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田村委員長以下の批判に耳を傾けて刷新ぶりをアピールしてほしい。

2024-01-30 16:58:18 | 日記
田村委員長以下の批判に耳を傾けて刷新ぶりをアピールしてほしい。


下記は時事通信の記事についた中北浩爾中央大教授のヤフコメ。



共産党の組織原則は、コミンテルン由来の民主集中制。そもそもは暴力革命のための「鉄の規律」。そこでは分派(派閥)が禁止されます。今なお、(平和)革命を実現するという名の下に、日本共産党は民主集中制を緩めつつも堅持しています。 私たちが今、目撃しているのは、SNSが民主集中制を乗り越えつつあるという光景です。SNSを使えば、党員間で瞬時に連絡を付けられます。分派など作らなくても、声を掛け合えます。 党大会直前の1月11日、7人の党員が匿名で会見し、そのなかの一人の女性は党内でハラスメントが横行していると訴え、「被害者を泣き寝入りさせることが常態化している」「公党として人権意識のアップデートを求める」と発言しました。 党大会での田村委員長の一代議員への糾弾に対して、SNS上で抗議の声が止まりません。これ以上、被害者が泣き寝入りするような党運営は、許されないばかりか、不可能だと思います。



URL: https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/nakakitakoji/comments/c687d1d0-2c61-4ab7-bdee-64de59120b89



 「不可能」の3文字を赤字ボールドの特大文字にしたが、私も「不可能だ」と思う。たとえば大山県議を除名などしたら、共産党は取り返しのつかない大ダメージを受けるに違いない。

 田村氏は委員長就任早々、志位和夫らに忖度したか強要されたかは知らないけれども「やらかして」しまった。しかし今ならまだ取り返しがつく(と思いたい)。これ以上強権発動をちらつかせる(ましては発動する)ような真似は絶対にしないでほしい。

映画「パーフェクトディズ」

2024-01-28 15:17:13 | 日記
パーフェクトデイは私のルーチン生活と共通する哲学が映画の題材になっている。毎日、決まった時間に起きて植物に水をやり清掃の仕事をして晩酌をして本を読み就寝する。同じように繰り返されるルーチンを映す単調な生活のドラマである。
私は生活の幸せとは何かを問いかけていると観た。
この作品はドキュメンタリーのような映画である。
主人公は公園のトイレの清掃人である。
主人公の下層階級の仕事と賃金の低さについての社会的問題については一切触れていない。メタファーとしてさえも描いていないと思ったのだが、実は描かれていたのだ。
テーマとして日本が抱えている問題を直裁的に抉らないことについての批判を言う人物がいるであろう。
私この作品はあえて触れていないと感じた。清掃という仕事をまるで清掃員募集のPR映画のようにきれいに映す。手際よく処理する役所公司が演じる作業員の仕事振りは見事で、その仕事に従事している者の中には誇りを持てる人もいるかもしれない。汚物処理の情景などは出てこない。あえて外したのであろう。
一方で朝夕トイレ掃除で必死に稼いでいる人にとってはこんなきれいごとではないよと、吐き捨てるかもしれない。いろいろな見方があるだろう。
トイレ掃除は汚い仕事である。その仕事をすることが楽でないことは誰もが知っている。そこを映さない敢えて外すからこそメタファーの重さと、苦渋がより強く伝わってくる。
私は同じような肉体労働をしている。そしてこの映画の主人公にシンクロしている。淡々とこなしていく主人公のルーチン、規則正しく本人が1日1日に感謝して微笑む。同じことをしている。しかし、私のような人物は類がない。そんじょそこらには存在しない。
いい作品だ。観たものが幸せとは?についてじっくりと余韻を楽しみながら思索できる作品だと思う。
主人公は下層階級である、多分、年収300万円以下である。
その人々は多い。これからさらに下層階級に呑み込まれる人々は増える。庶民のマジョリティの多くはこの下層なのだ。
作家の川上未映子が主人公を没落貴族と規定した。
高給取りの生活を捨てて、あえて下層の仕事をする。晴耕雨読に近い幸せ。私も同じで幸せだが類を見ない。
多くの人々が目指す幸せは国策どうりに向かっている。国が率先して投資をあおる。投資コンサルタントのPR動画が氾濫しとぃる。麻生が2000万円くらいの老後資金もねーのかと舌禍したが、今の気流は金が舞い上がり落下してその中で手を広げて掴もうとする人々で溢れている。どうしたら儲かるか、そんな情報が氾濫しており目を通りすぎるだけで国民の一喜一憂が膨大なストレスとして黒い雨雲のように膨れ上がって実にいやな空気になっている。
この作品のメタファーはその点を観賞後の余韻として少しずつ迫ってくる。
この映画を観て、この投資社会を冷静に見つめ、少し熱い血を緩やかに温厚にしてみたらどうだろうか。良い眠り、良い目覚め、木漏れ日に穏やかな笑顔、うまい酒。平穏の幸せ。

