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月刊「光陽」編集部ー岩槻・光陽書道

・城下町・小江戸、小京都散歩
・古寺・仏教美術巡礼
・光陽書道教室(さいたま市岩槻)の学習・教育日記

高木聖鶴と島谷弘幸 トークイベント開催(岡山国民文化祭)

2010年02月28日 | つれづれに
美術展(書)サブテーマ 晴れの国 おかやま 書の祭典
趣旨  全国の書に親しむ人々を対象に、その優れた芸術創作活動の成果を発表・展示することで、美術文化の向上に努めるとともに、全国の書道愛好家などが交流を深める場とします。

日時 平成22年10月30日(土)~11月7日(日) 10:00~17:00(最終日は16:00まで)
会場 岡山県天神山文化プラザ
 岡山市北区天神町8番54号
 TEL 086-226-5005

事業内容 (1)全国から書の作品を募集し、優秀作品を展示するとともに入賞者を表彰します。
(2)県内代表書家の作品を展示します。
(3)県内児童、生徒の優秀作品を展示します。
(4)文化功労者(書)・高木聖鶴先生と東京国立博物館学芸研究部長・島谷弘幸先生とのトークショーを行います。

主催者 文化庁 岡山県 岡山県教育委員会 岡山市 岡山市教育委員会 岡山県書道連盟 第25回国民文化祭岡山県実行委員会 第25回国民文化祭岡山市実行委員会

ホームページ 第25回国民文化祭・岡山2010

お問合せ 第25回国民文化祭岡山市実行委員会事務局
(岡山市市民局文化振興課内)
 〒700-8544 岡山市北区大供一丁目1番1号
 TEL 086-803-1054    FAX 086-803-1763
 E-mail kokubunsai@city.okayama.jp

カルチャーセンターで書道講師になる

2010年02月24日 | メモ


カルチャーセンター。それは新聞社主催のものから、市町村などの自治体の主催するもの、私設のものなどさまざまです。

内容ももちろんさまざまで、英会話教室から、着付けをおしえるところ、華道や茶道、パソコン教室、料理、バレエ、人との話し方教室までさまざま。
誰しも、人生の中で一度はカルチャーセンターに通う機会(実際に通うかどうかは別としても)があるんじゃないでしょうか。
そんなカルチャーセンターは、往々にして講師を募集していることがあります。これもまたさまざまな職種で、ひとくちにカルチャーセンターの講師募集と言っても、その内容は、当たり前だけれども多岐にわたっています。
カルチャーセンターの内容にあわせて、募集される講師の内容もまったく違うものに。一般の人があまり持っていない特技を持っている人なら、希少価値が高いですから、そのぶん高いお給料で講師になれることも。ただし、そういった内容のものは少ないから、募集される機会も少なくなります。結果的に、必要とされる機会と希少価値の兼ね合いがちょうどいいもの(たとえば着付けとか、英語じゃない外国語講師とか、凝ったおもてなし料理とか)が、いちばんお給料と需要のバランスがいいのかもしれませんね。


書道講師募集と求人

(1)書道の講師に応募するためには、求人募集情報誌などを探しましょう。
(2)市営のカルチャースクールが募集する場合は市の広報に、新聞社がやっている場合は新聞に載っていることもあるので、そういったものもこまめにチェックしたほうがいいかも。

(3)書道の講師が募集される場合、応募するにはある資格が必要です。それは、文部科学省認定の毛筆書写検定の一級。四級からあるので、地道にやっていけばいつか一級にたどりつけるはず。
一級まで合格すれば、こうした書道の講師募集などにも応募できるし、自分で教室を開くことだってできます。
そのようなわけなので、この資格をもっていない人は、まず自分がカルチャースクールなり書道教室なりに通い、資格をとりましょう。
講師になって教室を開き、それが波に乗れば、書道を副業ではなく本業にできるかも。
そんな夢を持っている人は、まずはカルチャースクールの募集に応募してみて、腕を磨きましょう。


書道の講師が募集されてる場合、どんなことをするのでしょうか?
書道の講師という職業は、主に副業としてやってる人が多いみたいです。

個人教室をひらいているのは、専業主婦の人や、
定年退職された方などが多いのだとか。
ちょっとしたパート代わりのような感覚ですね。で
も、これなら教え方も自分の好きなようにできるし、生徒の数にもよりますが、収入も一般的なパートよりは期待できるようです。
募集されているのが「書道講師」の場合、たいていは毛筆の講師こと。硬筆は、やってるところとやっていないところがあるみたい。

また、書道講師は小学生程度の年齢の子供を教えることが多いようです。ただ、最近は、年配の方が手先をつかうためにやることもあるのだとか。ほかにも、仕事できれいな字を書くことが必要な人(デパートの進物担当とか)、趣味で習っている大人の人が、書道教室に通っている場合もあるみたいです。

では、カルチャースクールなどが募集している書道講師は、どんなことをするのでしょう?

