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月刊「光陽」編集部ー岩槻・光陽書道

・城下町・小江戸、小京都散歩
・古寺・仏教美術巡礼
・光陽書道教室(さいたま市岩槻)の学習・教育日記

『日本の書200人選~東京2020大会の開催を記念して~』」

2020年03月07日 | 聖風が編集「光陽」

 

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東京2020オリンピック・パラリンピック記念書展実行委員会

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2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を記念して、「日本の書200人選」を開催いたします。

 同大会は、スポーツの祭典であると同時に文化芸術の祭典でもあり、文化芸術の新たな価値を世界に発信・創出する好機でもあります。「書」は日本の伝統文化の結晶であり、現代の日本でも多くの愛好者を抱える、生活文化の一つです。

 本展覧会は、日本の代表的な現代書家約200人がさまざまな表現様式によって制作した新作を中心に構成します。また、共生社会の実現を目指して、障がい者の力強い書や、小学生から大学生までの日本の次世代を担う児童や青少年の溌剌とした書も展示します。文房四宝(筆墨硯紙)などの書道用具も含め、日本の伝統文化である書道文化が、現代に息づき、継承されている形を総合的に展覧し、東京2020大会の機運醸成を図ります。また、代表作家の出品作品の制作映像の放映や、デモンストレーション、ワークショップを通じて、訪日外国人にも理解できるように構成します。

 また、本事業は東京2020大会を契機とする文化プロジェクトの中核的事業として展開される「日本博」の主催・共催型プロジェクト、および「東京2020 NIPPON フェスティバル」にも採択されております。

日本の自然と書の心
「日本の書200人選~東京2020大会の開催を記念して~」



 

会 期 2020年4月25日(土)~5月10日(日)、
休館日=4月28日(火)、5月7日(木)
開館時間 10時~18時 金曜・土曜は20時まで。入場は閉館の30分前まで
会 場 国立新美術館企画展示室1E 東京都港区六本木7-22-2
観覧料 大人1,000円、学生500円、高校生以下無料
主 催 東京2020オリンピック・パラリンピック記念書展実行委員会,
文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会
(注)実行委員会(略称=東京2020記念書展実行委員会)構成団体
公益財団法人 全国書美術振興会、公益社団法人 全日本書道連盟、
日本書道ユネスコ登録推進協議会
読売書法会、一般財団法人 毎日書道会、産経国際書会
共 催 公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

 

 
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短夜のふけゆくままに高砂の峰の松風吹くかとぞきく

2020年03月05日 | 聖風が編集「光陽」
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短夜のふけゆくままに高砂の峰の松風吹くかとぞきく(藤原兼輔)

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よみ人:藤原兼輔 、所収:後撰和歌集

「高砂の峰の松風」には何やら新古今風の艶なる声調を覚えるが作者は藤原兼輔、後撰集に採られた歌である。ということで内容はいたってシンプル、「夏の夜、深養父が琴ひくを聞きて」という詞書に明白だが、『美しい琴の調べを更けゆくほどに聞きほれていると、まるで高砂の峰の松風が吹いているようではないか』と、琴の名手であった清原深養父の調べを全力で讃えた歌だ。ただあくまでも「夏部」の歌であるので、歌集的な見どころはあっという間に更けてゆく「夜の短さ」にある。
ところでご存知であろうか、かの紫式部は詠み人兼輔の曾孫であり、清少納言は深養父のそれであることを。平安時代を代表する才女はライバル関係にあったが、その曽祖父は夜どおし風流を楽しむ親しい間柄であったのだ。


君こずはたれに見せましわがやどの かきねにさけるあさがほの花

2020年03月05日 | 聖風が編集「光陽」

百三 君こずはたれに見せましわがやどの かきねにさけるあさがほの花

    題し知らず                        (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(君が来なかったら、誰に見せようかしら、わが家の垣根に咲いたアサガオの花よ……君が来なかったら、誰に見せればいいのよ、わがや門の、掻き根によって、咲いた朝顔の女)


