竹内まりやの「人生の扉」という歌を聴いたときにうまくまとめた楽曲だなーと感じた。使いふるされた音階を誰にでもなんとなく馴染めるメロディーにして、抑揚なく平易にまとめる。それが老年期には心地よい。
♪君のデニムの青が褪せてゆくほど味わい増すように♪
この曲が発売された時期にこの歌詞は共感をよんでいた。
しかし皮肉にも味わいが軽薄さでこすれおちてださくなってしまった。
竹内まりやと山下達郎、仲良く似た者夫婦だなーと感じている。この夫婦が今、話題となっているのはジャニーズ事務所に批判的な作詞家から決別されたことである。山下が恩義を感じるジャニー喜多川への思いと、批判する者は自分の音楽を聴かなくてもかまわないと述べたことで炎上したようだ。
この二人とユーミンは豊かなノンポリで、弱者への配慮というものが一欠片も細胞に存在しない。「何が悪いの?」、そう権威に憤ったり、泣いたりしている人々にに対する想像力がない。豊かなノンポリは山下達郎のように自分の音楽に縁のないひとについて切って捨てることができる。
被害を受けている人をみて抗議の声を上げないのは消極的な加担である。今や時代はレイプに加担しなくても見て見ぬふりをするものに責任を問う。
私何度も記述している、ワグナーがナチスであろうと、その曲を聴く、その音階とワグナーの罪を聴き想像する。ユーミンが安倍総理の友達であっても「卒業写真」を聴く。
ただし、今回の山下達郎はジャニーズ事務所について黙して語らないフジテレビのような商売という営利が覗ける。山下達郎の計算した楽曲が耳に残らないのは魂を感じることができないぁらである。