カルチャースクールで募集されている場合も、あまり変わりません。ただ、
個人教室よりも、年配の方や仕事用、趣味で習っている人の比率が高いのだとか。
子供相手が苦手な人には、こういった募集に応募してみるといいかもしれませんね。
ちなみに収入は、個人の場合は生徒ひとりにつき、一ヶ月、週一回で三千円から五千円ほど月謝をもらいます。値段設定の自由はある程度ききますが、あんまり高くするのはどうかと。
カルチャースクールなどで募集されている講師の場合は、時給千円から二千円くらいだとか。

ご持参したらよいと思う物は、
①「実際の作品数点」
②「ブログのコピー」
③「1つ作成するのに必要な時間、費用の一覧」
以上があると分かりやすいと思います。
あと問い合わせ方は「カルチャーセンターの講師募集の件で」と切り出して
「口座の制限」を確認してみてはいかがでしょうか?。
例えば「カルチャーセンター」側がすでに「パン作り講師募集」とか
「着付け教室講師募集」など設定している場合が考えられます。
その上で特に制限が無ければ、「羊毛フェルト」の事を
伝えてみてはいかがでしょうか?。
「羊毛フェルト」と聞いてすぐに図が浮かばない人が多いかもしれませんので
きっと「どのようなものですか?」「作品はありますか?」
などと展開すると思いますよ。

.

事例
勤務先名 合資会社ホームケア

職種 書道講師
雇用形態 パート
仕事内容 カルチャースクールの講師として生徒さんの指導をお任せします。
まったく未経験の方を対象とした初心者スクールなので、
講師の経験がなくても、技能にある程度自信があれば大丈夫です!

★毛筆、硬筆などジャンルはなんでもOK!
給与 時給800円~
応募資格 講師経験のある方優遇
要普通自動車免許
勤務地 福岡県福岡市西区野方
交通手段 マイカー通勤
勤務時間 10:00~14:00または18:00~21:00の間で1時間からOK!(応相談)
★勤務は週1日~OK!(応相談)
福利厚生
諸手当 交通費支給(当社規定内)
休日 日曜・祝日定休
夏季休暇
年末年始
産経学園 講師応募フォーマット
https://www.sankeigakuen.co.jp/demand03.asp

〒228-0803
神奈川県相模原市相模大野3-1-7 エピカビル4F
株式会社カルチャー  講座管理課 「講師募集」 係
http://www.culture.gr.jp/jinji_kousi/kousibosyu.htm

東京カルチャーヴィレッジ
http://www.culturevillage.jp/emp/

読売・日本テレビ文化センターで講師募集
https://www.ync.ne.jp/bosyu/honbu.html

大泉カルチャースクール
http://o-cs.co.jp/teacher.html

アイカルチャーセンター
http://culture.a-its.co.jp/koushib/index.php

道満カルチャー()
http://himeji68.jp/doman-ct/4/index.html

カルチャースペース・Piccoli(町田)
http://www.ritomi.com/piccoli/kaikou.html

「第25回国民文化祭・おかやま2010」美術展に係る作品募集について

2010年02月23日 | つれづれに
秋開催の「第25回国民文化祭・おかやま2010」では、県下7市で日本画、洋画、書、彫刻、工芸、陶芸の美術展を開催する。
同展作品募集要項は以下のとおり。


1 開催日時及び開催地
(1)開催日(7部門共通)
   平成22年10月30日(土)~11月7日(日)
(2)部門別開催地
   美術展(日本画)  [総社市]総社市スポーツセンター
   美術展(洋画)   [倉敷市]倉敷市立美術館
   美術展(書)    [岡山市]岡山県天神山プラザ
   美術展(彫刻)   [井原市]アクティブライフ井原
   美術展(工芸)   [真庭市]白梅総合体育館
   美術展(陶芸)   [備前市]岡山県備前陶芸博物館
                  備前焼伝統産業会館

2 募集締切(応募料の納期)
  平成22年8月20日(金)
  (応募料は、1人1部門につき、2,000円)


3 応募点数
  応募点数は、1人又は1グループ1点
  ただし、写真部門については、1人2点まで応募可


4 作品搬入日時及び場所
(部門)        (搬入日時)          (搬入場所)
【日本画】【洋画】  平成22年8月28日(土)   日本通運株式会社早島物流センター
【書】            ~8月29日(日)   (岡山県都窪郡早島町矢尾823)
           10:00~17:00     TEL086-292-1010

【写真】【彫刻】   平成22年9月4日(土) 
【工芸】【陶芸】       ~9月5日(日)         同 上
           10:00~17:00


5 応募資格
  1 未発表作品に限る。               
  2 他者の知的財産権を侵害しないもの。
  3 日本画、洋画、彫刻、工芸、陶芸については高校生以上とする。


6 応募作品の規格
  別紙「美術展募集要項」をご覧下さい。

7 申し込み方法
  募集要項中出品申込書に必要事項を記入の上、作品とともに搬入してください。

8 審査員(五十音順・敬称略)
  【日本画】 井手康人 上村淳之 鍵岡正謹 中野嘉之  
  【洋 画】 鍵岡正謹 片岡雅志 高橋 秀 野田弘志 元永定正
  【 書 】 浅沼翡舟 高木聖鶴 樽本樹邨 歳森翠石 額田桂崖
        村上俄山 森川星葉 渡邉里軒
  【写 真】 織作峰子 川隅 功 田沼武能 中塚通孝 花田英彦
  【彫 刻】 鍵岡正謹 金谷哲郎 酒井忠康 澄川喜一 蛭田二郎
  【工 芸】 金子賢治 國本敏雄 松島 巌 森口邦彦 山口松太
  【陶 芸】 伊勢淳 上西節雄 金子賢治 中ノ堂一信

蘭亭

2010年02月23日 | メモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



目次 [非表示]
1 概要
2 日本国内の蘭亭序
3 関連項目
4 参考文献

353年(永和9年)3月3日に、名士41人を別荘に招いて、蘭亭に会して曲水の宴が開かれ、その時に作られた詩集の序文の草稿が蘭亭序である。王羲之はこれを書いたときに酔っていたと言われ、後に何度も清書をしようと試みたが、草稿以上の出来栄えにならなかったと言い伝えられている。いわゆる「率意」の書である。28行324字。