我がやどの八重山吹はひとへだに ちりのこらなん春のかたみに

2020年03月05日 | 聖風が編集「光陽」

「拾遺抄」十巻の歌の意味を、主に藤原公任の歌論に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてある。その姿を観賞するのではなく、歌の心を憶測するのでもなく、「歌の様(表現様式)を知り」、「言の心」を心得れば、清げな衣に「包まれた」歌の「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」であり、歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であるという。



 拾遺抄 巻第一 春 五十五首


      題不知                       読人不知

四十九 我がやどの八重山吹はひとへだに ちりのこらなん春のかたみに
     
題しらず                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(我が家の八重山吹は、一重だけでも、散り残ってほしい、春の形見に・思い出のよすがに……わが屋門の、八重の山ばに咲くお花は、一重だけでも、散り残していてほしいの、春の情、片見なので)


 歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「やど…宿…家…女…屋・門…おんな」「八重山吹…八重に咲くおとこ花…珍しく愛でたいお花」「なん…なむ…してほしい…相手の動作の実現を希望する意を表す」「春…四季の春…春情」「かたみ…形見…思い出のよすがとなる物…片見…不満足な見」「見…覯…媾…まぐあい」「に…のために…目的を示す…によって…原因・理由を示す」

 

歌の清げな姿は、散り果てる山吹の花を惜しむ情景。

心におかしきところは、散り果てるお花に愛着する人の気色。

 


あさみどりのべのかすみはつつめども こぼれてにほふ山さくらかな

2020年03月05日 | 聖風が編集「光陽」

管家の万葉集に                  読人不知

二十五 あさみどりのべのかすみはつつめども こぼれてにほふ山さくらかな

管家の万葉集に                 (よみ人しらず)

(浅緑、野辺の霞は包み隠しても、こぼれでて色鮮やかな山桜だなあ……若い延べの彼済みは、つつみ隠しているけれども、もれ出て匂う、山ばの、おとこ花だことよ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く

「あさみどり…浅緑…新緑の頃…山桜が浅緑の葉とともに薄紅色の花を咲かせる頃…若々しい」「のべ…野辺…山ばではない…延べ…延長」「かすみ…霞…彼済み…彼澄み」「つつめども…包めども…隠せども…慎めども…慎重ても」「こぼれて…零れて…はみ出して…あふれ出て」「にほふ…鮮やかに色ずく…匂う」「山桜…野辺が浅緑の頃咲く八重桜…山ばのおとこ花…遅く咲くので愛でたいお花」「かな…感動・感嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、新緑、春霞、山桜の景色。

心におかしきところは、若くてなおも零れる如く咲いた山ばのお花。

 

百人一首に撰ばれた伊勢大輔の歌「いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」、この八重桜は興福寺の僧から宮中への恒例の贈り物で、その御礼の歌である。「桜」などは、同じ「言の心」で詠まれてある。「かな」もほぼ同じ感動を表している。

歌の清げな姿は「古き奈良の都の八重桜、今日、宮中に・九重に色鮮やかに咲いたことよ」、心におかしきところは「いにしえの寧楽の宮この、八重に咲くおとこ花、今日・京・絶頂に、九重に匂ったことよ」。この喜びの感動は、感謝の心となって伝わるだろう。この歌は、公任の歌論にてらしても「優れた歌」である。女房たちを代表して今年は伊勢大輔が詠めと、中宮の仰せによって詠んだという。伊勢大輔の祖父は後撰集撰者大中臣能宣。赤染衛門、紫式部、和泉式部の歌にも学んだエリートである。この時代の文脈のただ中に居ることは間違いない。


