黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

奥州紀行総集編 15(塩釜紀行 1 )

2020-04-06 21:41:44 | 奥州紀行

夕方、ひめちゃんは、基本的に小次郎パパとお散歩です。

パパは、この夏14歳になります。

冬、背中に瘤(こぶ)ができました

なかなか破裂せず、手術かなと心配しましたけど、しぼみ始めて跡形もなくなりました

 

夕方、獅子丸は、基本的にタバサねーちゃんとお散歩です。

タバサねーちゃん&獅子丸は、歩くのが速くて、いつも先に帰ってます。

 

ひめちゃんとパパは、畑に寄ります。

おかあさんは、みんなの晩ご飯にトッピングするためにアブラナを摘むのです。

待っている間に、ひめちゃんも味見です

生のアブラナは、葉っぱより、軸を好みます。

真剣に食べてます。

パパは興味がなさそうです。

今夜は、新鮮なおいしいゆでたアブラナのトッピングです

 

 

(2018年6月21日)

国府多賀城駅では、たまたまスマホをいじっていないおば(あ)さんが、5人ほど電車を待っていました。

一人が、「塩釜から松嶋遊覧船が出ているということですが、知ってますか?」

そこから、みんなしゃべり始めました。

最近は駅や電車の中で、人にものを尋ねるという光景は見なくなりました

今回の旅で、駅でのおしゃべりは、この時限りでした。

 

国府多賀城の次の駅が塩釜です。

塩釜駅を降りると、観光案内板がありました。

まあ、とにかく塩釜神社を目指しましょう

帰りは、本塩釜の駅を目指して仙石線に乗り、多賀城で降りましょう

 

駅前の大通り、思ったより立派でした

 

途中、道標に古い地名や街道の説明があります。

「鳥居原 平安時代国府多賀城の港があった国府津千軒を背景に市場が開かれた所といわれ、江戸末期までは石の鳥居があり、伊勢参宮の歳、必ずこの鳥居をくぐって旅立つ習慣であった。」

伊勢からこんなに離れているのに、ここにあった鳥居をくぐって旅立つのが習慣になるほど、伊勢参りは盛んだったんだ

 

「鹽竈海道」って?

「この道はかつて入り江であった。奈良時代以降街の発達と供に埋め立てられた。その歴史に基づき鹽竈海道(しおがまかいどう)と名付け、道そのものを博物館として・・・・・・」と、あります。

郷土の歴史を大事にしているのが伝わります

 

やっと着きました

 

むむ、すごい階段

わー、これを昇らなければならないのか

狛犬はクラシックで、腕が太くたくましそうです

鉄も灯籠は、見たこともないくらい巨大でした

 

階段には手すりが付いていました

手すりはありがたい

奉納された灯籠がいっぱいです

 

階段の中程に、大きな青銅の灯籠があり、狛犬もいます。

下の子と全然違います。

腕も細く、ちょっと愛くるしい感じです

 

さて、もうひと頑張り

やっと、さっき下から見えた楼門に到着です

楼門にも狛犬です。

新しいかな?

楼門には左右に神将、その後ろに鹿がいました。

格子越しではなく、直接お目にかかりたいものです

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ひめちゃんちの遅咲き椿コレ... | トップ | 奥州紀行総集編 16(塩釜紀... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

奥州紀行」カテゴリの最新記事