三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

「後方に駆け回る」

2024-07-31 13:38:10 | 日記

「後方に駆け回る」

 9月8日に開催する第7回県南伝能ライブのチラシが刷り上がったので、チラシの配分も兼ねて役員会を開いた。役割分担、広報について、当日の進行、収支見積等をテーマに議論を重ねた。前進したが、私の用事も増えた。出席した役員には遠路新野公民館まで駆け付けてもらいご足労をお掛けした、お礼を申し上げる。

 


「県南伝能ライブ役員会」

2024-07-30 22:31:42 | 日記

「県南伝能ライブ役員会」

 9月8日に開催する第7回県南伝能ライブのチラシが刷り上がったので、チラシの配分も兼ねて役員会を開いた。役割分担、広報について、当日の進行、収支見積等をテーマに議論を重ねた。前進したが、私の用事も増えた。出席した役員には遠路新野公民館まで駆け付けてもらいご足労をお掛けした、お礼を申し上げる。

 


「涼し気な写真」

2024-07-29 16:14:18 | 日記

「涼し気な写真」

 余りにも暑い日が続くので、涼し気な写真を撮ろうと桑野川にあるファブリダムに設置されている魚道に出かけてみた。ファブリダムが満面の水を溜めているせいか魚道には勢いよく水が流れ込み、眺めているだけでも涼しくなってくる。この写真を観て、ほんの一瞬でも涼しい気分になって貰えたら幸いである。

 


「阿波遍路恋唄」原作者の想い

2024-07-28 11:21:51 | 日記

「阿波遍路恋唄」原作者の想い

 8月3日に“いいだ人形劇フェスタ2024”で中村園太夫座が上演する演目「阿波遍路恋唄」について、広報案内の意味も兼ね床本を1~4に分けてアップしてあるのでご覧いただければ幸いである。

 私が中村園太夫座の座員になってかれこれ25年位が経過したが、その間上演してきた演目は、時代物、世話物を問わず舞台は阿波藩(徳島県)以外であり、人形浄瑠璃発祥の地である阿波藩(淡路島)としては寂しい限りである。有名な傾城阿波の鳴門にしても、登場するのは阿波藩の住人であっても舞台は大阪である。

 そういうことで、阿波藩(徳島県)が舞台となり登場する人物も阿波の住人であるような演目があってもいいと思うようになり、あれこれと思案橋ブルースを続けてきた。第1作目となる「越後母恋情話」は、拉致被害者救出活動を続ける私が、横田めぐみさんの拉致事件をヒントとして拉致問題啓発活動のためにと創作したもので、平成23年1月に横田滋・早紀江夫妻をお招きして阿南市で初演をした。舞台は、阿南市新野町にある22番札所平等寺の門前町とした。

 しかし、阿波に長く伝わる伝統文化でもある“お接待の文化”と四国遍路について、中村園太夫座のある阿南市新野町を舞台とし、登場人物も地元住民でと創作したのが「阿波遍路恋唄」で、初演は令和4年3月のことである。この浄瑠璃芝居を観れば、お遍路をした人もしたことない人も、“お接待の文化”と四国遍路のことが良く分かるようにというのが創作意図で、誰が聞いても分かるようにと現在、阿南市新野町で日常的に使われている方言をベースとして物語は進行する。創作浄瑠璃の強みを生かし、弘法大師様にも登場していただく設定とした。阿波人形浄瑠璃芝居として完成できたのは、ひとえに鶴澤友輔師匠の手腕であると感謝を込めて強調しておきたい。

 阿波人形浄瑠璃と長野県飯田市とは歴史的に関わりのある間柄だ。この度、いいだ人形劇フェスタ2024実行委員会の深いご理解を得て黒田人形浄瑠璃伝承館で「阿波遍路恋唄」を上演できることに感謝と感激が絶えない。

 


「阿波遍路恋唄」床本 その4(最終)

2024-07-28 10:23:57 | 日記

「阿波遍路恋唄」床本 その4(最終)

【松】「何を言うとん、そんな心配いらんけん。四国の人はどこでもお遍路さんに優しいんよ、みんな特別なことをしているんと違うんじょ。これが当たり前、お接待を素直に受け入れてお遍路してよ。でも、まずは平等寺にしばらく逗留して足を治さなな。そうそう、岡花村と西光寺村には中村園太夫座といって評判のな阿波人形浄瑠璃の一座があるんよ。ぜひ観てほしいな。それから、お梅さんはさっき一人旅って言うたけど、違うんじょ。お遍路さんは一人じゃないけんな。ほら、さっき竹一さんも言うたでしょ、お遍路の間はずっと弘法大師様がそばに付いてくれてるんよ。」

と話すうち、嬉しさ不安が入り交じり、迎えが来るのを待つ二人、思い思いの心持ち、時を超えても変わらぬ情け、受け継がれるは遍路道、お接待の心意気、御大師様へと続く道

はや暮れかけの雲間より一筋差し込む光明に照らされ浮かぶ祠より現れいでたる御大師様

【弘】「これお松、竹一と両人ともどもに、わが心にかなう善行 まことに良きことなり。この後はめでたく夫婦と相成って 幸多く暮らすがよい。

これお梅、前生からの因縁か、巡り合えた数々の縁。苦しきことも、この縁を大事にすればきっと結願できるであろう。同行二人と記せし通り、わしも共に順礼いたすであろう。心安くまいるがよい。」

俄かに驚き、取り乱し、右と左ときょろきょろとさわぐ心もそのままに、またもやあふるお梅の涙、御大師様を見上ぐれば、

【梅】「御大師様、どうぞ夫の病をお治しくださいませ。夫が元のようになるように、心をこめて順礼いたします。お言葉胸にきっと結願いたします。」

【弘】「夫の病平癒の願い、確かにきいた。その願いを一心に四国参りをするがよい。また、道々でのお接待は有難く受けるがよい。結願がかなうその頃にはお前の心から迷い、不安も遠のき、気持ちも安らかになるであろう」と、宣ふ御声麗しく、尊く導く太師の教えを残し、かき消すごとく失せ給う

に、響きわたるは二人の声。重なり響くは夕暮れの鐘の音、御大師さまの遍路道 有り難かりける御法なり。

【梅】「御大師様。私には、いつも御大師様がお傍にいてくださっていることを信じてお遍路いたします。竹一さんやお松さんのような優しい人にまた会えると信じてお遍路いたします」と、お梅はその場で深々と頭を垂れ、唱える念仏は「南大師遍照金剛」、もとより唱えるお松ととも(令和四年一月六日)

原案作成:陶久敏郎

床本作成:鶴澤友輔

三味線 :鶴澤友輔

太   夫:竹内雅代、新田みか