gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

完成度の高い 黄昏のビギン

2022-12-22 18:29:41 | 日記

黄昏のビギン。
高橋真梨子
https://youtu.be/l0hznpXw0Vg

歌詞がとてもよい。シンガーソングライターの自己主張歌詞と違い、創作とはこういうものだと教えてくれる。
自分が19才の体験からこの歌詞を吟味してみた。

雨に濡れてた
黄昏の街
あなたと会った
はじめての夜

春でも秋でもよい。いい季節で小雨そのものがロマンチックな雰囲気をかもしだしている。淡い靄が流れていてもいい。
とにかく、やっとデートに誘い出すことができたのだ。なんどもラブレターを出したし、思いきって電話もした。話をしたことはないが顔は知っている。ラブレターを渡そうといつも緊張して彼女を見つめていた僕を彼女も知っているのだ。
僕は甘い、甘いチャイコフスキーの弦楽四重奏のレコードを送り、コンサートに誘ったのだ。

二人の肩に銀色の雨
あなたの唇濡れていたっけ

高揚している僕は、とにかく言葉をさがしては途切れさせずに話していた。これ以上ないくらいに小雨が素敵だった。

傘もささずに僕たちは
歩き続けた雨のなか
あのネオンがぼやけてた

はじめてのデートで、はじめての会話は胸のときめきをどんどん押し上げて上昇する。
上を見上げればその高揚と霧雨でネオンがぼやけていた。

自分を含めて、初恋のデートのしめつける思いがこの楽曲の詞に見事に描かれている。初恋、初デートの情景を言葉の一言一言に載せて歌い上げている。

高橋真梨子の5番街のマリーはとても好きな曲で、高橋真梨子が一番良い。とても上手な歌手だが、黄昏のビギンは、尾崎紀世彦に比較して、あまりにも感情を込めた唱法なので、曲のさわやかな部分が消えてし。あっている。もちろん上手なのだが、▪▪▪▪。

いろいろな歌手のカバー曲を聴くのも楽しい。

カテゴリ:アート・文化

 
 

右翼化の風がやわらいで来たのを感じる。

2022-12-09 15:46:02 | 日記

以前、小欄でカルトに政権中枢を乗っ取られているが、安倍政権を支持する国民は大多数ではないと記述した。
現在、統一教会に乗っ取られた政権を支持する者は
31%もいる。これほ奇っ怪である。異様な政権を支持する連中は安倍の強固な支持者と同じ連中であろう。政権能力がないことが明らかでも支持するのは良い思いをしている連中が31%もいるということだ。
この31%の支持者達が世間に吹いた右翼の風を煽った。そして政権に忖度するマスコミが提灯記事を書き、御用評論家がリベラでまっとうな批判者を攻撃し政権を擁護し、松本人志や武田鉄矢やゆずやユーミンなどの安倍にてなづけられた芸能人が阿倍をかばい、後方支援する。これらの日和る連中が時代錯誤の言説を支持するから極端な言質でも多数派を形成しているような錯覚に日本中の空気が染まった。
当時、小欄はその空気を生成するしくみを記述して、カルトとくくったがそれは日本会議という得意な右翼団体に支援された連中のエセ保守のことを言ったのである。
まさか、本当に統一教会というカルトにここまで汚染されていたとは思わなかった。統一教会との癒着が明らかになり、さらにネット右翼の実態も明らかになった今。
あの記事では菅などの官房長官の機密費用がダッピーなどの広告代理店を使いネット上の卑劣な書き込みが世論に気色悪い風を吹かせていると指摘したが、さらに統一教会の信者達がその炎上に加わっていたことが判明した。
それでも、映画「新聞記者」などで安倍や菅の汚い手口が暴露されだした頃から、小欄でも 安倍達のエセ保守の退潮を指摘したが、安倍の死亡からさらに世の中の右翼化の風が弱まって来たのを感じる。
関西テレビの長澤まさみ主演の「エルピス」で麻生のような副大臣に「森友とめてますから」という台詞が流れたり、長澤まさみがニュースを読んで安倍の映像が流れたり、ちょっと前まで考えられない政権批判の場面が流れるようになった。
それもこれも安倍と統一教会の関係が暴露され、安倍が構築してきた権力の露骨な干渉が壊れだしたからである。私は無神論者だが老子の「悪は滅びる」という格言どおりだと思う。神を信じる人々にとっては天罰が下ったと思っているだろう。
政権と一体化した読売系の日テレで「ミヤネ屋」が統一教会問題を執拗に取り上げているが、昼の時間帯で視聴率がトップになり、結局、他局も追随しだした。昔は視聴率や視聴者に忖度して番組が作られており、イレブンPMで大橋巨泉が、痛快な政治批判をしても番組を降ろされることはなかった。永六輔なんぞは理不尽なことがあればサッサッと番組を降りて、プロデューサーなんぞはオロオロしていたものだ。そのような健全な番組作りが復活するかはわからないが、とにかく右翼化の風は弱まっている。
わたしは安堵した。縁側で庭を見てもカルトの風が憤りを呼び起こしてせっかくの休日もため息が漏れたものだ。
まだまだ安倍が築いた右翼化の構造は残っているがその構造を作った安倍がいなくなり、構造に乗っかり偉そうにふんぞり返っていた連中がしずみだす。
まっとうな右翼との議論は知的な論争であり、ネット右翼の便所の落書きのような書き込みの世界とは異なる。自分たちの立ち位置と思想がぶつかり合い。相手を尊重しながら違いを認識する。
以前にも書いたが三島由紀夫、黛敏郎、最近では内田樹などのまっとうな右翼は王朝文化という日本特有の伝統を愛でて世界に発信しようという思想が根底にある。保守本流とはそうした考えの人々であったはずだ。宮沢喜一はアメリカとの調整のなかでそうした日本の伝統に基づいた政治を目指した。それがうまくいったとは言えないし、優れた政治家と評価することもないが、少なくとも今のカルト政治家よりはまっとうであった。
やっとエセ右翼の風が弱まった今、実のあるリベラルと保守の議論がかわせるようになったのではないか。