サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

正義の味方はラーマやな❶

2015-11-06 00:00:27 | 日記
ポニョ:ハイ、皆さんサイラムです。今日からシータやラクシュマナのストーリーや番外編も入れて全四十回に渡って「正義の味方はラーマやな」シリーズをお送り致しますね。

ヨシオ:なんやねん。その「正義の味方はラーマやな」ってのは?ラーマヤーナやろ。訛ってるやないか。


ポニョ:ちょっとお愛嬌やんか。この記事はババが1996年に十一回連続でホワイトフィールドで学生たちを相手にされた講話に基づいています。
http://sai.way-nifty.com/sainews/files/ramayanaJ.pdf
ヨシオ:二十年ほど前にババがラーマヤーナについてめちゃ詳しい本を出されたんやけれど、今回の御講話は、ほとんどそれと一緒です。ダイジェスト版ってとこかな?俺はその二十年ほど前に出版された分厚い本を皆さんに紹介しようと翻訳を始めていたんやけれど、ポニョが最近の講話にもラーマヤーナについて詳しく述べられているって事を教えてくれたんやったな。それでその講話をBrahmananda 宇野梵悦様という方がすでに六年ほど前に翻訳されていたので、それを使わせていただきました。

ポニョ:でも新しい方の講話には、ラーマとシータがアヨーディアに戻った後どうなったのか言っておられないので、後でその部分だけ古い方の資料から翻訳する事にしたんやって言ってたよな。

ヨシオ:俺はそのエピソードがとても気に入ってるんや。というのもラーマとシータが二人きりで会話するシーンがあるんやけれど、その時に二人はラーマとシータではなくXXXになったんや。そしてシータの肉体に入っていたXXXの神霊が出た後、シータは普通のお母さんになってラーマとの間に出来た双子を育てるんや。そしてその双子が大きくなってラーマと戦うんや。それで…とこれ以上言うとネタバレになるので言いませんが、めちゃ面白いで。

ポニョ:XXXって誰ですか?なんかイライラして来たぜよ。早く読みたいな。ちょっとズルして後ろの方から読もうかな。楽しみでヤンス。それではブログ開設二周年記念、「正義の味方はラーマやな」をお送り致します。世界は戦争屋によってガタガタしてますが、心の中はいつも神さんの事を思いましょうね。それではお楽しみ下さいね。正義の味方はラーマやなシリーズ第一回目は、ラーマが産まれそして育ったアヨーディアの街のお話から始めましょう。

◇アヨーディヤーの栄光

アヨーディヤーは、豊かなコーサラ国の中でもとりわけ栄えた都〈みやこ〉でした。この都はマヌ大王〔太陽神の息子〕が築いたもので、ここよりも美しい町はどこにもないほどでした。らせん状の建物が建ち並び、大きな市場や美しい庭が広がっていました。アヨーディヤーに住む 人々は、美しい町をさらに新しく美しいものにしていくことを喜びとしていました。建物には真 珠や宝石がちりばめられ、きららかに輝いていました。王のダシャラタは、あらゆる徳をそなえ た人でした。そこに住む人々もみな、ダシャラタ王のもつ徳をそれぞれにそなえていました。王は清らかで、少しの我欲もない、安らぎと愛そのもののような人でした。国のわずらいをわが子 のわずらいのように思い、大きな愛情を惜しみなく注いでいたのです。
ダシャラタ王は、八人の大臣と相談しながら国を治めていました。どの大臣も立派な人ばかり でした。聖典を修め、感覚の節度を守っていました。王の言葉を何よりも重んじ、王から命じら れた仕事を成し遂げるためなら、いつでも命を捨てる覚悟でいました。王のお城にはふたりの祭 司(プロヒタProhita)がいました。ヴァシシュタとヴァーマナVamanaです。このふたりは道に 則った神聖な生き方をしていました。神を瞑想することに日々を捧げていました。
ダシャラタ王は、自分の政務を果たすことを大きな喜びとしていたのですが、ただ、子に恵ま れないことだけが悩みでした。やがて、お妃のカウサリヤーに娘が生まれ、シャーン ティーと名づけられました。
子供を望んでいる王さまは他にもいました。アンガAnga国のロー マパーダRomapada王です。ローマパーダ王が自分の親しい友となったので、ダシャラタ王はシ ャーンティー姫をローマパーダ王の養女にやることにしました。ローマパーダ王はシャーンティ ー姫をたいそう可愛がり、深い愛とまごころをもって育てました。シャーンティー姫が年頃にな ると、ローマパーダ王はリシャシュリンガRishyashrungaという若い聖者に嫁〈とづ〉がせました。
ある日のこと、大臣のスマントラがダシャラタ王のもとへ行き、「お子をさずかるために『子息生誕の儀式(プトラカーメーシュティ・ヤジニャPutrakameshti Yajna)』をおこなってはいかがでしょう」と申し上げました。
それとともに、ご祈祷をおこなうにあたっては、シャーンティー姫の婿で ある聖者リシャシュリンガに祭司を勤めていただくことも言い添えました。そこでダ シャラタ王はスマントラ大臣とともに、みずからアンガ王国まで出向いていきました。そして「子息生誕の儀式」をとりおこなうにあたって、ローマパーダ王と聖者リシャシュリンガをアヨーデ ィヤーに招いたのです。
ちょうどそれが地上でおこなわれているときのこと、神々が大勢集まって、天界にいる最高神 ナーラーヤナ〔ヴィシュヌ神〕のもとを訪ね、ランカー島の魔王ラーヴァナの非道なふるまいか ら救ってほしいという願いを申し上げていました。創造神ブラフマーが魔王ラーヴァナに神の恵 みを与えてやったため、ラーヴァナはどんな魔物にも、どの天界の生きものにも殺されぬ身になっていたのです。このため、神々は気がかりでなりませんでした。そこでブラフマーはこう言っ て、神々をなだめました。「確かにわたしは魔王ラーヴァナの願いをかなえてやり、ラーヴァナは魔物によっても神々によ っても倒されることはなくなった。ただし人間の手にかかって殺されることについては、何も言っていない。ラーヴァナは、人間のことを軽く見ており、虫けらのようにしか思っておらぬ。人 間の手にかかって倒されるなど、夢にも思っていまい」
そこで創造神ブラフマーは、神々にこう宣〈の〉べたのです。 「最高神ナーラーヤナが人間となって生まれ、ラーヴァナに死をもたらすであろう!」このように、地上と天界で、あらまほしきことがふたつ重なったわけです。

