サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

手を振り過ぎたらちぎれるんか?

2015-04-30 00:00:19 | 日記
ポニョ:以前紹介したゴパール君って人が良さそうやな。

ヨシオ:だから、今まで人に利用されて来たんや。

ポニョ:おいらのクラスメイトにも、そんな奴がいてたな。金を悪ガキから巻き上げられるんや。

ヨシオ:ババはゴパール君に、お前がもっとシャキッとしないから、人に利用されるんや。時には人に対して厳しい態度を取らないといかん。と言ってたしなめられたんや。

ポニョ:まあええわ。とか言ってたら、いつまで経ってもハイエナみたいに、しつこくひっつき回る奴がおるもんな。

ヨシオ:ババは、そういう輩のカルマはお前のせいで作ってるんや。お前がしっかりすれば奴らも来ないやろ。と言われたんで、それ以来シャキッとするようになったんや。

ポニョ:シャキッか。被害者のせいでカルマを作るって、なんか腑に落ちないけどな。でも、そういうことがあるんやろな。

ヨシオ:いくらカルマを作っても神の恩寵で取り消しになる場合もあるしな。例えば、その人がそのカルマを支払うのに、とても大変で耐えきれない時には、神さんが介入されて苦痛を軽減してくれるんや。神さんだけやろなそんな権限を持っているのは。

皆さんは、神の恩寵を得るにふさわしくなるために、正しい行いをして、功徳を積まねばなりません。
生まれ出たるとき、皆さんは首もとに何の花輪もかけてはいません。
しかし、良かれ悪しかれ、すべての過去の行為の結果 という目に見えない花輪をかけているのです。
そのカルマ(行為の結果)の首輪なしにこの世に生まれ出る者は一人としてありません。
しかし、人はこの真実を忘れ、常に快楽と富を追い求めます。
世俗的な喜びがどれほど長く続き得るでしょうか?
若者たちは、自らの若さや富を誇りに感じます。
しかし、それらは一時的なものなのです。
この真理を悟り、私たちは、神の恩寵という富を蓄えなければなりません。6/5/03
皆さんは、カルマの結果から逃れる方法はあるのだろうかと思っているかもしれません。
方法はあります。
神の恩寵を得た人々には可能です。
ひとたび神の恩寵の受取人になれば、カルマ・パラの影響を受けることはなくなります。
ですから、神の恩寵が得られるよう努力すべきです。
カルマから逃れるのは不可能だ、と学者は言います。
学者の言っていることもある程度は真実です。
けれども、ひとたび神の恩寵を得たならば、たとえカルマの結果を被らなければならないとしても、もはやその痛みを感じなくなるのです。
薬が入ったビンを例にあげましょう。
ビンには薬の有効期限が記してあります。
有効期限を過ぎれば、薬の効き目はなくなります。
それと同じように、神の恩寵はカルマ・パラを「期限切れ」にします。
つまり、神の恩寵はカルマの結果 を無効にするのです。
ですから、カルマの結果から逃れることは可能なのです。
人間は神の恩寵を受けるに値することができるように、必要な強さと意志の力を培うべきです。
ひとたび神の恩寵を得たならば、カルマの足かせから解放されるのです。21/7/05

ポニョ:コダイカナルの帽子売りの子供も、そんな感じかな。ババが学生たちに帽子を買いに行かすまでの二週間の間、一個も売れなかったんやろ。それにあの子、孤児やったんやな。知らんかったぜよ。

ヨシオ:ババは学生たちにお金を渡す時に、絶対に帽子を値切って買ってはいけないと言われたんやけど、その子は、夏のシーズンも終わりやからと言って、大幅な値引きしてくれたんやけど正価で買ったんや。それである学生が、君サイババって聞いたことある?て聞いたら、大事そうに古新聞の切り抜きを財布の間から取り出して来て学生に見せたんや。それはババの写真で、その子はいつもババに礼拝していますって言ったんや。

ポニョ:ババは、自分に帰依するものを決して見捨てられないんやな。この話はつい最近聞いたばかりやけど、いつ聴いてもええよな。心にジンと来るぜよ。おいらの家にはババの写真がたくさんあるので、一枚持って行ってあげようかな。

