ジョブ型雇用がサラリーマンを非正規社員に追いやる。
今、経団連の会長は日立の中西氏である。上場企業は中西会長の世間への表明に合わせて動こうとしている。コロナの影響により日立グループはリモートワークである。そして働き方改革により社員のデジタルスキルアップの研修を行い出した。グループ企業の合併、身売り、部課の統廃合に対応し新しい部課への配置転換をスムーズに行おうと改革を進めている。
中西氏は日立の構造改革においては迅速でイギリスからの原発事業撤退など思い切りが良い。
私も広告の仕事で日立の子会社と付き合ったことがあるが、家族的な会社で社員もおっとりして、ギスギスしていない。いわゆる年功序列型人事で日本の大手企業の代表的な経営スタイルであった。
日立金属の身売りの意味すること
この社員を大切にする企業が老舗の小会社を身売りする。。。そして3000人のリストラを行うそうだ。今後、どんどんグループ再編を行い、大胆に改革をすすめるだろう。多くの正社員に対するドラスチックな配置転換、希望退職の勧告が行われようとしている。ということは経団連会長が明言しているジョブ型雇用がその他の大手企業で追随されるのは明らかである。
当然、その結果、こぼれる人々が増大するであろう。
建前での配置転換と言っても、効率化のための配置転換であるから必ず切られる人々はいるのである。
そしてリストラされる人は
総評解体により労働組合はリストラに抵抗できなくなった。
以前記述したように中曽根などの戦前の内務官僚の周到な戦略で、労働組合は形骸化した。
戦後の労働組合は良かった。
多くの組合は、工員と職員の平等な処遇を要求した。このときの労働組合が、工員と職員が同一組織に同じ資格で加入するものだったということは重要である。戦前の労働組合は、基本的に工員だけの組織だったし、また世界的にみてもホワイトカラーとブルーカラーが同じ労働組合に組織される例は多くない。ところが戦後日本では両者が同じ労働組合を組織し、しかも職員が組合員のかなりの割合を占め、指導的立場を担うことも多かったのである*1。工員と職員の平等な処遇を要求することは、これまで優遇されていた職員にとっては不利のようにも思える。ところが身分制度撤廃を求める声は強く、「優遇されている社員層においてもこの点を強く支持しており、逆に工員層より強い、という感すらあった」という*2。こうして工員と職員は、いずれも「社員」という、少なくとも建前上は対等な身分にあるものとされるようになった。
この結果、工員と職員の賃金格差は縮小した。(後略)
(橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出新書
,2020)122
総評の運動、国労のスト、メーデーでのデモ、国民はある程度の均衡を保つ組合運動に飽きてしまったのである。自分たちの権利の重要さより、効率良く儲けるために迅速果敢に行動できると思われた制度を選択したのである。
そして、その判断が粗雑で短慮であったことをこれから身に沁みて感じることになる。
連帯は死語になり孤立が、孤独な苦悩が広がる。
今、経団連の会長は日立の中西氏である。上場企業は中西会長の世間への表明に合わせて動こうとしている。コロナの影響により日立グループはリモートワークである。そして働き方改革により社員のデジタルスキルアップの研修を行い出した。グループ企業の合併、身売り、部課の統廃合に対応し新しい部課への配置転換をスムーズに行おうと改革を進めている。
中西氏は日立の構造改革においては迅速でイギリスからの原発事業撤退など思い切りが良い。
私も広告の仕事で日立の子会社と付き合ったことがあるが、家族的な会社で社員もおっとりして、ギスギスしていない。いわゆる年功序列型人事で日本の大手企業の代表的な経営スタイルであった。
日立金属の身売りの意味すること
この社員を大切にする企業が老舗の小会社を身売りする。。。そして3000人のリストラを行うそうだ。今後、どんどんグループ再編を行い、大胆に改革をすすめるだろう。多くの正社員に対するドラスチックな配置転換、希望退職の勧告が行われようとしている。ということは経団連会長が明言しているジョブ型雇用がその他の大手企業で追随されるのは明らかである。
当然、その結果、こぼれる人々が増大するであろう。
建前での配置転換と言っても、効率化のための配置転換であるから必ず切られる人々はいるのである。
そしてリストラされる人は
総評解体により労働組合はリストラに抵抗できなくなった。
以前記述したように中曽根などの戦前の内務官僚の周到な戦略で、労働組合は形骸化した。
戦後の労働組合は良かった。
多くの組合は、工員と職員の平等な処遇を要求した。このときの労働組合が、工員と職員が同一組織に同じ資格で加入するものだったということは重要である。戦前の労働組合は、基本的に工員だけの組織だったし、また世界的にみてもホワイトカラーとブルーカラーが同じ労働組合に組織される例は多くない。ところが戦後日本では両者が同じ労働組合を組織し、しかも職員が組合員のかなりの割合を占め、指導的立場を担うことも多かったのである*1。工員と職員の平等な処遇を要求することは、これまで優遇されていた職員にとっては不利のようにも思える。ところが身分制度撤廃を求める声は強く、「優遇されている社員層においてもこの点を強く支持しており、逆に工員層より強い、という感すらあった」という*2。こうして工員と職員は、いずれも「社員」という、少なくとも建前上は対等な身分にあるものとされるようになった。
この結果、工員と職員の賃金格差は縮小した。(後略)
(橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出新書
,2020)122
総評の運動、国労のスト、メーデーでのデモ、国民はある程度の均衡を保つ組合運動に飽きてしまったのである。自分たちの権利の重要さより、効率良く儲けるために迅速果敢に行動できると思われた制度を選択したのである。
そして、その判断が粗雑で短慮であったことをこれから身に沁みて感じることになる。
連帯は死語になり孤立が、孤独な苦悩が広がる。