◇神の化身ラーマの誕生

ダシャラタ王の願いに応え、「子息生誕の儀式」の祭司を勤めるために、賢者リシャシュリン ガはアヨーディヤーの都にやってきました。最高神ナーラーヤナは、ダシャラタ王の祈りを大い に悦び、ついにその姿をあらわしました。そして、 「神の恵みを与えてやろう。そなたには子がさずかるであろう」
と宣〈の〉べたのです。最高神ナーラーヤナは、甘いミルクがゆ(パヤサムPayasam)の入っ た器をダシャラタ王に渡し、三人の妻に食べさせるように言いました。徳の高い行いと、道に則 〈のっと〉った神聖な生き方によって、ダシャラタ王は、神の恵みを受けることができたのです。 神の恵みは、まことにその人の努力にふさわしい形であらわれます。
ダシャラタ王は、ミルクがゆを同じ量に分けて、三人のお妃に与えました。王さまにとっては、 どのお妃も同じように大切であったからです。学者(パンディット)の中には、お妃によってミ ルクがゆの量を変えて渡されたという、ゆがめた事実を言う人もいます。ダシャラタ王の三人の お妃、カウサリヤー、スミトラー、カイケーイーは、みんなたいへん仲良く、互いによく気づか って暮らしていました。
一番若いお妃のカイケーイーは、とても幸せな気持ちでこのミルクがゆを受け取りました。カ イケーイーがまず思ったのは、自分の息子にアヨーディヤーの王さまになってもらいたい、結婚 前にダシャラタ王がしてくれた約束があるのだから、ということでした〔ダシャラタ王は結婚前 にカイケーイーに、どんな願いでもふたつかなえてやると約束していた〕。
カウサリヤーもたいそう喜んで自分に分けられたミルクがゆをいただきました。自分が一番年 上の妃なのだから、自分が産んだ子がきっとアヨーディヤーの王さまになるに違いない。そうカ ウサリヤーは考えました。
ところが真ん中のお妃スミトラーは、そんなことを考えて喜んだりはしませんでした。誰とも 仲がよく、スミトラー(すてきな友達)という名前にかなったふるまいをしていた人です。スミ トラーは、自分に分けてもらったミルクがゆをテラスの手摺〈てす〉りの上に置いたあと、お風 呂に入って濡れた髪を太陽の下で乾かしていました。ところが、あれこれとせわしくしているう ちに、空から鷲〈わし〉が舞い降りて、ミルクがゆの入った器をさらっていってしまったのです。 スミトラーはダシャラタ王の怒りを怖れ、カウサリヤーとカイケーイーに、この苦しい立場につ いて相談しました。ふたりともたいそう徳の高いお妃〈きさき〉さまでしたから、自分たちの分 をスミトラーに分けてあげたのです。こうしてカウサリヤーからもらったミルクがゆのおかげで ラクシュマナが、カイケーイーからもらったミルクがゆのおかげでシャトルグナが、スミトラー から生まれることになったのです。〔ラクシュマナとシャトルグナは、スミトラーが産んだ双子〕。 そんなわけですから、カウサリヤーとミルクがゆを分けて生まれたラクシュマナがラーマに親し み、カイケーイーとミルクがゆを分けて生まれたシャトルグナがバラタに親しむのは、まことに 自然なことなのです。ラクシュマナは、まことの道に違〈たが〉うことなく最後まで忠実にラー マに仕えました。シャトルグナは最後までバラタに仕えました。バラタはシャトルグナ がいなかったら片時も生きてはいなかったでしょう。互いに深くこころが通い合っ ていたのです。それと同じように、ラーマもラクシュマナがいなかったら生きていけないし、ラクシュマナもラーマがいなければ生きてはいけません。ラクシュマナが戦場で気を失ったときの ラーマの悲しみは、たいへんなものでした。 「ああ、ラクシュマナ、この広い世界で、わたしはシーターのような妻を迎えることも、カウサ リヤーのような母をもつこともできるだろう。だが、おまえのような弟をもつことは二度とでき まい」
ラーマのラクシュマナに対する至上の愛とはこのようなものでした。



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