王羲之の書の真偽鑑定を行った唐の褚遂良は『晋右軍王羲之書目』において行書の第一番に「永和九年 二八行 蘭亭序」と掲載している。

自らが能書家としても知られる唐の太宗皇帝が王羲之の書を愛し、その殆ど全てを集めたが、蘭亭序だけは手に入らず、最後には家臣に命じて、王羲之の子孫にあたる僧の智永の弟子である弁才の手から騙し取らせ、自らの陵墓である昭陵に他の作品とともに副葬させた話は、唐の何延之の『蘭亭記』に載っている。

したがって、王羲之の真跡は現存せず、蘭亭序もその例にもれない。しかし、太宗の命により唐代の能筆が臨摸したと伝えられる墨跡や模刻が伝えられている。

墨跡では清の乾隆帝が蒐集した三点の模写本が有名である(北京故宮博物院所蔵)。


八柱第一本は虞世南の臨摸であろうと董其昌が推定した。墨気が抜けたうえに入墨も多く一見不鮮明であるが、西川寧は、王羲之の真跡に最も近い双鉤填墨本であると評価している。元時代に張金界奴が献上したので、張金界奴本ともいう。

八柱第二本は褚遂良の臨摸ともされていたが、現在は北宋の無名の人の臨摸と推測されている。線が細いのが特徴的である。

八柱第三本は馮承素の臨摸といわれる。筆路が鮮明であるのが特徴的で、高校の教科書などで紹介されることが多いが、逆にそれが不自然過ぎると指摘されることもある。割り印として使われた「神龍」の印が、端に半分残っているので神龍半印本ともいわれる。「神龍」は唐時代の年号である。(2008年、江戸東京博物館で日本初公開された)

ともあれ、各臨本を実際に初唐の能筆が臨摸したという根拠はない。

石板や木板に蘭亭序を模刻し、それから制作された拓本のなかで、古来最も貴ばれたものは、五代~北宋時代初期に碑石が定武郡で発見された定武本である。同系列として開皇本がある。定武本は一般に欧陽詢が臨摸したと伝えられるが、これも根拠はない。定武本には覆刻本が非常に多い。その他に張金界奴本と神龍半印本が有名であり、手本としてよく用いられる。張金界奴本は八柱第一本を原本とし、穏やかな書風で神龍半印本よりも評価が高い。秋碧堂帖や余清斎帖がある。神龍半印本は八柱第三本を基とするが、筆意が墨跡より自然であるといわれる。

また、蘭亭序を『蘭亭叙』と表記する向きもあるが、これは蘇軾が祖父の名前「序」を避けて以来広まったのであって、あえて「叙」と表す必要はない。

また、郭沫若(1892年 - 1978年)が文化大革命直前に発表した蘭亭序偽作説は一大センセーションを巻き起こしたが、現在その説は殆ど支持されていない。


(八柱第三本)

日本国内の蘭亭序 [編集]
呉炳本蘭亭序(東京国立博物館)
趙孟十三跋・臨蘭亭序(東京国立博物館)
関連項目 [編集]
王羲之
中国の書道史
ウィキメディア・コモンズには、蘭亭序に関連するマルチメディアがあります。 参考文献 [編集]
西川寧「張金界奴本について」『書品』238号(1973年12月、東洋書道協会)
張彦遠『法書要録』(北京:人民美術出版社、1984年)
徐邦達「王羲之蘭亭序模臨本前後七種合考」『書譜』第8巻第1-6期(1982年2-12月、香港:書譜出版社)

王 羲之(おう ぎし、303年 - 361年[1])は中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂(現在の山東省)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。
曾祖父は王覧(王祥の弟)、祖父は王正、父は王曠(東晋の淮南太守)。子に王玄之(長男)、王凝之(次男)、王渙之(三男)、王粛之(四男)、王徽之(五男)、王操之(六男)、王献之(七男)がいる。子孫に王之(徽之の子)、智永らがいる[2]。


『蘭亭序』(神龍半印本、部分)王羲之は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
秦・漢代の字体などを研究し、それぞれの字体を楷書、行書、草書などと組み合わせ、貴族的で力強く、流麗、清爽、優美、典雅、端正な書体が特徴的で、「雪の如く、竜の如し」と形容されるほどである。
「書道の革命家」、「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた[3]。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名である。他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などが見られる。

王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望されていた[4]。東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後も羲之は朝廷の高官から高く評価され、たびたび中央の要職に任命されたが、羲之はそのたびに就任を固辞した。友人の揚州刺史・殷浩による懇願を受け、ようやく護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(現在の浙江省紹興市付近)となった。

羲之は会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、地方行政にも力を注いでいる。

354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となる[5]。王羲之は王述の下になることを恥じ、会稽郡を揚州の行政機構からはずすよう要請したが却下された。王述が会稽郡にさまざまな圧力をかけてくると、これに嫌気が差した王羲之は、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、仙道の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

衛恒(衛瓘の子)の族弟である衛展の娘で、汝陰の太守李矩の妻となった衛夫人から、後漢の蔡邕、魏の鍾繇の書法を伝授され、その法を枕中の秘とした。7歳の時から衛夫人のもとで書を学び、12歳の時に父の枕中の秘書を盗み見、その技量が進んだ。

唐の太宗(李世民)は王羲之の書を愛し、真行290紙・草書2000紙を収集した[6]。崩じた時に『蘭亭序』を一緒に昭陵に埋めてしまったと言われている。その後戦乱を経て王羲之の真筆は全て失われたと考えられている。現在、王羲之の書とされているものも、唐代以降に複写したものと、石版や木板に模刻して制作した拓本のみであるとされている。『快雪時晴帖』(台北の國立故宮博物院 所蔵)は、古くは唯一の真筆と考えられており、清の乾隆帝はこの書を愛し、自ら筆を持ち「神」と記した。しかし、『喪乱帖』などと同様に精密な双鉤填墨等の手法による模写本であり、外見上は真筆とまったく区別できない。拡大鏡によって初めてそれが複製であると分かる[7][8]。


『楽毅論』(余清斎帖本、部分)
『黄庭経』(部分)
『喪乱帖』
『孔侍中帖』
『十七帖』(余清斎帖本、冒頭部分) 楷書 [編集]
楽毅論(がっきろん) - 永和4年(348年)
戦国時代の燕の宰相であった楽毅の言行を、三国時代の魏の夏侯玄が論じたもので、羲之の小楷として第一位に置かれる。日本では光明皇后の臨書したものが正倉院宝物として遺されている。
黄庭経(こうていきょう) - 永和12年(356年)
老子の養生訓で、羲之の小楷の中でも気韻が高い。
東方朔画賛(とうほうさくがさん) - 永和12年(356年)
漢の武帝に仕えた東方朔という奇人の画像の賛として書かれた。
孝女曹娥碑(こうじょそうがひ) - 升平2年(358年)
後漢の漢安2年(143年)、水死した父の屍を求めて投身した孝女曹娥の事跡を表彰したもので、羲之の書であるというが確証はない。南宋になって初めて文献に出て来た。
行書 [編集]
蘭亭序(らんていじょ)- 永和9年(353年)
詳細は「蘭亭序」を参照

集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)
『集字聖教序』ともいう。唐の太宗が玄奘三蔵の業績を称えて撰述したもので、これに高宗の序記、玄奘の訳した般若心経を加え、弘福寺の沙門[9]懐仁(え にん)が、高宗の咸亨3年(672年)12月勅命を奉じ、宮中に多く秘蔵していた王羲之の遺墨の中から必要な文字を集めて碑に刻したものである。字数は約1800字で、原碑は現存する。
羲之が歿してのち、300年後の仕事であるので困難も多く、偏と旁を合わせたり、点画を解体して組み立てた文字もあり、完成するのに25年を要したといわれる。
興福寺断碑(こうふくじだんぴ)
唐の興福寺の僧大雅が、羲之の行書を集字して、開元9年(721年)に建てたものであるが、碑は上半分を失って700余字を残しているため、半截碑ともいう。また、文中、「矣」の字を「呉」と誤っているので、呉文断碑ともいう。明の万暦年間に長安城内の草中より発見された。
喪乱帖(そうらんじょう)
王羲之の手紙の断片を集めたもので、『喪乱帖』8行、『二謝帖』5行、『得示帖』4行の計17行が一幅になっている[10]。書簡の最初の行に「喪乱」の句があるのでこのように呼ばれる。縦に簾目(すだれめ)のある白麻(はくま)紙に、双鉤填墨で模したものであるが、肉筆と見違えるほど立派である。東京・三の丸尚蔵館蔵。右端の紙縫に「延暦勅定」の印3顆(か)[11]が押捺されているところから、桓武天皇の御府に既に存在していたことが分かる。
孔侍中帖(こうじちゅうじょう)
『哀禍帖』(あいかじょう)・『九月十七日帖』・『憂懸帖』(ゆうけんじょう)の三帖から成る。一括して『九月十七日帖』また『孔侍中帖』という。『喪乱帖』と同じ紙で、双鉤塡墨。また『哀禍帖』と『九月十七日帖』との間の紙縫に、同じく「延暦勅定」の印三顆が押捺されている。現在は前田育徳会蔵。国宝。
快雪時晴帖(かいせつじせいじょう)
「羲之頓首」に始まり、時候の挨拶に続いて相手の安否を気遣い、要件を済ますといった、形式通りに書かれた手紙。清の乾隆帝が、王献之の『中秋帖』、王の『伯遠帖』とともに珍蔵し、その室を「三希堂」と名付けたことで著名。
姨母帖(いぼじょう)
奉橘帖(ほうきつじょう)
草書 [編集]
十七帖(じゅうしちじょう)
羲之の手紙29通を集めて一巻としたもので、蜀郡の太守の周撫に与えた手紙が多い。初行に「十七日」の句があるのでこのように呼ばれる。草書の龍といわれている。四行は楷書である。
游目帖(ゆうもくじょう)
羲之が周撫に宛てたものと思われ、蜀郡への憧れを寄せている。1900年、義和団事件の混乱で紫禁城から流出し、大正時代に日本に伝来。1913年(大正2)、京都府立図書館の展覧会で一般公開。1945年(昭和20)所蔵者だった広島市大手町の安達万蔵が原爆で被災し以降行方不明。
初月帖(しょげつじょう)
寒切帖(かんせつじょう)
遠宦帖(えんかんじょう)
妹至帖(まいしじょう)
後世への影響 [編集]
書聖と称されただけあり、後世の書道界への影響は絶大であった。後の時代の書家はほぼ全員が王羲之を手本として、何らかの影響を受けたと言われている。そのため、「書道を習う者はまず王羲之を学んでから他を学べ」とさえ言われた。

