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月刊「光陽」編集部ー岩槻・光陽書道

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・光陽書道教室(さいたま市岩槻)の学習・教育日記

あさみどりのべのかすみはつつめども こぼれてにほふ山さくらかな

2020年03月05日 | 聖風が編集「光陽」

管家の万葉集に                  読人不知

二十五 あさみどりのべのかすみはつつめども こぼれてにほふ山さくらかな

管家の万葉集に                 (よみ人しらず)

(浅緑、野辺の霞は包み隠しても、こぼれでて色鮮やかな山桜だなあ……若い延べの彼済みは、つつみ隠しているけれども、もれ出て匂う、山ばの、おとこ花だことよ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く

「あさみどり…浅緑…新緑の頃…山桜が浅緑の葉とともに薄紅色の花を咲かせる頃…若々しい」「のべ…野辺…山ばではない…延べ…延長」「かすみ…霞…彼済み…彼澄み」「つつめども…包めども…隠せども…慎めども…慎重ても」「こぼれて…零れて…はみ出して…あふれ出て」「にほふ…鮮やかに色ずく…匂う」「山桜…野辺が浅緑の頃咲く八重桜…山ばのおとこ花…遅く咲くので愛でたいお花」「かな…感動・感嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、新緑、春霞、山桜の景色。

心におかしきところは、若くてなおも零れる如く咲いた山ばのお花。

 

百人一首に撰ばれた伊勢大輔の歌「いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」、この八重桜は興福寺の僧から宮中への恒例の贈り物で、その御礼の歌である。「桜」などは、同じ「言の心」で詠まれてある。「かな」もほぼ同じ感動を表している。

歌の清げな姿は「古き奈良の都の八重桜、今日、宮中に・九重に色鮮やかに咲いたことよ」、心におかしきところは「いにしえの寧楽の宮この、八重に咲くおとこ花、今日・京・絶頂に、九重に匂ったことよ」。この喜びの感動は、感謝の心となって伝わるだろう。この歌は、公任の歌論にてらしても「優れた歌」である。女房たちを代表して今年は伊勢大輔が詠めと、中宮の仰せによって詠んだという。伊勢大輔の祖父は後撰集撰者大中臣能宣。赤染衛門、紫式部、和泉式部の歌にも学んだエリートである。この時代の文脈のただ中に居ることは間違いない。


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