三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

「雨の土曜日」

2020-02-29 12:13:35 | 日記
「雨の土曜日」

 2月最後の日は、朝から静かな雨が降っている。市内の小中学校は実質的に今日から長期の休みとなり、我が家には朝から孫が来てテレビゲームに精を出している。およそ40日にも及ぶ春休みをどう過ごさせるのか、保護者や学校にとっては思案橋ブルースであろう。
 庭の紅い桃も咲き、もうすぐひな祭りであることを教えてくれる。陶芸の合間に、雨に濡れて咲く紅い桃をカメラに収めてみた。



「屋島」

2020-02-28 18:32:51 | 日記
「屋島」

 家の用事で香川県の志度まで出かけたので、港に面した駐車場から「屋島」をカメラに収めてみた。
 源平合戦の古戦場として有名な観光地であるが、今から53年前の山口小学校6年生の修学旅行地としても私の記憶に強く残っている。私のクラスは26名だったので大型バスで行くと半分くらい座席が余ってしまう。そこで、画期的なプランが浮上し、「親子で修学旅行に行こう」ということになった。
 親といってもほとんどが母親であったと記憶しているが、屋島→栗林公園→善通寺→金刀比羅神社(泊)→満濃池とバスは進んだ。この後屋島へは何度も行ったが、この修学旅行の想い出が一番強く印象に残っている。
 写真を撮った駐車場のすぐ裏に四国霊場第86番札所・志度寺がある。また、この近くに平賀源内記念館があることを付記しておきたい。



「陶芸とコロナウイルス」

2020-02-27 20:46:02 | 日記
「陶芸とコロナウイルス」

 外は風が冷たくて出歩く気分になれないので、昼からロクロを動かしてマグカップを成形した。吉田拓郎のCDを聴きながらの作陶は気持ちの良いもので、今から40年以上も前の青春時代にタイムスリップさせてくれる。何百回と同じ曲を聴いたと思うが、何回聞いても拓郎の曲は飽きないから不思議なものだ。
 しかし、一歩外に出れば冬の風だけでなくコロナウイルス感染による影響が吹き荒れている。私の住む桑野地区では、JAアグリ球場で合宿を予定していた選抜出場校の福井県・日本航空石川が合宿を中止した。このため、日本航空石川と練習試合を組んでいた地元高校も影響を受けることになったが、徳島県教委が対外試合禁止の方針なので仕方がない。



「胡服騎射(こふくきしゃ)」

2020-02-27 01:13:03 | 日記
「胡服騎射(こふくきしゃ)」

【解説】戦国の七雄の中でも北方に位置する趙は、つねに胡(北方民族)と戦っていたが、武霊王(? - 紀元前295年)は彼らから戦術を学ぶとともに胡服騎射(北方民族の衣服をまとい騎馬で戦う)の制を採用し軍制を改革した。その結果、中山から燕、代、さらには雲中、九原(ともにオルドス北方)に至る北辺の地を攻略し、国勢は大いにふるった。(『史記索隠』唐の司馬貞による『史記』の注釈書)
【大意】伝統にこだわらず、時代変化に対応して、柔軟な発想で改革を遂行すること。
【出典】「中国故事の「名場面」に学ぶ人間学」 森友幸照著 すばる舎

【所見】この章を読んでいて感じたことは、人間社会というものは今も2300年前の昔も何も変わっていないということだ。
特に、「伝統にこだわらず、時代変化に対応して、柔軟な発想で改革を遂行すること。」との解釈は、拉致被害者救出活動を続けている家族会・救う会の現行運動方針にそのまま当てはまると思う。
 本年2月に採択した「今後の運動方針」には、「私たちはこれまで一貫して「全拉致被害者の即時一括帰国」を実現せよと求め続けてきた。その方針に変わりはない。」とあり、これまでの主張を繰り返している。一貫した主張ともいえるが、この方針で拉致問題の解決に何ら至っていないことは、日朝平壌宣言以降の歴史が証明している。
 「家族会は拉致被害者と静かな日常生活を送ることを切望していますし、救う会もその実現を日本政府に求めるだけです。」と運動方針で表明する一方で、「朝鮮総連の活動を厳しく取り締まることができる新法制定を求める。」等の主張をするのでは、北朝鮮側がこの運動方針と家族会・救う会を信用することはないだろう。
 この先、同じような運動方針を採択しても局面が動くとも思えないし、膠着状態が続けば家族会のメンバーは高齢化が進行して運動の第一線から退かざるを得ない。それでも構わないと考えて家族会は活動しているのかと疑問に思う。
 今こそ「胡服騎射」、伝統にこだわらず、時代変化に対応して、柔軟な発想で改革を遂行するべきではないのか。家族会・救う会の「全拉致被害者の即時一括帰国」は理念としては存在できても、現実を動かしていく戦術とはなりえない。家族の願望と国際政治の現実が混同して語られ、その結果、家族の願望だけが取り残されていく。今からでも運動方針を一から練り直し、柔軟な発想で改革を遂行するべきではないのか。

令和2年2月27日

救う会徳島 代表 陶久敏郎

「三菱重工広島野球部が到着!」

2020-02-25 19:00:20 | 日記
「三菱重工広島野球部が到着!」

 25日の午前中に三菱重工広島野球部が、JAアグリ球場で合宿をするために宿舎となる桑野町のホテル「えもと」に到着したので関係者とともに歓迎のお出迎えをした。
 これと入れ替わるようにして京都大学硬式野球部が、午後3時に阿南市のホテルから京都に帰るというのでお見送りに行ってきた。
 写真は、地元を代表して歓迎のあいさつをする私だが、着ているセーターは23日の誕生日に妻と娘からプレゼントされたもの。何かにつけて、春本番なのである。