科挙においても王羲之の技法で書かなければ答えが合っていても合格にならなかったと言われている。文字通り「王羲之の文字でなければ文字にあらず」とさえ言われたのである。

王羲之には次のような逸話がある。

王羲之は幼い頃から鵞鳥が大好きであった。ある日のこと、一軒の家の前を通ると、鵞鳥の鳴き声が聞こえてきたので、譲って欲しいと頼んだところ、一人の老婆が出て来てこれを断った。翌日、鳴き声だけでも聞かせてもらおうと、友人の一人を伴って、老婆の家に赴いた。この姿を家の窓から見つけた老婆は、すぐさま鵞鳥を焼いて食ってしまった。そして、老婆は彼に「鵞鳥は今食ってしまったところだよ」と答え、羲之は大変がっかりし、一日中溜め息をついていた。それから数日後、鵞鳥をたくさん飼っている所を教えてくれる人がおり、その人に山の向こうの道観に案内され、道士に「一羽でもいいから譲って欲しい」と頼んだところ、道士はこの人が王羲之と知って、「老子の道徳経を書いて下さるなら、これらの鵞鳥を何羽でもあなたに差し上げます」と申した。彼は鵞鳥欲しさに張りきって道徳経一巻を書きあげ、それを持参して行って鵞鳥を貰い、ずっと可愛がったという。
王羲之は興に乗ると手近な物に字を書いてしまう習性があった。ある日のこと、酒屋で酒を買って帰る時に、店の主人が酒代を請求すると、羲之は酒代の代わりに壁に文字を書いたという。主人がその文字を見ると「金」という文字であった。主人がその文字を薄く削って売ったところ、莫大な値になり、その主人はおかげで裕福になったという。
またある日のこと、嘗て門人の家に行き、机の表面が非常に滑らかなのを見てそれに字を書いたのだが、門人の父親がこの落書きを見つけて削ってしまい、後でこれに気付いた門人は、何日もふさぎ込んでいたという。
またある日のこと、羲之が町の中を歩いていると、一人の老婆が扇を売っており、彼は売っている扇の何本かに五文字ずつ字を書いたところ、老婆は「どうしてくれる」と色をなして詰った。すると彼は「『これは王羲之という人が書いたものです』と言って売れば、少し高くいっても、きっと買ってくれます」と言ってその場を立ち去っていった。数日後、同じ場所を通ると、先日の老婆が彼を見つけて、「今日はこの扇に全部書いてください」と頼んだのだが、彼はただ微笑んだだけで、そのまま立ち去っていったという。

王羲之といえば、書の方面で余りにも有名であるが、その一方で、熱心な道教信者でもあった。その書の中にも丹薬の服餌などの事柄が登場している。
脚注 [編集]
^ 王羲之の生没年には、303年 - 361年、306年 - 364年、321年 - 379年(以上、唐以前の記録)、303年 - 379年(姜亮夫の説)、307年 - 365年(清の魯一同(ろ いつどう、1804年? - 1863年)の説)など諸説ある(比田井南谷 P.108)。本項は中文に従った。
^ 比田井南谷 P.110
^ 初唐の三大家、三筆、三跡など
^ しかし羲之自身は武人を志しており、中央政界での出世は、あまり望まなかったという。
^ 『晋書』王羲之伝によると、王羲之は前任の会稽内史であった王述を軽んじていた上、彼が母の喪に服していたときも、一度しか弔問に訪ねなかったことから、王述は王羲之を恨むようになったという。また『世説新語』仇隙篇によると、王羲之は王述の母の弔問に赴くといっては、たびたび取り下げ、ようやく訪れたときも、喪主の王述が哭礼している前に進み出ず、そのまま帰ってしまうなど、王述を大いに侮辱したという。
^ 『法書要録』(張彦遠編)第4巻に収録された『二王等書録』(張懐瓘撰)に、「右軍書大凡二千二百九十紙,裝為十三帙一百二十八卷:真書五十紙,一帙八卷,隨木長短為度;行書二百四十紙,四帙四十卷,四尺為度;草書二千紙,八帙八十卷,以一丈二尺為度。」とある(『二王等書録』の原文より)。
^ 比田井南谷 P.115、P.117 - 118
^ 鈴木洋保 P.19
^ 沙門(しゃもん)とは、僧のこと。
^ 藤原鶴来 P.64
^ 顆(か)は印鑑を数える単位。
ウィキメディア・コモンズには、王羲之に関連するマルチメディアがあります。 参考文献 [編集]
吉川忠夫 『王羲之 六朝貴族の世界』 (清水新書、1972年、新版1984年) ISBN 4389440179
木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
比田井南谷 『中国書道史事典』(雄山閣、1996年2月)ISBN 4-639-00673-X
鈴木洋保・弓野隆之・菅野智明 『中国書人名鑑』(二玄社、2007年10月)ISBN 978-4-544-01078-7
藤原鶴来 『和漢書道史』(二玄社、2005年8月)ISBN 4-544-01008-X

西暦七二六年に聖武天皇が行った流觴曲水の宴よりも先に、日本最古の曲水の宴が、登場します。

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日本書紀の中で、第二十三代顕宗(けんそう)天皇が西暦四八五年、旧暦三月二日曲水の宴をなされたと書かれています。「三月上巳後苑に幸して曲水の宴きこしめす」と又、「公卿大夫・臣・連・国造を集へて宴を為す」とあり、宮中行事としてとりあげられています。