祝田村智子委員長

2024-01-25 16:29:06 | 日記
祝田村智子委員長

先日、共産党は志位委員長から田村智子に交替すべきだとのべたが、そのように刷新されるとのことである。小池委員長になるよりはるかにインパクトがある。
田村智子委員長になっても志位氏や小池氏の院政になる恐れがあるが、それでも女性委員長の誕生は今までの閉鎖的なイメージを一新する効果がある。女性だからといって単純に喜ぶことはできない、連合委員長のように男社会に気にいられるように政治力を身につけ自民党に媚びるようでは交替は逆効果になっている。田村智子新委員長は今までの国会での切れ味鋭い追及の斬新さを党運営にいかしてほしい。
いつも述べているように企業の内部留保に課税させる提案といい、政策提案も共産党が最も優れている。共産党に対する国民のイメージが向上すれば選挙でも票が増えるであろう。その結果、自民党に緊張がもたらされ、自民党の中でもリベラルな議員を中心とした連中が自民党の再生に取り組むであろう。
大きな変革に寄与することはなくても、権力に対するチェックアンドバランスが機能することであろう。


やっとまともな民主主義を取り戻す機会が来た。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

2024-01-22 14:31:34 | 日記
やっとまともな民主主義を取り戻す機会が来た。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり


いままで安倍カルトに支配されていたことについて小欄では、一部のカルト、ネット右翼、利権のおこぼれにあずかりたい太鼓持ちの人びとに国政を占拠されているが、実数は多くはないことをのべてきた。
山上狙撃によりどんどん明らかになったことも、小欄の推論を裏付ける材料と言えるだろう。l整理して分析をしてみよう。


軽薄な日本人が増えて、安倍というカルト政権を容認してしまった。


カルト政治家が政権を握ったことにより、利権の恩恵を少しでも受けようとする人間がどんどん増殖する。まっとうな正義感と平和を願う我々の存在は一気に少数派になったような気がした。
カルト達は統一協会信者や日本会議などのエセ右翼である。そこに深く思考することができないネット右翼が安倍を擁護し、リベラルな人々を攻撃する。堕落したメディアが炎上!炎上!と騒ぎ立てリベラル攻撃がまるで世論の強い風向きのように書き立てる。
さらに官房機密費などを使い広告代理店によるツィート攻撃(ダッピーによるデマや捏造)を裏をとらずに記事にするメディア、新聞、雑誌の連携。こうした構造が戦前のような翼さん大勢を作り出した。


金融緩和、経団連と上場企業、ご用評論家が株高と企業の内部留保の増大をもってして現状の経済の安定を吹聴することでアベノミクスに功績があるような空気をつくる。
かくして賃金が上がらず増え続ける年収200万円代の下層階級や貧困世帯のこと、格差の拡大といった問題点は置き去りにされる。
失政を是正する上でどうすれば良いのかを真剣に考え提案する学者や評論家はメディアの出番がなく、経済の停滞を改善しようとする声は日本国民に染み付いた権力へのへつらい習性にまきこまれ沈み込んでいた。


