限界集落ははたして魔界化、異界か。
入山集落は、徐々に住民が減っていき池谷集落の奥にある入山集落は機能を維持できず平成元年に廃村となった。
残った池谷集落も2004年に発生した中越地震で被害を受けた結果、さらに2世帯が集落を離れ6世帯のみとなってしまう。廃村の危機に直面した際、心のケアと自立支援を目的に世界中で活動している特定非営利活動法人JEN(ジェン)が、ボランティアを派遣し集落の支援を行なってくれた。
集落自体もボランティアの受け入れを実行するため、十日町市地域おこし実行委員会を結成。委員会の活動はその後、震災の被害から復旧するに伴い地域おこし活動へと進化を遂げた。
「米を直売するなど自立が実現すれば、集落はより発展できるのではないか」と農作業や体験イベントの実施で全国から人を集め、限界を囁かれた集落は活気を取り戻し始めたのである。
現在、委員会の事務局長を務めている多田朋孔さんは、都市部から集落への移住を決めた一人だ。勤務していた東京の企業がJENの支援を行っていた関連で池谷・入山集落の存在を知ったという多田さんは、東京で働きながら月に一回ほど農作業の手伝いに集落を訪れるようになった。
「来た当初は想像以上に家が少なくて驚きましたね」と多田さんは当時を振り返る。「最初に集落を訪れたのは2009年5月です。リーマン・ショック以降、お金だけで回している現在の世の中の仕組みがいつまで続くのか懐疑的になり、食料を自給する農業に興味を持ちはじめていたところでした。
集落を訪れ、委員会の代表(当時)である山本浩史さんに会った際、池谷・入山集落を存続させて日本全国の過疎化が問題となっている集落にとっての成功モデルを作り、食料問題や農業の後継者の問題等に立ち向かうつもりで活動をしている、といった委員会の理念をお聞きして社会的に価値がある活動だと賛同し移住を決意しました」。
経済問題をクリア、ハードル下げる
家庭を持っていた多田さんにとって不安だったのは経済的な問題だった。
集落に移住しても仕事がなければ計画が現実味を帯びてこないところだ。「地域おこし協力隊という制度があって池谷集落でも募集をしていることを教えて頂き、移住することが現実的になりました。また、うちの奥さんには集落が行っている農作物の直販などの事務仕事を用意して頂きました。これ以外にも現在は農林水産省が青年就農給付金の制度を作るなど一昔前に比べると、田舎へ移住することのハードルは下がっているように思いますね」。
実行委員会が主として行っている活動は現在4つある。1つは集落で作られる農作物の直売だ。特に山の湧き水を使って作られている「山清水米」はブランド米として全国からオーダーが入っている。2つは都市との体験交流事業。時期により田植え、稲刈、脱穀を体験できる「田んぼへ行こう」、4メートルもの積雪を雪かきする「スノーバスターズ」などの体験型イベントを実施し、年間のべ700人以上の人が集落を訪れている。3つ目は移住促進事業で、WEBサイトによる告知やインターン生の受け入れを積極的に行ない、4つ目は地域活性化のモデルとしての情報発信と農産漁村応援事業である。
4つのどの事業も、地域活性とともに収益を生み出ことも目的としている。
例えば体験交流は参加費が必要なのに加え、集落を訪れ体験し、もてなしを受けて集落のファンになってくれることで、この地域が生み出す農作物の買い手になってもらうことを期待している。
今年4月からは雪かき体験に参加した2人が新たに十日町市へ移住してきた。今後事業が順調に進みさらに移住者が増えていけば、池谷・入山集落は全国にある限界集落にとって希望の光となる。最後に多田さんへ将来の展望を尋ねた。「池谷・入山集落が成功モデルの一つとなって全国の過疎地域へその方法が広がってもらいたいですね。日本には都市と田舎があってそれぞれにいいところも足りないところもあります。今の活動を今後も継続します。
このレポートは月刊事業構想という雑誌の記事です。
過疎地だから限界集落だからというくくりかたで、強引にアメリカ的集約化をはかる大きなうねりのなかで、官の立場で限界集落をなんとかしようという人も存在します。
小欄はそうした希望の事業についても紹介していきます。c