サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

隠れキリシタン中国へ行く

2015-12-09 00:00:05 | 日記

ポニョ:今まで二回に渡ってあんたとこの祖父母の数奇な人生を紹介して来たけれど、数奇といえばお袋さんのお母さんの人生も数奇やもんな。

ヨシオ:父方の祖父母の人生は数奇というより、中国から移民して来た人たちが普通に辿っている人生やけれど、確かに母方の祖母はとても霊的な人やったから数奇な人生を送ったな。

ポニョ:というわけで、今日はお袋さんのお母さんの話を中心にしてもらいましょか。確か五島列島の仲通島から来たんやろ。

ヨシオ:その当時、スペインやポルトガルから来た宣教師達は、九州の長崎港から宣教を始めようと思ったんやけれど、上陸が許されなかったので長崎から一番近い山肌や丘に囲まれた鄙びた漁村が点在する仲通島に上陸し、そこで布教し始めたんや。小さい島やからあっという間に全島がキリスト教徒になりあちらこちらに小さな教会が建てられたんや。でも政府の弾圧に遭い、五島列島の中でも一番南にある大きな島、福江島に逃げて来たんや。そして福江で網元をしている同じキリスト教徒の家族に助けられて富江という小さな村で網元を始めたんや。隠れキリシタンといっても俺たちが思っているようなキリスト教徒ではなく、地元の土着宗教と混じったような宗教で、お袋に話によると祖母はいつも先祖から伝わっている神棚に祀ってある神様に向かって手を打ってお祈りをしていたと言ってたな。

ポニョ:その富江村で末っ子として生まれたのがあんたの祖母である、福山加代子さんやな。というわけで、その加代子さんの数奇な人生を今日から何回に分けて紹介しましょう。

加代子は子供の頃から他の村の子供達と違って少し青みがかった瞳をしていた。それに足袋や着物は特注でないと着たり履いたり出来ないぐらい、背が高く、足も大きかった。多分ご先祖様に宣教師と一緒に来た船乗りの血が入っていたのかもしれない。
加代子が学校に通いナイチンゲールの話を学んだ時に、自分も看護婦になりたいなと思った。それで両親にその旨を伝えると、両親は女の子は勉強しなくても良いから、お嫁に行くことだけを考えてもっと家事を手伝いなさいと言われてショックだった。でも、心の奥深くに将来この島を抜け出して世界に飛び立ち看護婦になるんだと夢を捨てずにいた。加代子の人並み外れた容姿とその快活さは十代の後半になると村中の評判になった。その評判は福江まで届いていた。ある日昔世話になった、福江の網元の娘さんで中国で国策会社をいくつも経営していた高橋興蔵に嫁いでいる、みどりという奥さんが福山家に顔を出して加代子の両親と何やら真剣な顔をして相談していた。みどりが帰った後、しばらくして両親は加代子を床の間がある客間に呼びつけ苦しい表情をしながら加代子にこう尋ねた。
「加代子よ。お前はもう一人前の立派な女に育った。お前がもしよければ中国に行って、偉いお方の元でしつけを教わったり習い事をしてみないか?私たちはお前がここにいて、お前の姉達のように地元で結婚し私たちの目の届く範囲にお前を見守って生きて行きたいと願っているが、お前がもし望むなら中国に行っても良いよ。」
加代子はその話を聞いて天にも昇る心地だった。それはまさしく加代子が望んでいた事であり、もしかして子供の頃からの夢であった看護婦にもなれるかもしれないと考え、一つ返事でそれを受け入れた。

みどりが付き人と一緒に加代子を迎えに来たのはそれから間も無くの事だった。富江に住んでいる加代子の友達や家族全員が見送りにやって来た。加代子はみどりに手を引かれて嬉しさのあまり、来てくれた全ての人たちに満面の笑顔でさよならを言って村を後にしたのだった。
みどりは早速加代子を自分の妹として役所に届けた。加代子は高橋加代子になった。みどりはもうその頃四十歳を超えていて、子供が一人も出来なかったのだ。それで子供に恵まれないのは自分の責任でいつも夫の興蔵にすまないと感じていた。それで実家においとまするつもりで福江に帰って来たのだが、そこで昔お世話をさせてもらった家族の娘さんが飛び切りの器量良しで、島でも評判だという話を聞き、自分の妹として夫に紹介しようと考えたのだった。それで加代子の両親を説得するために富江にやって来たのだった。
加代子は長崎から山東省の青島に渡りそこで自分の両親の年ぐらいの興蔵に会った。その興蔵の屋敷は召使いがたくさんいて、毎日のようにいろんな要人が出入りしていた。加代子はみどりによって田舎娘丸出しで放縦な生活から、興蔵の側にいても粗相が無いように厳しい躾と習い事を教わった。