それでも小欄はこうしたへつらい構造の本質を見抜き、安倍カルト集団の衰退を予測していた。


そこに山上銃撃が起こり奢る平家ならぬ奢る安倍派の崩壊が始まり出した。


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。


モリかけで批判されてもせせら笑いで栄華に浸り、花見の会で酒盛りにはしゃいだのが春の夜の夢のごとしになった。


空気を読むことにかけては敏感な国民は不正に対しての怒りを封印して様子見をしていた。
しかしカルトからの呪縛がほどけて、数々の不正の事実が露になりつつある。カルトとエセ右翼達のピラミッドは崩れ瓦礫となり以前のような際もの集団として存続するのであろう。いずれにしても統一協会と彼らの関係は存続するであろう。
我々は安倍の逮捕、起訴まで追い込むことができなかったことを恥じ入り異様な連中を君臨させてしまったことを反省しようではないか。
アベノミクス、金融緩和、財務省の堕落、経産省の傲慢、
メディア、新聞の劣化、日銀の独立性の棄損、検察の忖度、
警察官僚の暗躍、最高裁判事の人選、これらがつながりチェックアンドバランスの亀裂、そしてカルト集団の台頭、その崩壊。やっとまともな民主主義を取り戻す空気が流れ出した


差別主義とすり替え論法の自称学者古市にまっとうな批判がむけられた。

2024-01-20 15:21:03 | 日記
差別主義とすり替え論法の自称学者古市にまっとうな批判がむけられた。

小欄は古市がメディアに出始めた頃からうさんくささを指摘してきた。この優性主義と差別主義の俗物に対して和田秀樹氏が以下のように論じた。

古市憲寿は「差別と忖度」の小道具である
この人は、高齢者には85歳なり90歳なり以上は免許を取り上げろという発言をした人でもある。テレビで生き残るためには芸能事務所に忖度し、老人差別をすることが大切なようだ。
実際、高齢者は集団自決しろとかいった成田悠輔とかいう自称経済学者は、テレビで引っ張りだこで、弟までサンジャポの準レギュラーになった。テレビに出る人間は賢い。
杉田水脈のような差別主義者でも、LGBTは集団自決とは言わない。でも、高齢者は集団自決と言ったほうが日本のテレビ局には喜ばれる。
高齢者差別と芸能界への忖度、弱い女性の被害は無視して強い女性の味方をするというのがテレビコメンテーターの3条件とすれば、私がテレビに出られないのはもっともな話だ。
ただ、そんな人間のクズになってまでテレビに出たいと思わないのが本音だ。
指原莉乃さんに説教される男どもの情けなさ
ところが、松本人志の番組で、男たちが全員忖度する中、指原莉乃さんが、
「女性がついていく方が悪いのではないかとネットで出ていることがそもそも一種のセカンドレイプ。そういうのがなくなればいい。裁判するかもしれないのでやったやってないはそこで話をすればいい。8年前のことというニュアンスもよくない。時間がたっても同じように扱うべき。被害者とされる人に常に寄り添ってもらえるようになったらいい」
と発言して物議を醸している。
これはまさに正論だ。
性犯罪というのは時間が経たないと訴えることができないことが多く、イギリスでは時効がないことになっている。ドイツでは30年だ。昔のことで済まされる話でない。
性犯罪のPTSDは一生苦しむ人は珍しくない。とくに日本ではカウンセリングを専門とする精神科の主任教授が一人もいない悲惨な国なので、レイプの時効など廃止すべきだ。
「被害者とされる人に常に寄り添ってもらえるようになったらいい」というのも正論で、日本のフェミニストという人たちの多くは、自分の出世のために女性の地位を上げろということはあっても、性被害者のために立ち上がろうとか、非正規雇用の女性を救おうという人はほとんどいない。
