サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

それからのラーマ❾

2015-12-18 00:00:44 | 日記

ポニョ:前回の話の中でラーマが善人についてのカテゴリーの話をされたけれど、ガツーンと来たぜよ。特に、善良な人はどれほど邪悪な者に傷付けられようとも、常にその邪悪な者に対して幸せを願うのだ。というところはすごいな。神様の見地でないと言えないなって思ったぜよ。

ヨシオ:感動的な説明やったよな。ババはいつもその人の良いところだけを見なさい、全ての人たちの幸せを願いなさい、と言われているけれど、このようにラーマが分かりやすく説明してくれると、本当にその通りやなって思うよな。

ポニョ:特にその後に続く斧とサンダルの木のたとえ話がとても分かりやすかったぜよ。木は斧で切り倒されても、その斧に木の芳香を付け足すってとこが、とても感動的やったぜよ。

ヨシオ:ババが言われた通りの事をして行けば人生において成功は間違い無いんや。前回もポニョが言ってたけれど、ババが講話で言われた事をしっかり自分の言葉となるぐらいなんども読み返して行けば、それが自分の思いと一緒になって人生が神聖化されるんや。

ポニョ:前からあんたは言ってたよなその事を。宇宙を創造された大元の神さんが来られた。この地球に住んでいるおいら達が一番最初にやらなければいけない義務は、その神さんが一体どんな教えを説いておられるのかをしっかり学ぶ事や。そして、それを日々の生活の中で実践して行くのが大切やって。

ヨシオ:そうそう。ババの講話だけでも全てを読みこなすには大変な努力がいるけれど、それだけの値打ちって言うか、もちろん値段なんて付けれないけれど、自分の命を賭けてでも読破しようと気持ちで俺は読み終えたけどな。あの頃は、乾いたスポンジみたいに、少しでもババの教えを吸収しようと必死のパッチやったな。

ポニョ:英語でないと読めない文献もたくさんあるしな。ババの本を全てを読みこなすって難しいぜよ。でも、ババの教えのエッセンスは「全てを愛し全てに奉仕しなさい。全てを助け、決して誰も傷つけてはならない。」という事やからそれらをしっかり守って生きていけばよしとしよう。

ヨシオ:自分で納得してどうするねん?

ポニョ:でもババが今まで言われて来た事の中に、おいら達が探し求めている答えは全て見つかるっていうもんな。それくらい幅広く何十年にも渡ってババはおいら達に話しかけて来られたから。

ヨシオ:そういやクリスチャンの人も、聖書の中に人生の様々な答えを見つける事が出来るって言ってたな。でもババの講話などはもっと量が多いし、とても教えが深いよな。特に不二一元の教えは。

ポニョ:簡単なようで、奥が深いぜよ。頭がクリヤーな時でないとこんがらがってしまうぜよ。

ヨシオ:俺たちが今紹介しているラーマのお話やけれど、ババがラーマだった時にこんな教えを言われていたんやなと分かるから面白いよな。今日の話も、翻訳をしながら笑ってしまったけれど、ラーマが生きていた時代は二万年前のトレタユガの時代やけれど、ラーマはカリユガ、つまり今俺たちが生きている時代の人間の特徴について話される場面があって、それがとても面白いんや。というわけで、本文をお楽しみ下さいね。「それからのラーマ第九回目、邪悪な人間ってどんな人?」を送りしますね。

ラーマは続けてこう言いました。
「さて、私は今から悪い人たちの資質について、あなたに述べなければならない。聞きなさい。あなた方は、どんな事があってもその手の人間との交わりを避けなければならない。もし、そう人たちと交じるのを避けなければ、あなた方はやがて悲しい思いをする時が来るだろう。
彼らの心は、他人が繁栄するのを見れば苦しくなるのです。彼らは、誰かの悪い噂話をする事を、まるで幸運がやって来たかのように喜ばしく思うのです。
人の六つの敵である欲望、怒り、貪欲、欲望、プライドと憎しみの後を、まるで彼らがそれらの奴隷のようについて回るのです。彼らはそれらの六つの人の敵を自分の司令官のようにみなして、それらの命令に従うのです。
同情や慈善という言葉は、彼らの辞書には載っていません。彼らは理由も無しに他人ともめ事を起こしたり、他人を挑発をしたりするのです。しかも、自分たちに良くしてくれた人にでさえ敵意を抱くのです。