ヨシオ:もう、学生があげてるやろ。そんな事心配せんでも。コダイカナルでは、学生たちとババがいつも一緒やから、いろんなエピソードが伝えられているな。ババのお住まいであるサイシュルティでは、一週間に一度、奉仕の日というのがあって貧しい人たちにサリーやドーティという服などを配布するんやけど、その日はたくさん毛布が残ったんや。ババは、ここに来た人たち全員が受け取ったかどうか、もう一度チェックしなさいと言われたので、チェックしたんやけど、皆もらっているようなので、ババに報告すると、ババは何も言われずに部屋に戻られたんや。しばらくして、ホールに出て来られたんやけど、とても機嫌の悪い顔をされていて、近くにいた学生に喉が渇いたと言われたんや。それで、その学生がコップに水を入れて持って行くと、横によけて飲まれなかったんや。その学生も含めて、一体どうしたものかと、気をもんでババを見ていたら、ババは運転手を呼ばれて何かを言われ、そしてそのまま車に乗られて何処かへ行かれたんや。小一時間ほどで帰って来られたんやけど、どういうわけか満面に笑みを浮かべてられてたんや。みんなは、一体何があったのか運転手に聞いたところ、ババは残りの毛布を全部車に乗せて、あちこちの家を回られて毛布を配られていたんや。

ポニョ:それってすごいよな。ババが自ら毛布を配りに行かれるって。もらった人は驚いたやろな。突然ババが、あの~毛布を持って来たんですよ。よかったら使ってね。君たち、私のダルシャンに来たくても交通の便が悪くて来れなかったでしょう。だから私がこうして来たんですよ。ここは標高が高くて夜は冷えるからね。しっかり毛布にくるまって寝なさいよ。と言って配られたんやろな。

ヨシオ:ポニョの言ったとおり、人々はババがコダイカナルに来られているのは知っているんやけど、交通の便が悪くて来れない人が多いんや。学生たちはババのそういう行為を見て、奉仕というのは、助けを求めに来て人だけにするものではなくて、助けを必要としている人のところにも出かけなくてはならないのだ、という事を学んだんや。その後、ババが戻られてから、ババは一息でコップの水を飲み干されたんや。

カルマを支払い、奉仕や霊性修行を行う上で、あなたは様々な困難に出合います。
しかし、それはあなたが生きているこの世界では自然なことです。
この世界には善と悪、喜びと悲しみ、光と影といったように二面性を持っています。
それらのことにあまり重きを置かないようにしなさい。
あなたに降りかかるものを、あなたの義務として神への祈りと共に受け入れることです。
そしてその結果については神の御手にゆだねなさい。SS11/1996

今日教育を受けたものは皆、利己的な欲望の追及にのみ関心を持っています。
他人への奉仕をしようと思わず、国益も念頭にありません。
卒業しないうちから就職を心配します。
教育と就職のつながりを、きっぱりと断ち切りなさい。
教育は人生のためであり、食べるためではありません。21/5/92


ポニョ:喉が渇いたと言われた意味は、帰依者がババのことを心から呼んでいる。という意味だったんやな。ババに会いたくても会えない苦しさを、喉が渇いたと表現されたんやろうな。それより、あの孤児のところにも行かれたんやろな。

ヨシオ:ポニョがさっきから孤児の事ばっかり心配してどうするんや。その帽子屋の子供は両親を亡くしたけど、本当の両親であるババが面倒見てくれるので心配ないんや。それとも養子にでもするか?

ポニョ:そこまでは考えたことないな。そんなたたみかけるような喋り方をしなくてもええやろ。
ヨシオ:帽子屋の孤児にこだわり過ぎや。不毛の惑星の東半球に、一人で住んでいる奴のことをもっと心配したれや。

ポニョ:分かったってその話は。今度、一緒にコーヒーでも飲もうって約束したんや。でも、いつババの話を聴いてもババは優しいなって思うよな。本当に子供のような純真な心を持っておられるもんな。

ヨシオ:子供で思い出したんやけど、ババは子供達にテトラパックというジュースを配っておられたんや。そのジュースを飲んだ後、空になったビニールの中に、もう一度ストローを突っ込み息を吹き込むと風船みたいに膨らむんや。それを手で割ると大きなパーンという音がして、周りの人を驚かせることが出来るんや。それで、その日はもちろんババがおられるし、そういう音を立ててはいけないので、みんな、飲んだ後のテトラパックをゴミ箱に捨てていたんやけど、誰かが大きなパーンという音をさせてテトラパックを破裂させたんや。みんなはこんな大きい音をさせたんやったらサイババさんにも聞こえたかもしれん。もしそうだったら後で怒られると思って、恐る恐るサイババさんを見ると、こちらを何気無く見られていたんや。ほら、スワミにも聞こえたやんか。これは絶対後で怒られると思っていたけど、先生も誰も何も言ってこないし、ババも普通にされていたので、良かったと言ってみんなで安心して教室に戻ろうとしたら、誰かがまた、大きなパーンという音をさせてテトラパックを破裂させたんや。うわ!今度は絶対に怒られるぞ。二回もババの前でそんな音を立てたらと思って、誰が破裂させたんやと思って周りを見回すと、ババがテトラパックの破れたビニール袋を持って、やんちゃ坊主のような顔をして笑いながら子供達を見ておられたんや。

