ホテルへ向かう途中、これは大正時代に建てられたお菓子屋さん、「高砂堂」です。
ここは夜の繁華街の真ん中にある北洲飯店。左は居酒屋です。どちらもお世話に
なりました。後で様子をお伝えします。
風俗ビルもある。こういうのって豪勢な造りになっていたりしますよね。それだけ
お値段も高くなるってか?
夜はにぎやかになりそう。
メイン通りから奥に入った路地裏にもいろいろとあるようです^^
怪しい暗がりの奥には、小さい店がひしめいているようですね。
そしてこういう店もある、と(^益^)b 熟女かぁ~。「若奥様」っていうと
「熟女」が出てきそうなので、最初から「熟女」っていうと…?
さてホテルに到着。ここは天然温泉のスパ施設が併設されており、宿泊客は何度でも
入れるのです^^ というわけで、とりあえず風呂にゆっくり入り、それから夜の
出動に備えるわけだー(=゚益゚):;*.’:;
イザベラ・バードの秋田旅行記 1
明治時代に、イギリスから女性旅行家、イザベラ・バードという女性が日本にやって来ました。これがまたすごい冒険家のおばさんで、19世紀に船でハワイへ渡ったり、アメリカの大西部を旅し、朝鮮半島や中国を巡り、インドからチベットに行き、中東のペルシャも横断するという、よくまあ生きて放浪できましたね、という旅の達人なのである。
そのイザベラさんが、1878年(明治11年・当時46歳)に日本にやってきて、まず横浜から北上して日光へ行き、そこから新潟へ、さらに日本海を北上して秋田、青森、そして北海道に渡ってアイヌ民族に会っているのです。いったん横浜に戻り、こんどは京都、大阪、神戸、伊勢参りにも行きました。
その旅の記録としてUnbeaten Tracks in Japan(日本の道なき道を行く)という本を出版しています。これから少し、彼女が秋田(当時の久保田)を旅した様子をご紹介しましょう。
最初に現在の秋田県に入ったところ、大曲の少し先の神宮寺という町(村?)に宿泊したときのことです。当時の日本の宿が普通そうであったように、そこも「暗く嫌な臭いがして、部屋のしきりは障子だけ。白カビの生えた庭が見え、そこにはぬるぬるした ”protococcus viridis”が繁殖していた」とあります。その見慣れない単語はナ~ニ?と調べてみたら、「主に外壁を汚染する緑の藻類」だそうです。庭だから、もしかしたら風流な苔かもしれん、と思ったけれど、バードさんが来たのは梅雨の時期。雨が降って蒸し暑く、「とにかく何にでもカビが生えてしまう」と嘆いているので、やはりジメジメしていたのでしょう。
部屋には蚊が飛び交って、畳には蚤だらけなのに苦しみます。もっとすごいのは、灯りを消して寝ていたら、人の気配がするので目を覚ますと、何十人もの人々がひしめきあって自分を見つめていたのです!そっと障子を全部はずして!外国人が珍しかったのです。それにしても、なんとひどい失礼な野次馬根性。
しかしですね、バードさんはこの旅を振り返って、日本人の礼儀正しさ、この国の平和と安全をとてもほめたたえ、好印象を持って去って行ったのですよ。
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