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月刊「光陽」編集部ー岩槻・光陽書道

・城下町・小江戸、小京都散歩
・古寺・仏教美術巡礼
・光陽書道教室(さいたま市岩槻)の学習・教育日記

國際書画連盟代表者展に出品

2006年05月17日 | ある日のこと
國際書画連盟代表作家 会員・役員による書と水墨画の展覧


◆会期:平成18年5月24日(水)~5月29日(月)

◆会場:銀座松坂屋 別館カトレヤサロン
     東京都中央区銀座6-10-1
     TEL 03-3572-1111

◆主催:國際書画連盟


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 第15回日中書画交流展

――代表作家展の上海巡回展―


◆会期:2006年6月5日(月)~6月9日(金)

◆会場:上海・魯迅記念館

◆主催:國際書画連盟、魯迅記念館

 日本=書・水墨画150点を軸装にて展覧。
 中国=書・水墨画50点を展覧。

 



5/14 玄奘三蔵フォーラムに参加した

2006年05月14日 | ある日のこと
「西遊記」の三蔵法師のモデルとして知られる中国・唐時代の僧・玄奘三蔵の遺骨が納められている、さいたま市岩槻区慈恩寺の十三重の塔「玄奘塔」=写真=を広く知ってもらおうという「フォーラム 玄奘三蔵法師」が12日、同区本丸の岩槻本丸公民館で始まった。岩槻東ロータリークラブ(RC)の主催。関係者は「岩槻は、城下町と人形だけでなく、西遊記という観光資源もある」と意気込んでいる。

 玄奘塔を管理している慈恩寺(岩槻区慈恩寺)などによると、遺骨は太平洋戦争中の1942年、中国・南京で旧日本軍が整地作業中に発見した石棺に納められていた。石棺には宋の天聖5年(1027年)に長安から南京にもたらされたことが記されており、日中両国の歴史専門家が調査した結果、玄奘の遺骨と確認、分骨して日本に持ち帰った。

 当初は、東京・芝の増上寺に安置したが、戦争の激化に伴い、蕨市北町の三学院を経て、慈恩寺に移されたという。その後、同寺は53年に玄奘塔を建立。55年に台湾へ分骨、81年には奈良の薬師寺にも分骨された。

 分骨した薬師寺の方が玄奘の遺骨を納めた寺として有名になり、地元・岩槻の関係者は「歯ぎしりする思い」だったという。

 イベントの実行委員長を務める人形店店主、神田邦男さん(53)は「地元の人でさえ玄奘塔を知らない人が多い。岩槻と世界的に知られた名僧のゆかりを知ってほしい」と話している。神田さんによると、玄奘は架空の人物であるとか、テレビドラマの影響で女性だと思っている人も多いのだという。

 会場には、中国からインドまでの玄奘の足跡を写真に収めている写真家・菅沼隆二氏の写真60点と、同RCの依頼を受けて国立小山工業高専(栃木県小山市)が作製した慈恩寺と玄奘塔周辺の開発計画図6点が展示されている。

 14日午後1時からは、同公民館ホールで慈恩寺の大島法道副住職、小山工業高専の尾立弘史教授、菅沼氏の3氏による講演が行われる。イベントは16日までの午前9時~午後5時。入場無料。

(2006年5月13日 読売新聞)