黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 9(多賀城紀行・壺のいしぶみ)

2020-03-29 13:50:40 | 奥州紀行

天気予報通り、雪の朝です

3月29日に、ひめちゃんたちは雪の中のお散歩です

ひめちゃんの本当の名前は、衣通姫(そとおりひめ)です

衣通姫は伝説の絶世の美女で、衣からもその美しきパワーがあふれ出ていたとか?

そんなわけで、ひめちゃんちには「そとおりひめ」の名を持つ椿と桜があります。

 

「椿そとおりひめ」は、コロンとしたかわいいいピンクの花です

雪をかぶった桜「そとおりひめ」です。

なかなか風情があります。

ちょっとそこまで、ちい散歩に出た七海ママも、初冠雪です。

ハイシニアのママは、ふきふきしてもらって、今日は朝から室内犬です

 

 

(2018年6月21日)

仙台3日目は晴れました

予定通り、多賀城に行きます

壺のいしぶみ(多賀城碑)や多賀城跡を訪れたいので、東北本線国府多賀城駅を目指します。

 

国府多賀城駅で、博物館とは反対側に出ます。

多賀城のミニチュア南大門があります。

去年は、駅前のこの道をまーすぐ行ってから左折しました。

今年はここを左に行って、館前遺跡を通って壺のいしぶみの方に行きます。

都から赴任した国司の館跡だそうです。

 

あやめ園を通って、東から壺のいしぶみ(多賀城碑)をめざします。

今年は、あやめが咲いていました

去年は7月だったので、何処があやめ園?という感じでした。

でも、余計なことですけど、あやめではなく、花菖蒲ですね。

ゆっくり鑑賞するのはかえりにして、坂をのぼります

 

説明板がありました

多賀城碑の文言の説明もあります

「前半は京(平城京)からの距離、後半は神亀元年(724)大野朝臣東人(おおのあそんあずまひと)が多賀城を設置したこと、天平宝字6年(762)藤原恵美朝臣朝獦(ふじわらのえみのあそんあさかり)が多賀城を修造したことが記されている」と、ありいます。

 

多賀城は京(平城京)から一千五百余里ということは、802、500m(802km)

蝦夷の国境から64,200m(64km)

常陸の国境から220,420m(220km)

下野の国境から146,590m(146km)

靺鞨(まっかつ)から1,605,000m(1605km)

 

下野国境から約150kmということは、上野からは200kmくらいでしょうか?

上野から兵士として移民として、より自然の厳しい陸奥多賀城に行っていたんですね

靺鞨(まっかつ)からは、1605km、都からの距離の2倍です

靺鞨は、中国隋唐の時代に沿海州(朝鮮半島の付け根)にあった国です。

どうして靺鞨からの距離が記されているのでしょう?

交流があったと言うことでしょうけど、日本海の荒波を乗り越えて陸奥にやって来ていたのでしょうか?

 

覆屋の中に壺のいしぶみが見えます

「西」ははっきり見えます。

文字があるのはわかりますけど、はっきり読み取れません

多胡碑(たごのひ・群馬県高崎市)とともに、日本三古碑だということです。

 

昨年より説明板が増えているかな?

あやめ祭りの関係からか、草もきれいに刈ってあります。

 

南大門跡があります。

平安京だと、都大路の入り口朱雀門(すざくもん)にあたるそうです。

左上の多賀城全景拡大図です。

ここにメインストリートがあって、二階建ての朱雀門のような門があったのです

偉大なる多賀城の南大門、我が意に反して多賀城にやって来た上野の民はどう感じたでしょうか?

将来この絵の姿に再建する計画があると書いてあります。

再建されたら、遠い昔上野から来た人々に思いを馳せながらくぐりまーす

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奥州紀行総集編 8(四ッ谷用... | トップ | 小俣・笛吹坂の恵性院 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

奥州紀行」カテゴリの最新記事