松本人志と木原誠二の靴を舐めるテレビ
忖度とは別かもしれないが、自民政治刷新本部事務総長に木原誠二幹事長代理が就くそうだ。
週刊文春が大喜びにして記事にするのをわかっていて、こんな重職につけるというところが岸田氏のセンスなのかもしれないが、私の予想では相当な弱みを握られていると考えている。ますます、私はそれに確信をもっている。
実際、どのテレビメディアも彼が本部長になっても疑惑についてはまったく触れない。中国のことを批判できない言論統制国家だ。
野党も頼りないことをやめて、政権が変われば「偉い人の身内の犯罪も取り締まる」と言えば少しは票が増えるのに。それとも、野党の幹部まで弱みを握られているのだろうか?
ということで、今年の年頭の誓いのようなものを述べたい。まず、テレビに出るためとか、日大に残るための忖度はしないということだ。
Youtubeをはじめとするメディア(ところがこれもコロナの頃は本当のことをいうと削除されたり、チャンネルごと削除すると脅された)もあるのだから、本当のことを言い続ける。Youtubeより絶対本当のことをいうのがこのメルマガだ。
可能なら、テレビよりは本当のことを言えるラジオの番組をもちたい。これについては準備中だ。実現すると嬉しい。
新しい言論のやり方として小説も考えている。ノンフィクションだと名誉棄損になるので、小説という形で、私の推測を表現したいのだ。
もちろん、映画も撮りたい。私は日本の高齢者は、青春時代に裕次郎であれ、健さんであれ、映画に慣れ親しんできた世代なのだから、高齢者向けの映画は当たると思っている。
テレビコメンテーターが差別する高齢者をもっと元気に
実際、地方の映画館は、ほとんどシネコンになっているが、それはみんなイオンモールのようなショッピングモールに入っている。そして平日にショッピングモールを歩いている人は半分くらいが高齢者だ。この人たちは、モールの書店で私の『80歳の壁』などを買ってくれた人たちだ。
実は、最近、吉永小百合さん主演、山田洋次監督の『こんにちは、母さん』という映画を観た。
高齢者の恋愛を描くとのことだが、松竹側の意向なのか、山田氏の考えなのか、社会派的要素が強すぎて、高齢者の恋愛は、ほんの一部という感じだった。
私としては、まっこうから高齢者が主役で高齢者に楽しんでもらえる映画が作りたい。とにかく、嘘をつかず、忖度をしない人間でいたい(映画の出資者には多少忖度するかもしれないが)。
そして、本当のことを広めていって、高齢者に元気になってもらいたい。テレビの嘘と医者の嘘を信じていたら、高齢者が長生きできる可能性はあるが(これにしてもエビデンスはまったくないが)、ヨボヨボになっていくのは間違いない。
コロナ禍のときに、テレビとテレビ医者を信じた人がどんな風になったかを思い出すといい。
自称フェミニストは「若い女性」の味方に過ぎず
もう一つ、私が考えているのが、女性高齢者を元気にしていくという路線だ。おそらく女性の高齢者はいろいろな意味で、がまんを続けてきた世代といえる。もちろん、若い女性だって、中高年の女性だって、差別やセクハラなど不満はあるだろう。
ただ、それが少しずつましになっている過程なのも確かだ。
女性の高齢者は、男性ホルモンが増えるので、いろいろな意味で元気になるし、恋をするポテンシャルも高い。
ところが、まだ古い価値観に縛られている人は多い。そのせいで、夫が死んでからの10年ほどの孤独に苛まれる人も少なくない。
私は高齢者の味方ではあるが、さらに女性の味方である。日本の女性の味方と称する奴やフェミニストと称する人間は「若い女性」の味方に過ぎない。私は高齢の女性も含め、すべての女性の味方でいたい。

上記の文には辛辣さが小気味よくリズミカルに批判としての味わいをもたらしている。
注目すべき論者である。