サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

良心の囁きと独り言

2017-08-09 16:00:57 | 日記
人々は、公園や海岸のベンチに静かに座っている時に、良心のささやきに耳を貸さないために非常に価値のあるものを失っています。
彼らは、一人きりになるのを恐れ、静寂でいることを何か忌まわしい物のように見なして避けています。
しかし、自分自身の真理を見つけるのに一人で静寂にしている時にのみそれが可能なのです。SSSvol4p,160

ポニョ:おいらが一番最初にインドに行った時に、バンガロールで泊まったホテルの名前がホテルラーマなんや。その名前を聞いて感激したな。だってインドだけやぜよ。ラーマがホテルの名前になるのは。この前行ったら名前が変わっていて別のホテルになっていたのでちょっとがっかりしたけれど。

ヨシオ:そうか?タイかビルマにもありそうな名前やけれど。

ポニョ:無いです。絶対ありません。人が感激しているのにほっといてくれませんか。そんなに綺麗なホテルではなかったけれど安かったんや。三つ星半ぐらいのホテルで、サイババさんの帰依者がたくさん泊まっていたぜよ。だからそのホテルにサイの帰依者が経営するタクシー会社の事務所があって、プッタパルティ専用のタクシーが何台もあるんや。ちょうど何人かで一緒に行く事になって、相乗りをする事になったんや。だからタクシー代を割り勘出来たから安く上がったな。

ヨシオ:バンガロールのホテルか。俺は知り合いの帰依者にバンガロールに行けば、ボンベイアナンダパヴァンという小さなホテルが良いと勧めてくれたので、そのホテルに投宿したんや。二つ星くらいやろなぁ。トイレシャワーは共有やったから。でも庭がとても綺麗に手入れされてあって、暇な時に庭をよく散歩したな。そのホテルの専属タクシーの運ちゃんは、イスラム教徒で今にも壊れそうな古いインド製の自動車を運転しているんや。バンガロールからホワイトフィールドに行くまでに途中で止まってエンジンを時々チェックしなければいけないんや。年齢は六十才ぐらいでベテラン運転手や。まだその運ちゃんが若い頃、帰依者をホワイトフィールドのアシュラムに連れて行った後、ダルシャンが終わるまで帰依者が戻って来るまで車の中で待つ事にしたんや。でもサイババさんって、こうして外国から人がわざわざ会いに来るぐらいやから、とても有名なグルなんやろなと思って車の中に座っていたんや。でもサイババさんの顔を一度くらい拝んでおこうと思ってダルシャンに出たんや。するとサイババさんは、その運転手の前で歩みを止め、運転手にこう言ったんや。「君はタクシーの運転手だね。これからどんどん人々がやって来て忙しくなるよ。ここに帰依者たちを連れて来るときは、必ず早めに出発し、ゆっくりと運転して、安全にお客さんを運んで来るんだよ。」って。それでその運転手は、自分とサイババさんとは初対面なのに、サイババさんが自分が運転手だと知っているのに驚いたんや。それ以来、サイババさんをグルと認めてタクシーの中にサイババさんの写真を飾り付けているんやて。俺が乗った時も、今まで帰依者たちを何人も事故も無く、安全にサイババさんの元へ送り届けているから安心して乗って下さいと誇らしげに言ってたな。でもめちゃ遅いんやで。後から出発した帰依者たちの車に途中で軒並み追い越されるんや。追い越して行く車の中から人が俺たちが遅いので笑って見てたな。それでもダルシャンが始まるまでには着いたけれど。

ポニョ:車の中にサイババさんの写真を飾るのは、帰依者だったら普通やもんな。あるアメリカのロスアンジェルスに住んでいる帰依者も、車の中にサイババさんの写真を貼っていて、車を運転しながらその写真のサイババさにいつも話しかけるようにしているんや。例えば「信号が黄色になったけれど、そのまま行こうかなサイババさん。いや、やめておこう。ちょっと危ないもんね。やっぱり時間をかけてゆっくりと目的地に安全に到着するのがサイババさんの教えやもんね。でも今日は少し、ぎりぎりに家を出てしまったから、急いでいるんやけれど、やっぱりこれって良くないよね。もっと早めに出発して、ゆっくりと運転し、安全に目的地に着くのがベストやもんね。今度からもう少し時間に余裕を持って家を出れば良いよね。」なんて言って。でもある日、いつも自分ばかり話して全然サイババさんが答えてくださらないので、少しかんしゃくを起こしてこう言ったんや。「ところでサイババさん。私はあなたに毎日のようにこうして話しかけているんやけれど、あなたは今まで一回も私に話しかけてくれないのは何故ですか?私ばかり一人で話しているから、それって一方通行でしょう。サイババさん。もし良かったら一度で良いから私に話しかけてくれませんか?」とお願いした途端、ピカピカの新車が、その帰依者の車をさっと追い越したかと思うと、さっと車線を変更してその帰依者の車の前に入り込んだんや。その帰依者は「えらい綺麗な車やな。新車やね。」と思ってその車のナンバープレートを見るとITKNG2Uやったんや。つまりI'm talking to you.「私は君と話しているよ」というナンバープレートやったんや。