加代子は忙しい毎日の生活の合間を縫って召使いを連れて青島の街を人力車に乗ってよく探訪に出かけた。一旦中心街を離れるとそこは貧困の極みに達している人たちがいた。加代子はそのような人たちを見るが苦しくて、いつも小麦粉や米を携えて、貧しい人たちが住んでいる地区まで人力車を走らせて食料などを供与していた。そしてある中国人の家族と友達になり、毎日のようにその家に通い中国語をマスターしていった。その頃もう加代子は、十分高橋家の一員となり何処に出ても恥かしくない程、いろんな面で成長していた。加代子は自分の役割に気づき、興蔵の子供を産む決意をした。まだ若かった加代子が妊娠するのに時間はかからなかった。興蔵はことの外、これを知って喜び毎日のように加代子のお腹を撫でてまだ見ぬ、初めての自分の子供の名前まで決めていた。自分が経営している会社の名前が東洋興行株式会社だったので、東洋という字を入れるつもりだった。
加代子は自分のお腹が大きくなるにつれて、少し複雑な気持ちだった。というのも自分を母親のように温かい目でしつけ、習い事を教わったみどりが、自分の膨らんだお腹を見て寂しそうな表情をするのを見逃さなかったからだ。加代子はとても直感力が強くすぐに人の気持ちや思いを見抜く力を持っていた。加代子は自分はこのまま第二夫人として興蔵の元で子供を産み育てる事も出きるけれど、そうなれば興蔵の愛は私や産まれてくる子供に注がれてしまい、みどりが可哀想だ。そう考え抜いたあげく、ある日、加代子は思い切って興蔵にこう告げた。「私は日本で子供を産みたい。そして、日本で日本人として立派な子供を育てたい。」と。

興蔵も加代子の思いを見抜いていた。そしてその考えに同意してこう言った。「お前は優しい娘だ。お前の思い通りにしよう。私の会社の本社がある大阪に行けば良い。そこで私の部下たちに命じて家を買わせ、お前と産まれてくる子供が困らないように一生私が面倒を見ることにしよう。私はもちろん大阪の本社に戻るたびにお前と子供のところに立ち寄り、父親として、そして夫として面倒を見よう。」そう言って加代子を送り出した。
加代子は一人で大阪行きの客船の甲板に立ち、自分をここまで成長させてくれた中国大陸を感謝の気持ちを持って視界から消えていくまで見送った。そして、自分のお腹を撫でながら、私はこの子をどんなことがあっても自分で育て、守っていくと決意したのだった。
大阪に着くと本社の社員がすでに加代子が住む家を都島本通りに用意をしていた。現在の消防署があるところだ。本社の社員が毎日のように加代子が不自由していないかを確かめに来て面倒を見てくれた。おかげで無事丈夫な女の子を産むことが出来た。興蔵からすぐにお祝いの電報が届き、名前を東洋子にするように言ってきた。

東洋子が小学生になり大きくなるにつれて、加代子の生活にも余裕が出て来た。そして興蔵からの仕送りだけで生活していく事が甘え過ぎていると感じるようになった。というより自分で生活が出来るように自立して行きたいと思い、今住んでいる住まいの一階を改造して喫茶店を始めた。もちろん興蔵が全て出資して、その頃珍しかったヨーロッパのクラシックミュージックやジャズなどの音楽を店内に流し、特注のケーキなども食べれるようにした。その頃日本は戦争の足音が近づいて来ており、憲兵隊が大きな顔をして、肩で風を切って街を跋扈していた。人々は憲兵隊を怖がったが加代子の店はその憲兵たちでいつも賑わった。そしてケーキなどに使う砂糖なども手に入れるのがだんだん難しくなって来ていたが、加代子の店は興蔵がサポートしている為に全ての食料が入手出来、大変繁盛していた。やがて加代子の店は大物が支援しているという噂が広まり、そこは憲兵隊や軍部の人間、政治家たちの溜まり場になっていった。加代子の体に異変が生じ始めたのはちょうどその頃だった。それは何の前触れもなく突然やって来た。加代子の体に霊が憑依し始めたのだった。

最新の画像もっと見る