこもきれいになっとったんとちゃうか。この辺りだけのこと言うたら、この大根峠の向こう側は阿瀬比村の人たちが遍路道の草刈りとかしとるし、峠から平等寺へ行く遍路道はわしら岡花村と西光寺村の者が掃除しとる。それもこれも、お遍路さんが無事に気持ちようお四国してもらいたいとの一心で道をきれいにしとるんじゃ。多分、どこの遍路道も同じと違うじゃろか。これもお接待の一つじゃのう。」
と、遍路話は任せろと二人競って話すうち、頷きながら聞くお梅、足をさするをお松が気づき
  「お梅さん、いける?これから麓の平等寺まで歩ける?」と、尋ねると、お梅は苦しそうに
  「先程、お二人から頂戴したお水や焼き芋でずいぶん元気にはなりました。でも、実はここに来るまでに挫いた足がまだまだ痛くてとても歩けそうにないのです。」
  「オオそうだったんか。ほな、わしが今から麓の村までいて、大勢集めてくるけん待っとってくれ。「音坊山ふるさと活性会」というのもあってな。そこのみんなにも大急ぎで寄ってもらうわ。お松、それまでお梅さんのそばにおっといてくれ。」
  「ええ、まかして竹一さん、アでも・・・でも村の人たちが大勢来たら私たちのことがばれてしまう。」

~続く~

「阿波遍路恋唄」床本その3

2022-03-22 19:53:05 | 日記
「阿波遍路恋唄」床本その3

原案創作:陶久敏郎
床本作成:鶴沢友輔

  「いえいえ、何をおっしゃいます。お二人の親切、助けてもろうてそのままではなりません。お二人に出会わなければ私の命はなかったはず。」
  「そんなことはない、このオトンボ山、岡花村や西光寺村、ここの誰と出会うても、みんな同じようにあんたはんをお助けするはずじゃ。これはな、ずっとずっと前からこの村に受け継がれてきとうお接待の文化っていうもんじゃ」
  「なんとまあ、お接待、お接待の文化とは一体どんなものなのでしょう。どうぞ教えてくださいませ」と問われてお松は身を乗り出し
  「これは村の寺子屋で聞いた話やけんど、なんでもこの四国では、お遍路さんへのお接待は「御大師様への功徳」になるけんな。自分の代わりにお遍路さんにお四国参りを託すという意味もあって、時にはお賽銭にしてなって、お金を渡すこともあるんよ。お接待には、ほんまにいろんな形があってな、道中の小さな休憩所、うどんやお菓子、お茶などを出すお接待所、ほかにも、善根宿や通夜堂なんていうのもあるんよ」
と言えばお梅はほとほと感心し
  「私には、労咳という不治の病を患った夫がおります。モウどうしたらよくなるのかと、思い悩んでおりました。そんな折、長屋のみんなからお四国さんのことを聞きました。お遍路さんになって順礼の旅に出て、御大師様にお願いすると、夫の病気が治るかもしれないと…それを聞いたらもう居ても立っても居られなくなって、藁にもすがる思いで江戸を飛び出し、順礼しておりました。今度は私が長屋のみんなに教えてあげたい。 ぜひお四国参りやお接待のことをもっと、もっと教えてくださいませ。」
と聞けば竹一喜んで、
  「この話はな、次の札所の平等寺の和尚さんから聞いた話やけんどな、お遍路さんの装束は、死に装束の意味があってな、死に顔を隠す菅笠をかぶり、墓標にするための金剛杖を片手にとるんよの。お梅さんも、わしが今言うた順礼の出で立ちをしとるでないで。ほれ、笠にも「同行二人」と書いとうだろ。お遍路さんは、道中お大師さんが見守るなかで自分と向き合うんじゃ。それぞれの悩みをな、見据えるんじゃ。」

~続く~

「阿波遍路恋唄」床本その2

2022-03-22 16:22:43 | 日記
「阿波遍路恋唄」床本その2

原案創作:陶久敏郎
床本作成:鶴沢友輔

  「ありがとうございます ありがとうございます 私の名はお梅と申します 江戸よりはるばる遍路の旅へ参った者でございます。今は何のお礼もできません お四国参りを成就させ、江戸へ帰った暁には、きっとお礼を差し上げたい お二人の所とお名をどうぞ教えてくださいませ」とお梅が頭を下ぐれば、二人は顔を見合わせて
  「いやいや礼など及びませぬ、当たり前のことをしたまでじゃ
子供のころからわしらは、村の爺さん婆さんにずっと聞かされて育ってきた。困っているお遍路さんには手を貸すもんじゃ」
  「いえいえ、何をおっしゃいます。お二人の親切、助けてもろうてそのままではなりません。お二人に出会わなければ私の命はなかったはず。」
  「そんなことはない、このオトンボ山、岡花村や西光寺村、ここの誰と出会うても、みんな同じようにあんたはんをお助けするはずじゃ。これはな、ずっとずっと前からこの村に受け継がれてきとうお接待の文化っていうもんじゃ」
  「なんとまあ、お接待、お接待の文化とは一体どんなものなのでしょう。どうぞ教えてくださいませ」と問われてお松は身を乗り出し
  「これは村の寺子屋で聞いた話やけんど、なんでもこの四国では、お遍路さんへのお接待は「御大師様への功徳」になるけんな。自分の代わりにお遍路さんにお四国参りを託すという意味もあって、時にはお賽銭にしてなって、お金を渡すこともあるんよ。お接待には、ほんまにいろんな形があってな、道中の小さな休憩所、うどんやお菓子、お茶などを出すお接待所、ほかにも、善根宿や通夜堂なんていうのもあるんよ」
と言えばお梅はほとほと感心し
  「私には、労咳という不治の病を患った夫がおります。モウどうしたらよくなるのかと、思い悩んでおりました。そんな折、長屋のみんなからお四国さんのことを聞きました。お遍路さんになって順礼の旅に出て、御大師様にお願いすると、夫の病気が治るかもしれないと…それを聞いたらもう居ても立っても居られなくなって、藁にもすがる思いで江戸を飛び出し、順礼しておりました。今度は私が長屋のみんなに教えてあげたい。 ぜひお四国参りやお接待のことをもっと、もっと教えてくださいませ。」
と聞けば竹一喜んで、
  「この話はな、次の札所の平等寺の和尚さんから聞いた話やけんどな、お遍路さんの装束は、死に装束の意味があってな、死に顔を隠す菅笠をかぶり、墓標にするための金剛杖を片手にとるんよの。お梅さんも、わしが今言うた順礼の出で立ちをしとるでないで。ほれ、笠にも「同行二人」と書いとうだろ。お遍路さんは、道中お大師さんが見守るなかで自分と向き合うんじゃ。それぞれの悩みをな、見据えるんじゃ。」

~続く~