ヨシオ:えらい文字がたくさんあるナンバープレートやな。

ポニョ:カリフォルニア州のナンバープレートは七文字なんや。

ヨシオ:それは驚くよな。ロスアンジェルスって何百万台も車が走っているで。俺は新婚旅行でロスアンジェルスに行ったけれど、そこら中、高速道路だらけで片道四車線とか五車線ぐらいあって車だらけや。高速道路に乗ったらいったいどこを走っているのか皆目見当付かんかったな。

ポニョ:その何百万台もある車の中で「私は君と話しているよ」ITKNG2Uというナンバープレートを付けているのはもちろん一台だけやぜよ。その一台がその帰依者がサイババさんに私に話しかけて下さいとお願いした途端、目の前に現れたんや。それってすごい確率やぜよ。

ヨシオ:本当にそうやな。サイババさんは帰依者の心の奥底からの祈りに応えられるんやな。

ポニョ:その帰依者はそれ以来、車の中でサイババさんに話しかけても、一方通行ではなく、サイババさんは必ず話を聞いて下さっているって分かったんや。

ヨシオ:サイババさんはその帰依者が一人で話しているのではなく、自分の心の奥深くから出て来る囁きとなって話しかけられるんや。つまり良心の囁きや。それが最初は独り言みたいに思えるけれど、そうではなく、実はその囁きがサイババさんの応えなんや。その人もそういう風にしてサイババさんと話し続けたら、だんだん俺が言った意味が分かってくると思うな。

ポニョ:自分の良心と話す事が出来るようになればすごいよな。

ヨシオ:今、ポニョがさっき言ったように、その帰依者が「でも今日は少しぎりぎりに家を出てしまったから、ちょっと急がないといけないから良くないよね。やはり早めに出発して、ゆっくりと運転し、安全に目的地に着くのがベストやもんね。今度からもう少し時間に余裕を持って家を出れば良いよね。」と独り言のように言った言葉が実は良心の囁きでサイババさんの言葉なんや。それこそが、サイババさんがその帰依者に対して話しかけようとされておられる事なんや。人はそれを神さんの言葉だとは信じられないから、無視するとか軽視するんや。でもそういう良心の囁きを大事にする人は、やがてさっきも言ったように、常に自分の中のサイババさんはと話せる人になって行くんや。

ポニョ:ふーん。そうなんや。そうやったらええな。

ヨシオ:そうやったらええなではなく、そうなんや。俺は何度もポニョに、全ての人を神さんと見る修行をしたらええでと勧めているやろ。全ての人が神さんやったら、ポニョだって神さんやないか。ポニョはポニョというブヨブヨの肉体をまとっている神さんなんや。

ポニョ:あのね、黙って聞いていたら何がブヨブヨの肉体ですか?これでもあるところにはしっかりと筋肉はあるんですが。脂肪で覆われているから隠れて見えないだけで。

ヨシオ:脂肪に覆われて永遠に見えない筋肉ってあるんか。

ポニョ:少しムカついて来ましたので静かにして下さい。とにかくその一件があって五ヶ月経った頃、その帰依者は、もしあの時の車があなたが私の話を聞いて下さっているという証明であれば、もう一度、良ければ御姿を現して頂けますか?と頼んだ途端、五ヶ月前に現れた同じ車がまた その帰依者の車の前に現れたんや。その帰依者はこれではっきりした。サイババさんは常にどこにでもおられるって事が。そして帰依者のハートからの祈りや願いには、いろんな形で応えられるって事も。

想念は心から生ずるのです。
その為、直感が不二一元的であるのに対して、想念は二元的です。
想念はあなたの都合によって湧き起こる場合が良くあります。
一方、直感は、心と知性の両方を超越しています。
直感は真理の直接認識です。
ですから、直感は真理に基づく確信を意味します。
つまり言葉を換えれば直感とは、人知の及ばない英知の発現ということが出来るでしょう。
想念は、正しいことも間違っていることもあるでしょうが、直感の促しは真理以外の何ものでもありません。
想念はほとんどの場合、感覚的で世俗的な性質を持っています。
一方、直感は内なる声、つまり良心のささやきであり神聖なるものです。
理性により時折あなたは、人を疑ったり、怒ったりすることもあるかもしれませんが、良心つまり直感は、あなたの内なる純粋意識を呼び起こすのです。STPSp280

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