彼らの言葉や行為、また、何かをしてもらったらお返しをするという行為も心からでは無く、虚偽に満ちています。彼らの態度は頑(かたく)なで、心はまるで岩のように硬いのです。
孔雀は魅力的な姿をしており、鳴き声も人を魅了します。しかし、孔雀は一撃で蛇を仕留めるのです。そのように邪悪な者も、甘い言葉を発しますが、実は他人を傷つけ、他人の妻を娶ろうとさえ画策するのです。
彼らは他人の評判にダメージを与えて喜びます。彼らは悪事を楽しみます。彼らは常に邪悪な事を志向しているのです。
彼らは人の中でも最も意地悪な者達です。彼らは報復される事を恐れません。彼らは他の人が何か良い目にあったりすると、我慢が出来ずに耐え切れないほどの頭痛にさえ悩まされます。
逆に他の人が災難に巻き込まれた時は、彼らはその人の苦しみを見て大喜びします。
他の人が苦しんでいるとき、彼らは王国の王に指名されたかのように大得意になります。彼らはエゴが強く自分の夢の中でさえ、他人を思う事なんてこれっぽちもありません!
彼らの心は、欲望、怒りと他の情熱の発祥の地です。彼らは両親や師または年長者を無視します。彼らは「良い人物」または「神」に対して言及する事を、非常に嫌悪します。彼らの知性は鈍いのです。彼らの行為は不埒(ふらち)そのものです。彼らのような人間を、将来やって来るカリユガという時代で大量に観察することが出来ます。

兄弟よ!多くの正しい行為の中でも、最も正義に満ちた行為は、助けを必要としている人を助ける事です。
すべての悪の行為の中でも、他の人に害を与える行為程、悪い行為はありません。これは、ヴェーダとプラーナの教えの本質であります。この理想は、良き人々によってあらゆる場所で掲げられました。
人間として生まれた特権を有しながら他人を傷つけるという、人としてあるまじき行為をする者は、次の生では低い獣になって生れ変わり、生を終えなければならないのです。
でも、まだそのレベルの魂が人として生まれ変わり、その無知さと盲目さによって悪事を重ねる場合は、私はカルマの法則の支配者として、その者が暗黒に満ちた長くて辛い人生を体験して這い出して来た後に、私は私自身のビジョンをその者に見せるという賜物を授けた後に、彼らを何度も人生の浮き沈みの中に放り込んで、彼らがそこから学ぶようにするのだ。

バラタよ。神々たちや賢人、偉大な人物達は、自らをこの二元の世界の世俗的な行為に従事しないのだよ。彼らは常に私に憧れ、私に心を向け続けるのだよ。
彼らは自分たちを行為の結果に縛られる事が無い仕事や、誰かの欲望が絡んでいない仕事をするのだ。彼らの行為の結果、困窮生活をもたらしたり、逆に何か利益をもたらせた場合は、彼らはその行為の結果が良い悪いに関わらず、もう一度生まれ変わって来なければならないのだ。
しかし、彼らが自らの行為の結果を望まず、その行為が誠実に、公正に、そして正しく行われている場合は、その行為の結果に縛られないし、言い換えれば彼は、英知を持っている行為者と言える。
人が帰依心と献身の心を持っている場合、その人はとても有利だと言える。というのもその人は至高の神のすぐ近くまで近づく事が出来、遂には至高の神と一体になれるからである。

人が自分の性質を分析し、自分が一体誰と付き合っているかをも分析する事によって、善と悪を見分ける事が出来、識別心を持つことが出来るならば、その人は何度も生まれ変わらなければならない世俗の海から、自分自身を救い出すことが出来るであろう。
兄弟よ!この真でも非真でも無い世の中を本物の世界だと思い込み、この世の物事に良い悪いと色分けするのは、肉体への執着心とそれをより発展させた心から沸き起こる事なのだよ。それらのまやかしと二元性から逃げ切れた者は、マハトマ(偉大なる魂)と呼ばれるのだ。彼らは自分たちの真の姿は不変の魂であるアートマだという事を悟っているのだよ。彼らは自分たちが二元の世界にいるのでは無く、常に至高の神と一つだと体験しているのだ。それ以外の者たちは、無知に翻弄されているだけなのだ。」
このラーマの説明に耳を傾けていたバラタと兄弟たちは、心に平安を得ることが出来ました。彼らの心の中には愛が溢れ、歓喜に満ち溢れていました。彼らはラーマの優しさに感謝して彼の足元にひれ伏しました。ラーマの講釈により、彼らの持っていた様々な疑問が明らかになったからです。
ハヌマーンは、他の誰よりもラーマの話を聞いてエクスタシーを感じました。
その後、ラーマは兄弟達とハヌマーンを伴って、宮殿に進み出ました。これは、毎日行われている通常の日常業務の一環だったからです。それは王政の執政者に助言を与えて、統治の職務に就く事でした。

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