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王羲之の蘭亭の宴より百三十二年後のことです。 ただ東晋の時代には、すでに曲水の宴は、旧暦三月三日と定められていました。 そのことから考えますとこの当時の曲水の宴は、邪馬台国の卑弥呼が、魏の国に使いを出した際に、伝わったものになります。

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しかしながら、卑弥呼の使いは魏の武帝曹丕が、上巳の節句を三月三日に定める前に帰国したことになります。三月三日に定まる前後は別として、卑弥呼の時代に曲水の宴は日本に伝わり催されていたかもしれません。

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しかし、書物によって書き記されている時点をはじまりとするならば、この曲水の宴が、日本最古と言えます。 そして旧暦三月三日に行なわれた流觴曲水の宴としては、続日本書紀の中で、西暦七二六年に第四十五代聖武天皇が、南苑で旧暦三月、曲水の宴を催したと書き記されているものが最古ということになります。

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たまたまこの本を書いている時に、信じられないタイミングでこの日本最古の宴跡が出土したのです。

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それは、西暦一九九九年七月二六日に奈良市の平城宮跡の東院庭園に隣接した北西部分敷地より日本最古の流觴曲水の宴跡が、発見されました。 その日の夜のニュースと翌日の新聞に紹介されました。 まさに、平城宮の南苑であれば、続日本書紀に書き記されていることに、一致するわけです。 そして、大阪の日本三大祭りの一つ天神祭の次の日ということも実に数奇な歴史のいたずらを感じないわけにいきません。


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なぜならば、天満宮は、菅原道真公を祀っており、そして、天神祭は、道真公が好んだ行事である曲水の宴を偲んではじまったからです。道真公が日本最古の流觴曲水の宴跡の出土を導いたのかもしれません。天満宮に祀っられている道真公は、最後の遣唐使十八番目に選ばれるほどの学問にたけた平安貴族でありました。そうしたことから第五十九代宇多天皇と西暦八九〇年旧暦三月三日宮中での曲水の宴に参宴することができました。そこで、書聖王羲之の蘭亭の宴に思いをよせた詩歌を詠んでいます。
「風向になげうち渡りて 海濱に臥(ふ)せりき 憐れむべし 今日佳辰に遇ふこと 近く臨む桂殿 廻流の水 遥かに想ふ 蘭亭 晩景の春(以下略)」
そして、道真公没十数年後、大阪天満宮で流觴曲水の宴が、豪快にも小川ではなく大川ではじまりました。 杯の変わりに、船に大勢の人を乗せ、水納祭としました。 行事の思いは、人間と自然の関係にほかなりませんが、流觴曲水の宴の形は大きく変わりました。 そして、時期も梅雨が終わろうとし、台風が上陸しようとする頃に、大阪らしく盛大な日本独自の祭り文化として誕生しました。
(平城京東院庭園跡日本最古の曲水の宴跡)
           平成十一年八月一日


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東京芸術劇場展示室抽選案内

2010年02月22日 | 画廊案内
| お申込み | 利用料金の納入 | 催物に係わる準備 |

 ■お申込み
 ■ お申込みの流れ

 ■ 受付開始
展示ギャラリーは使用月の12月前の初日から10日まで
展示室1,2は使用月の6月前の初日から10日まで
(10日が休館日にあたる場合は、休館日の翌日まで)受付をいたします。
 ■ 受付時間
午前9時から午後7時までに(休館日を除く)劇場事務室に書類をご持参ください。 ● 所定の「使用申込書(要印鑑)」と「展示計画書」
● 主催者、出品者に関する資料(過去に展示した時の図録、団体の規約等)

 ■ 使用期間
使用日程は、設定している中から1枠を選んで申込いただきます(4日から8日程度の日程です)。
日程につきましては、「展示施設 抽選日程枠のお知らせ」をご覧ください。
なお、空き日での使用につきましては随時受付けます。(「展示ギャラリー・展示室 空き日情報」)
空き日での使用をご希望の場合は、劇場展示担当までお問い合わせください。
(電話03-5391-2111(代))
 ■ 使用時間と利用料金
● 使用時間は午前9時から午後10時までです。
● 利用料金は別表「利用料金表」のとおりです。
● 同一の団体が1月に使用できる日数は14日以内です。(準備、撤去を含む)
● 使用時間には、展示の準備、撤去、また、観客、関係者等の入館から退館まで、施設使用に要するすべての時間を含みます。催物の円滑な進行のためにも余裕をもってお申込みください。

 ■ 抽選
申込受付月の最終の土曜日又は日曜日に抽選会を開催します。実施日及び集合時間は申込の際にご案内します。
抽選には個人での使用申込、団体での使用申込ともに1名の方に参加していただきます。
 ■ 休館日
年末年始休館及び毎月、保守点検のための休館日があります。




 ■利用料金の納入
 ■ 利用料金納入の流れ

 ■ 納入時期
● 施設の利用料金については、使用月1月前までに直接現金をご持参ください。口座振込の取扱いもしております。
なお、お支払いいただいた利用料金については還付できませんので、予めご了承ください。

 ■ 使用の取消
● 催物の中止に伴い、施設使用を辞退される場合は、早急に劇場担当者までご連絡をくださるとともに「使用承認取消申請書」をご提出ください。
● 「使用承認取消申請書」の提出期限(使用月6月前まで)以降に使用を辞退された場合、承認された期間の利用料金は、全額お支払いいただくことになります。