ポニョ:ほんまに子供やな。ババは。子供がパーンと大きな音を立ててジュースの袋を割ったのを見て、自分もやりたくなったんやろな。人を驚かすのが大好きやからなババは。へえ~。このジュースのパックはこんな音を出すことも出来るんや。面白い。私もやって見よかな。子供たちも驚くやろな。ワン、ツー、スリー 行くぜ!パーンという感じやろな。おいらもっと早くババとお友達になってたら良かったな。おいらと一緒に自然の中でいろんな事をして遊べたのにな。

ヨシオ:今からでも遅くないやんか。ポニョのイメージの世界の中で、俺みたいにババと遊べるで。昨日の瞑想で、俺はババと組み体操して遊んだな。ババはいつも上の方ばかり行きたがって俺はいつも支える側や。もう面白くなくなって途中でやめたった。でも、学生さんに頼んで一番格好がええところをカメラで撮ったけどな。

ポニョ:普通の人が聞いたらあんたの事、頭がパーになってるって思うやろな。

ヨシオ:自分でもそう思うわ。でも他の人のことは何にも気にしてないんや。俺とババだけの秘密の、お遊戯の時間や。以前、ウーティのサイババ小学校の話をしたやろ。ババがそこの学校に行かれる時は、子供達と一緒に寄宿舎の一室で寝られるんや。子供達も、とても喜んでババがおられる間とても興奮するんや。でもいつかは別れの時が来るやろ。それまでクリスマスと正月が一緒に来たみたいに、ペンやらお菓子やらペンダントやらノートブックやら物質化してプレゼントされるやろ。それに小さい学校やから、一人ひとりに神の無限の愛情を注がれるので、子供達はババをとても愛していて、ババが帰って行く時を恐れているんや。だから、ババは普通、早朝四時に、みんなが寝ている頃に、そっと音を立てないようにして車で帰られるんや。でも、ある日ババは子供達と一緒に朝食をすませた後、そっと音も立てずに出発されたんや。でも子供達はそれに気づいていて、二階にあるガラスの部屋と呼ばれている、景色がよく見える部屋に競って駆け上がって行ったんや。ウーティの学校は丘の一番上にあるので、遠くの方までよく見えるんや。それで、子供達は泣きながら、ババの名前を呼んで手がちぎれそうになるまで振ったんや。ババの車がだんだん小さくなって、見えなくなるまで10分ぐらいかかるんやけど、その間、みんなの目はババの車に釘付けになってたんや。ババももちろん子供達が自分に手を振っているのを知っておられるので、その十分間の間、車中の誰とも話をされず、よそ見もせず、リアウインドウからずっと子供達を見ながら手を振り返されていたんや。分かるやろ。俺、自分の長男をウーティの学校に行かしたかった理由が。


苦行とは自分が神と別れてしまっていると感じるときの辛い気持ちのことです。
神と別れているという苦しみがあれば、何時どこにいてもそれは苦行をしているのです。
苦しみを感じながら神を熱烈に求めていけば、三つのグナの魔力に捕らわれなくなります。
その時、三つのグナは融け合って一つになります。
~それが出来れば、言葉に尽くしがたい大いなる悦びがやってきます。SGc11
ハヌマーンは「私はラーマ様の僕だ」という一途な気持ちによって大きな悦びを味わっていました。
ただその気持ちはいつまで続くでしょうか。
それは神の恵みを受け、神の近くにいるときだけです。
神と別れてしまったら大変苦しむことになるはずです。
「私は神」の段階になれば苦しみの問題は全く起こりません。
高度な段階になれば、いつも神と一つなのですから、神と別れたり苦しんだりすることはありません。
「神の僕」の段階では、神と僕が別れてしまう事もあるが「私は神」の段階では悦びが途切れることはありません。
二つに分かれることは決して無いからです。SGc9
神を忘れるのは人間です。神は決して信者から離れていることはありません。
信者が神から離れているだけです。
あなたは神があなたから離れていると思っています。
しかし全くそうではありません。
あなたは神を忘れ、神があなたを忘れたと宣言していますが、実はあなた自身の感情があなたに反映されているだけなのです。14/1/96
現代人はすべての物事に関して疑います。このような猜疑心は、自分が神から離れた存在だと思うことから生じるのです。23/2/06

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