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映画「ドライブマイカー」を見てミスチルの徴とのシンクロを考えた

2023-04-28 11:37:42 | 日記

映画「ドライブマイカー」を観た。見応えがあった。3時間はあっという間だった。家福という演出家が脚本家の妻、音の情事の場を目撃する。家福は素知らぬふりで生活を続ける。
私は音という美しい女性が、セックスをエネルギーとして仕事に注ぐ人物として捉えた。時代が変われば上野千鶴子さんのように、不倫をすすめることにうなずく人々が多いご時世である。過去の倫理も規範の解釈が違えば常識が古臭いとなる。それでも時代の流れで水に流すことができないのが我々の心の態様である。
映画では音の性癖を容認する家福。それは夫婦のの創作活動が上手くいっているからである。
家福は自分の実験的な演劇に音の浮気相手の男を抜擢する。実験的な演劇とはチェーフォフのワーニャ伯父さんを多言語のセリフで演じるのである。さらに手話による女優の演技、ワーニャ伯父さんを多様性という出演者の枠組みで演出していくのである。
もちろん多人種の役者と多言語による演劇は欧米でも上演されている。日本では非常に先進的である。この映画のシナリオは村上作品をどっやってさらに刺激的な場面の連続で独立した観点から観客を刺激する。
家福の稽古もひたすら本読み、ついでにセリフを棒読みさせる稽古を徹底して行うなどの特徴がある。
これは稽古というもので「感」を育成する一技法と私は思う。あらゆる分野の稽古において効果的な結果をもたらすこともあるはずだ。例えば、武道では理合を説明せずにひたすら身体の反復を行う稽古がある。感を磨くのである(初心者では述べていることの理解が難しいだろうが)。
映画ではセリフは感覚として宿り、具体的な稽古において感覚が感情と相まって湧き上がる効果をもたらす。
私はこの部分が得心という、ハッとして膝を打つような腑に落ちた感慨に結びついた。

人間の内面の微妙な行き違いについて。村上作品は多く表現してくれる。

そこでだミスチルの徴が流れてくる。違うテンポだよ
♪最初からこうなることが決まっているみたいに違うテンポで刻む鼓動を互いが聞いている。どんな言葉を選んでもどこか嘘っぽいんだ♪
これだよ約50年も一緒に暮らしている夫婦、みんなわかっているじゃないか。お互いのわかりあえない部分。
その部分の違いが小説として我々を引きずり込む。そう我々の内面の思っていることを引きずり出してさらけ出してくれる。
この作品ではドライバーの女の子の母との葛藤も重要なテーマであり、彼女の母の多重性格についても母と娘の永遠の関係性のなかでの興味深いテーマと言える。ただし、小欄ではいずれかの機会に論述したい。

♪ダーリンダーリン いろんな角度から君を見てきた。そのどれもが素晴らしくて僕は愛を思い知るんだ。
「半信半疑傷つかないための予防線」を今微妙なニユアンスで君は示そうとしている。♪

家福は実は大きく傷ついていた。ドラバーの娘の独白、そして自分の感情的の迸りが相まって、うまくいっているような暮らしが実は感情の自然を抑圧していることに気付く。ミスチルの傷つかないための予防線、歌詞は優れている。
恋人や妻との関係、本質、私が75歳であろうとみんなおんなじで、奇しくも徴とドライブマイカーの私の心のシンクロを記述した。

ところで村上春樹についての様々な評論はそれはそれで玉石混交である。
彼は同じテーマを何度も繰り返して掘り下げる。私にとっては武道を学び継続している体験から同調する部分が多い。
これからの新作が楽しみである。彼は言う「筆力がなかった」、彼の身体と心のシンクロは首肯できる。まだまだ面白い小説を提供してくれそうだ。


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