黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 17(塩釜紀行 3 )

2020-04-09 16:42:45 | 奥州紀行

暖かい一日です

ひめちゃんと獅子丸の、ちょうど8年前の写真があります。

2月の寒い日に生まれたひめちゃんのきょうだいも、4月にはミニドッグランで遊ぶようになっていました。

ひめちゃんは、真っ黒くろすけのおとなしい子でした

下で腕をかまれているのが、獅子丸です。

上の子は、たぶん琥珀丸(こはくまる)です。

獅子くんは、ずうたいは一番大きかったですけど、穏やかなおっとりした子でした

白足袋をはいた子は獅子丸だけだったので、見わけがつきます。

今では、白足袋はあまりめだたなくなってます。

 

 

( 2018年6月21日 )

塩竈(しおがま)神社の東神門を出ます。

すぐ左に神社があります。

志波彦(しわひこ)神社です。

説明板もあります。

塩竈神社と同じ雰囲気の神社です。

御朱印は、さきほど塩竈神社でいただいています。

 

振り返ると、海がみえます

塩竈は港町だったのです

 

志波彦神社にも参拝です。

塩竈神社よりも、ちょっと人は少なめです。

これまた、変わった狛犬です

こちらは魚のイメージではなく、日本犬イメージかな?

 

裏参道にもどります。

石の鳥居があります。

くぐって正面から撮影です。

狛犬が、なんとなく魚イメージです。

シッポが大きい

口の辺りが変です

大きく開いた口に、コンクリートか何かを詰めているようにも見えます。

 

裏参道を下ります。

「七曲坂(ななまがりざか)」の説明板と付近の略図があります。

七曲坂は、塩竈神社参道(表坂、七曲坂、裏坂)の中で最も古く、その形成は、神社の創建と同時代の奈良時代と推測されている。

往時(古代・中世)は、国府多賀城から香津(国府津こうづー古代市街地/第一小学校周辺)へ至る東海道(あずまかいどう)を鳥居原(とりいはら古代の市場/塩釜高校校庭)で江尻に下り、入り江となっていた祓河(はらいがわ)を船(鎌倉時代に架橋「御臺の橋おだいのはし」)で渡って当坂へ至る道筋であった。~後略~

 

脇の細道ですけど、重要な道だったのです

鳥居原、塩釜駅から歩いてくる時、通りました

 

さらに下ります。

めだたなくひっそりと芭蕉の足跡があります。

松尾芭蕉は、奥の細道の旅で訪れ、ここに泊まったのです。

ちょうど今頃の季節です

ここには塩竈神社の別当寺法連寺があり、門前の宿にとまったということのようです。

 

法連寺の説明板もあります。

中央左寄りにあるのが、今降りてきた裏参道です。

いくつもの堂宇があったんですね

明治維新後の宗教政策は、別当寺という存在にとって受難の政策であったのです。

 

また、石の鳥居をくぐります。

くぐってから撮影しました。

裏参道の一の鳥居です

本塩釜の駅に向かいます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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