良寛釈文

2020年02月24日 | 聖風が編集「光陽」

38雑詩巻 良寛 紙本二七・二×二五四糎

 「天気稍和調」に始まる詩から「粲々倡家女」に始まるまで、長短三十六篇の詩から成る一巻である。

越後、与板町の庄屋新木屋に伝わっていたものであるが、非常に緊張した態度で書かれている。

というのも、新木屋は良寛の父以南の出た家で、そこに贈るための執筆であったからであろう。

詩はいずれも五合庵在住時代のもので、書かれたのはその時代の末期、良寛五十五、六歳ごろかと想像されている。

ともかく、良寛の細楷を見るには好適の遺墨である。

 

 余家有竹林  冷々數千干

 筝逬全遮路  梢高斜拂天

 經霜陪精神  隔烟轉幽間

 宜在松柏列  那此桃李妍

 竿直節彌高  心虚根兪堅

 愛爾貞清質  千秋希莫遷

 

 四大方不安  累日倚枕衾

 牆頽積雨後  窓寒脩竹陰

 幽徑人跡絶  空階蘚華深

 寥落有知此  何因慰我心

 

44 45 書簡 由之宛

良寛 東京国立博物館

紙本 一六・二×八五・七糎 

 和歌をそえて蒲圑を贈ってよこした弟由之に対する礼状で、初めに近況を報じ、つぎに長歌一首並びに反歌一首、最後に返歌二首をしたためている。

書風から見ると、良寛晩年に近いもののようである。

 

ふとんたまはりうやうやしくおさめまいらせ候。春寒信に困り入候。然ども僧は無事に過候。ひぜむも今は有か無かになり候。

かぜまぜに、雪はふりきぬ、雪まぜに、風はふきゝぬ、うづみびに、あしさしのべて、つれづれと、くさのいほりに、とぢこもり、うちかぞふれば、きさらぎも、ゆめのごとくに、すぎにけらしも

つきよめはすでにやよひとなりぬれどぬべのわかなもつまずありけり

 みうたのかへし

極楽の蓮のうてなをてにとりてわれにおくるはきみが神通

いざさらばはちのすのうへにうちのらむよしや蛙と人はいうとも

 やよひ二日

由之老 良寛

 


新字と旧字

2020年02月19日 | 聖風が編集「光陽」

先月から研究科写真版点数が倍増しました。これまでの「手本に忠実に」から、さらに自分の工夫を加えた研究をと願う課題として出題しています。チャレンジ下さい。

▽保坂春翔先生の第一課題は、荘子を出典にした四字を素材の行草。大きな志を託して雄大な気持ちを表現しています。下段に簡単に参考書体を掲載しました。
 作品を制作するに当って、字典で調べる必要について度々注意喚起しています。なぜかと言えば、書道の世界で扱う漢字は、国際言語としての漢字文明圏共通の言語であるからです。何気なく使っている漢字は、実は戦後、日、中、韓などそれぞれの国の国民教育の必要から、それぞれの国で漢字の簡略化・大衆化に取り組んだ結果、中国では「簡体字」、日本では「新字体(しんじたい)」を制定した事情によります。これにより、各国で新しい文字を決める前の文字を「旧字」と呼んで区別しているのです。日本の「新字体」は、漢字の行書体及び草書体を活字体として楷書体化して、新字体として採用されたものがあります。圖→図、觀→観、晝→昼など。中国では台湾、香港は康煕字典体を正字として採用し、大陸は「簡体字」として独自の略字を採用しました。日本では1923年の『常用漢字表』に示された「略字」制定以降、1949年告示された『当用漢字字体表』などを経て、小・中宇学校では漢字教育をしていますが、古い伝統に基づく書道の世界では正字が作品制作では求められるからなのです。▽第二課題の萩原青峰課題は、李白の「早発白帝城」の後半の二句。朔雲先生が求めた日本の情趣を求めた課題です。美しい墨色にチャレンジしてほしいものです。▽作村光風の第三課題は、小野小町の名歌を素材としました。潤滑のコントラストと、余白の空間を生かした課題としました。