展示室は承認されますと、使用を辞退されても利用料金は全額お支払いいただくことになります。

 ■ 使用の変更
使用承認後に、承認された内容に変更が生じた場合は、早急に劇場担当者までご連絡くださるとともに「使用変更申請書」をご提出ください。




 ■催物に係わる準備
 ■ 劇場スタッフ
展示ギャラリー、展示室には劇場のスタッフはおりません。会場の設営等に必要な人員は主催者側で準備をお願いいたします。
 ■ 消防署への届出
消防署指定の用紙は、劇場に用意してありますので必ず提出期限前にご連絡ください。
展示室で持ち込みのパネル等を使用しない場合は届出を省略できる場合もありますので担当者にご相談ください。
提出書類は以下の通りです。
● 催物開催届出書(要印鑑)
● 会場管理計画書
● 会場設営図
なお、展示ギャラリー、展示室内に作品以外の物品を持ち込む場合は防炎加工が必要となります。自作の展示用パネル等の持ち込みはできませんのでご注意ください。
 ■ 備品等
展示用の備品は壁面掲示用のフック付ワイヤー、スポットライト、必要最低限の机・椅子などです。立体物を置く台等はありませんので、必要な場合は各自お持ち込みください。
 ■ 搬入の制限
展示ギャラリーの搬入用エレベーターに入る最大の大きさ、重量は次のとおりです。これを超える大きさ、重量のものは搬入できません。
間口1,750mm×奥行き3,100mm×高さ2,600mm重さ3,100kg
 ■ 打合せ
事前の打合せは使用日の約1月前から2週間位前までに行います。
打合せの内容については次のとおりです。なお、打合せ事項に変更が生じた場合は、早急に劇場担当者までご連絡ください。
● 搬入、公開、搬出等のタイムスケジュールについて
● 設営、展示方法について
● 搬入、搬出時の車種、台数、駐車時間について
● 作品数について

 ■ 催物のポスター・チラシ(ハガキ)
当劇場では館内宣伝用としてポスター2枚、チラシ(ハガキ)500枚までお預かりいたします。劇場事務室までご持参ください。
 ■ 禁止事項
展示ギャラリー、展示室内では以下の行為はできませんのでご注意ください。
● 作品、その他の販売(商談も含む)
● 作品の製作実演等のパフォーマンス
● 募金活動
● 裸火の使用
● 生物の展示(生花は除く)




さいたま市市民ギャラリー抽選

2010年02月22日 | 画廊案内
市民ギャラリー
 市民の皆様の文化芸術活動の発表の場として、市役所東側広場内にある「市民ギャラリー」をご利用いただけます。
 絵画、書、彫刻、写真など、日頃の活動成果を、ぜひご披露ください。

【所在地】
 さいたま市浦和区常盤6-4-4(さいたま市役所東側広場内)

【アクセス】
 浦和駅西口、北浦和駅西口または中浦和駅から徒歩12~15分
 浦和駅西口のバス<5番乗り場>から、「市役所経由 大久保浄水場」行きで、市役所前下車すぐ。または、「大久保浄水場」行きで、市役所北口下車、徒歩2分。あるいは、「北浦和駅西口」行きで、市役所南口下車、徒歩2分。
 北浦和駅西口のバス<5番乗り場>から、「浦和駅西口」行きで、市役所北口下車、徒歩2分。

【施設概要】
 床面積 44平方メートル、高さ2m30cm

【開館時間】
 午前9時~午後5時
 ※この時間には、準備・後片付けのための時間が含まれます。

【使用資格】
 ◆さいたま市内に住所を所有する個人
 ◆さいたま市内で活動するグループ

【使用期間】
 1週間単位(月曜日から日曜日)
 ※ただし、12月29日~翌年1月3日は休館です。

【使用料】
 無料

【使用申込】
 3か月ごとに抽選で利用者を決定します。
 抽選日は3月・6月・9月・12月の1日です。抽選日が土曜日・日曜日のときは、その月のはじめの月曜日となります。

埼玉会館展示室抽選会

2010年02月22日 | 画廊案内
埼玉会館展示室抽選会のお知らせ平成22年秋冬期(平成22年9月~平成23年2月分)の展示室の利用受付を3月1日(月)から行います。
初日(1日)は、ご利用日調整のため抽選会を開催いたします。

埼玉会館展示室は絵画・書道・いけばな・陶芸などの展示会にご利用いただけます。(利用条件等の詳細についてはこちら)

皆様のご利用をお待ちしております。

【抽選会日程等】
抽選会
日時 平成22年3月1日(月)
受付
時間 8時30分から9時まで  ※時間厳守
抽選
期間 平成22年9月~平成23年2月分
集合
場所 埼玉会館 B1F 情報コーナー


《埼玉会館展示室抽選会についてのご注意》 ● 埼玉会館の展示室抽選会は、原則的に、利用希望者相互の話合いで利用日を調整・確定していただいています。これは、できるだけ多くの方にご利用いただけるようにとの趣旨からです。
したがいまして、抽選会と呼んでおりますが、話合いの結果、やむを得ない場合のみ個別に抽選を実施しております。ご参加される方につきましては、まずは、お話合いにご協力いただきますようお願いいたします。
● 話合いは係員の指示で、ご希望月ごとのテーブルに分かれて開始いたします。
話合いにご参加いただくのは、単独主催、共催にかかわらず、代表者1名様のみといたします。
ただし、希望日程がふた月にまたがる場合のみ、それぞれの月に1名様ずつ参加してください。
また、利用希望は、一主催者につき、一催し物に限ります。
● 展示室抽選会は、ご参加いただく方の話合いにより利用日の調整・確定していただくということから、しばらくお時間をいただくことになりますので、お時間には余裕をもってご参加くださいますようお願いいたします。
※ 展示室お申込みご希望の場合は、ホームページ展示室利用方法をご覧ください。


詳しくは埼玉会館へお問い合わせください。
TEL:048-829-2471(9:00~19:00) 


佐賀北書道部

2010年02月18日 | つれづれに
佐賀北書道部が全日本高校書道コン15連覇

 佐賀北高書道部(34人)が、全日本高校書道コンクール(全日本書道芸術協会主催)で最優秀校に選ばれ、15連覇を達成した。第1回大会から守り続けているトップの座。部員たちは「先輩たちが築いた伝統を守ることができ、ほっとした」「16連覇を目指して頑張りたい」と喜んでいる。



15連覇を喜ぶ佐賀北高の書道部員ら  今回は212校から計1万3730点が出品され、各部門の最高賞に当たる部門賞52点、それに次ぐ準部門賞96点が選ばれた。今月1日に審査結果が公表され、佐賀北は部門賞に12点、準部門賞に16点が入賞、総合評価で最優秀校に輝いた。

 顧問の池田啓二教諭によると、コンクールのレベルは年々上がっており、部員一人ひとりが線の美しさ、強さだけでなく、構図などでも工夫をこらした。「佐賀には書道教室が多く、入学時に基礎ができている生徒が多い。その上で各自が努力を重ねているから連覇が続いているのでは」と話す。

 前部長の3年、平田夏帆さんも部門賞を受賞。「部全体の頑張りがないと連覇できないので、雰囲気づくりに気を配った。プレッシャーは大きかったが、その分うれしい」と笑顔。新部長の2年、江頭史実さんは「気を引き締め直して練習し、16連覇を目指します」と決意を新たにしていた。

(2010年2月18日 読売新聞)

富岡重憲コレクション展示

2010年02月17日 | つれづれに
書学書道史学会主催「特別鑑賞セミナー」
場所:早稲田大学會津八一記念博物館
日時:3月6日(土)午後2時~3時
内容:會津八一書簡・秋艸道人印譜・會津八一作品(前赤壁賦ほか)・富岡コレクション

なお同博物館「富岡重憲コレクション展示室」では、
3月1日(月)~4月24日(土)、「書の美」展が開催される。
「手鑑 銘 ちり蓮」、伝藤原良経(1169~1206)「嵯峨切」、無外如大(千代能・1243~1298)「消息」、愚堂東寔(1579~1661)「座禅偈」など24点が展示される予定になっているので、併せてこちらも参観できる。



http://www.waseda.jp/aizu/index-j.html

2009年度最後の展覧会は「書の美」と題し、当コレクションから手鑑「文彩」、古写経手鑑「ちり蓮」、勝家文書などの折本をはじめ、古筆切れ、書簡、墨蹟を展示する。写経に奈良~平安時代を、古筆切れに平安~鎌倉時代の仮名を、千代能や明恵といった鎌倉時代の僧侶のあるいは江戸時代の千宗旦の書簡、後水尾院の和歌懐紙そして白隠をはじめとする江戸時代の禅僧の書など、さまざまな時代さまざまな書き手による筆の跡をご鑑賞ください。(上記HPより)

とめはねっ! 最終回でしたね

2010年02月11日 | つれづれに
  • 為に書道をやるってどうよ?と言う訳で、そっちには進めませんでしたが。 漫画もですがドラマ見てて、文科系部活もけっこう熱血!と再確認しました。目標があればそれに向かって燃焼できますものね。 さて、漫画は6巻まで。 書道甲子園で触発され書道部そろって
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  • 終わっちゃった (散策日和 1時間前の記事 
    もいいから、最後までよろしくですっっ DVD出たら、絶対買おう しかし、"とめはねっ!"が終わったら、もう見るドラマないな~。 医療者ならだいたい見てる(?)コードブルーも見てません でも、このドラマ見てると、やっぱり書道やりたくなるなー
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  • 「とめはねっ!鈴里高校 書道 部」の感想です。 今回は第6回(最終回)「鈴里書道部の絆」です。 以下の記述にはネタバレを含みます。 私は原作の 漫画 を読んでいません。 前回の感想はこちら。 【 第5回「書道部分裂!?」 】 各
    http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2010-02-11-6 - 2010年02月11日 21:12:09 - 
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  • 最終回だった。 書道パフォーマンスに使う曲を「希望の轍」と決め、「轍」の大字を書くように命じられた結希は、プレッシャーからか、中々納得出来る字が書けない。 書道甲子園って、こんなに熱い競技だったのか…。私も高校生では芸術選択で書道クラスだったが、
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  • とめはねっ 鈴里高校書道部 最終回に3 (のほほんのほほん 1時間前の記事 
  • 最終回に3回も泣いてしまった。 いやあ・・・青春って本当に素晴らしい・・・ なんて切なくて甘いんだろう・・・。 自分は高校生活の3年間、何にも消極的でイマイチだった と後悔している分、余計に胸に突き刺さったなあ。 一回目 作品が完成した場面。どう考えても
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  • 書道は元々好きですね~ 子供が小学生のころ一緒に書道教室通っていましたが~、小学卒業で子供は辞めましたが~私はちょっとはまってしまって~、何年か書道やってましたよ~ 段も取ったりしましたが、やはり書道は続けないといくら段をとっていても