モリー先生との火曜日
ジャックレモンの最後の作品。借りた日にALS患者の殺人事件が起きた。不思議と社会問題となっている問題に関連する作品を借りことが多い。
コラムニストのミッチ・アルボムは筋萎縮性側索硬化症(ALS)により死を目前にしているブランダイス大学の78歳の社会学教授、モリー・シュワルツとの日々を詳述する。シュワルツ教授の元生徒であるアルボムは卒業後16年間教授と連絡を取っていなかった。
アルボムは子供の頃の将来の夢はピアニストであったが、デトロイト・フリー・プレスのスポーツ・コラムニストとして成功していた。『ナイトライン』でシュワルツのことが取り上げられているのを見てアルボムがシュワルツに電話してみると、シュワルツは16年経っているにも関わらず元生徒のアルボムのことを覚えていた。アルボムはミシガン州からマサチューセッツ州までシュワルツに会いに行きたい衝動に駆られる。新聞社はアルボムがシュワルツに会えるよう毎週火曜日に休暇を与えた。
アルボムには恋人ジューンがいる。お互い愛しあっているのだが、忙しすぎるアルボムとのすれ違いにジューンは別れを決意した。
アルボムは強引にジューンを連れてシュワルツに会いに行く。ジューンはアルボムが甲斐甲斐しく恩師の世話を焼く姿を見て、彼が変化していることを感じる。そして自分がジャズ歌手としてソロデビューする歌をアカペラでシュワルツに聞かせる。シュワルツは聴いて涙を流すのである。
ジャックレモンが演じるシュワルツがアルボムに語る言葉が人生のひとこまひとこまの含蓄があり、心に響く。どんなに素敵で愛していても生活において、きちんと向き合って会話ができない人とは結婚できないと思うジューン。欧米先進国は厳しいなーと、以前ならば思うだろう。男はきちんと仕事して輝いていればそれは家族の幸せにつながると思い込んでいたが、その傲慢さについて老境になって気がついた。仕事のためと称して夜中まで飲む。休日は昼間で布団に潜り込む。妻がどのように我慢していたのかを思い至るのはこの作品を見たからである。日本社会全体がそうした亭主像に寛大であったから主婦の多くは許容していたのである。
理屈ではリベラル論者であり、フェミニズムに賛同していても自分の家庭では暴君である男は多い。ごく普通のエコノミックアニマルだと思っていたが、いかに優しさに欠けていたかを痛感する。
故江藤淳がアメリカ人はいつも「愛している」と臆面も無く言うのはお互いがそう言わないと不安だからと看破したが、今ではそうかな?惻隠の情や阿吽の呼吸、情意投合などの言葉そのものは真に優しい亭主しか使うべきでないと感じた。
ところでシュワルツは生前葬で多くの人々とハグするのだが、生前葬は欧米だけでなく日本でも行う人はいる。黒澤明監督の「まだだよ」は内田百間先生が毎年行っている。老人道を極めればこの生前葬は楽しいものになる。つまり愛される老人になることである。
ジャックレモンの最後の作品。借りた日にALS患者の殺人事件が起きた。不思議と社会問題となっている問題に関連する作品を借りことが多い。
コラムニストのミッチ・アルボムは筋萎縮性側索硬化症(ALS)により死を目前にしているブランダイス大学の78歳の社会学教授、モリー・シュワルツとの日々を詳述する。シュワルツ教授の元生徒であるアルボムは卒業後16年間教授と連絡を取っていなかった。
アルボムは子供の頃の将来の夢はピアニストであったが、デトロイト・フリー・プレスのスポーツ・コラムニストとして成功していた。『ナイトライン』でシュワルツのことが取り上げられているのを見てアルボムがシュワルツに電話してみると、シュワルツは16年経っているにも関わらず元生徒のアルボムのことを覚えていた。アルボムはミシガン州からマサチューセッツ州までシュワルツに会いに行きたい衝動に駆られる。新聞社はアルボムがシュワルツに会えるよう毎週火曜日に休暇を与えた。
アルボムには恋人ジューンがいる。お互い愛しあっているのだが、忙しすぎるアルボムとのすれ違いにジューンは別れを決意した。
アルボムは強引にジューンを連れてシュワルツに会いに行く。ジューンはアルボムが甲斐甲斐しく恩師の世話を焼く姿を見て、彼が変化していることを感じる。そして自分がジャズ歌手としてソロデビューする歌をアカペラでシュワルツに聞かせる。シュワルツは聴いて涙を流すのである。
ジャックレモンが演じるシュワルツがアルボムに語る言葉が人生のひとこまひとこまの含蓄があり、心に響く。どんなに素敵で愛していても生活において、きちんと向き合って会話ができない人とは結婚できないと思うジューン。欧米先進国は厳しいなーと、以前ならば思うだろう。男はきちんと仕事して輝いていればそれは家族の幸せにつながると思い込んでいたが、その傲慢さについて老境になって気がついた。仕事のためと称して夜中まで飲む。休日は昼間で布団に潜り込む。妻がどのように我慢していたのかを思い至るのはこの作品を見たからである。日本社会全体がそうした亭主像に寛大であったから主婦の多くは許容していたのである。
理屈ではリベラル論者であり、フェミニズムに賛同していても自分の家庭では暴君である男は多い。ごく普通のエコノミックアニマルだと思っていたが、いかに優しさに欠けていたかを痛感する。
故江藤淳がアメリカ人はいつも「愛している」と臆面も無く言うのはお互いがそう言わないと不安だからと看破したが、今ではそうかな?惻隠の情や阿吽の呼吸、情意投合などの言葉そのものは真に優しい亭主しか使うべきでないと感じた。
ところでシュワルツは生前葬で多くの人々とハグするのだが、生前葬は欧米だけでなく日本でも行う人はいる。黒澤明監督の「まだだよ」は内田百間先生が毎年行っている。老人道を極めればこの生前葬は楽しいものになる。つまり愛される老人になることである。