アデラィン100年目の恋
この作品は数奇な運命の人を題材にー不老不死、
ー人間は、死ぬために生きるという摂理ーについて深く考えさせてくれる。
アデラィンは若くて美しく、聡明なキャリアウーマンである。彼女は数年ごとに居住を変える。自由な
旅人だから?とんでもない、長く暮らすと彼女の秘密が知られ国家に拘束される恐れがあるからだ。権力は個人のデータを欲しがる、それも特異なる人物については材料として分析したい。個人の尊厳などは意に介さないのである。
落雷が落ちた。
彼女は子供を産んだ直後に落雷事故にあい落雷にみまわれ体に異変が起きた。歳をとることができない体になった。歳をとらないということへの女性の執着はものすごい。 16世紀、ハンガリー王国の貴族、バートリ・エルジェーベトは贅を尽くすことと美貌を保つことに執着。その方法が「処女の生き血の風呂」に浸かることだ。楊貴妃彼は若さを保つため、毎朝、母乳を飲んでいた。
多くの女性は若さを保ちたいと思う。しかしこの作品は実際に歳をとれない女性の悲しみをひたひたと寄せる満ち潮のように鑑賞者を濡らす。自分の娘との会食の場面が切ない。老婆になった娘が自分の体の不自由を愚痴ると母は私が面倒を見てあげるという。ほほえみながら言うが不自然な親子の現実が実に痛ましい。
アデラィンは娘を生む前に学者として成功するハリソンフォードと付き合っていた。二人は別れるがその息子の求愛を受け入れて息子の実家を訪れ再会する。そしてすべての事実を打ち明けて消え去るアデラィン。
この作品と逆の特異な人生を送った男の映画がブラッドピット主演のベンジャミンバトンの数奇な人生である。老人の赤ん坊として生まれ成長するにしたがって若返る男、最後は赤ん坊になって妻のケイトブラッシュエイトの腕の中で息を引き取る。
この2つの作品は死に向かって歳を重ねる自然な摂理が正常に機能しない二人の人生を描く、二人とも先行きを悲観して愛する人のもとから姿を消す。この二つのファンタジー映画は優れた作品である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます