この世のあらゆる人間の姿は、どれも私の反映にすぎません。
私は、あたかも鏡であるかのようなそれらの体の中に、自分自身を見ることができます。
あなたがこの段階に到達することができたとき、初めて皆さんは本当の平安を味わうでしょう。22/11/08
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/36/08b959c797dd42191fc965f654aa4af2.jpg)
ポニョ:何日か前に、人間は神より七段階低いレベルにいるって話をしたけれど、人間が死ねば誰でも一つ上の段階に昇れるのかな。
ヨシオ:人間より一つ上の段階って肉体意識を無くした段階なんや。だから、ほとんどの人は死んで肉体を脱ぎ捨てればひとつ上の段階に進む事が出来るんや。でも死んでも、まだ自分は肉体だと思い込んでいる霊もいるから、そういう霊はいつまで経ってもこの世に地縛霊として残っているんや。
とは言っても、人は五つの鞘と呼ばれる霊体で包まれているけれど、その中でも粗雑な霊体である食物鞘や生気鞘は、肉体が死ねばその肉体から霊的なエネルギーの補給を受ける事が出来ないので、霊力が切れた時点でこの世からバイバイしていなくなるんや。
ポニョ:という事は、地縛霊は永遠に地縛霊としてこの世界にいられないって事なんや。ところで、さっき神へ至る七つの段階って言ったけれど、このブログで何度も紹介しているメッシングさんなんかは、どれくらいの段階にいる人なんやろな。メッシングさんは、ロシアからあっという間にインドのサイババさんの部屋に現れることが出来るので、光の七聖人のレベルの人だと思うけれど。
ヨシオ:俺はもっと上のレベルの人だと思うな。でも、もしメッシングさんが、ポニョが言っているように光の七聖人のレベルの人だったら、神さんから四段目のレベルにいる人やろな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e9/f553fccb52916b446019c126988dab31.jpg)
ポニョ:あのメッシングさんでもまだ、神さんから四段目のレベルなんか。メッシングさんでもそのレベルやったら、凡人であるおいらなんかまだまだやな。
ヨシオ:因みに、神から五段階目に達するには、欲望、怒り、貪欲、迷妄、傲慢、嫉妬などのこの世界に対する執着や欲望を払拭しなければならないんや。そうすれば、メッシングさんの段階である四段目に達する事が出来るんや。
ポニョ:ふーん。おいらは食欲以外ほとんどクリアーしているぜよ。それじゃ光の七聖人の上の、神から三段目のレベルに達するにはどうすればええのかな?
ヨシオ:神から三段目の段階に達するには、ヨーガで定められている八つの行動規範を守らなければいけないんや。
それらは、性欲をコントロールしたり、肉食をしないなど日常生活で行なってはいけない五つの心得や、今持っているもので常に満足し、精進に励むなど日常生活で励むべき五つの励行をしたり、呼吸を整え、神さんに集中出来、瞑想をしても心が彷徨わないといった規範をクリアーしなくてはいけないんや。
ポニョ:心をコントロールするのはまだ難しいな。それで、神さんから二段階下のレベルに達するにはどんな修行が必要なんや?
ヨシオ:九つの親愛、つまり神の栄光を聴くこと、神の栄光を歌うこと、神を憶念すること、神の蓮華の御足に全てを捧げること、神を崇敬すること、神仏の像を礼拝すること、神の召し使いとして奉仕すること、神の親しい友人となること、そして真我への全託する事なんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/67/8a88bbb74a55a5e93344cf4aa1db1859.jpg)
ポニョ:いくつかは、重複しているのもあるけれど、なんとか出来そうやぜよ。食欲をコントロールするより簡単そうや。それで、ジャジャジャーン!神の一歩手前の段階は、どんな修行が待っているんや。
ヨシオ:視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五つの知覚器官をコントロールする事なんや。それが出来れば上がりや。
ポニョ:ネックは味覚と心のコントロールやな。これらをコントロールするのが難しいズラ。でも思ったより神さんの元に到達するのは難しくなさそうやぜよ。
神へ到達する為の七つの階段なんて言ってたから、どんな大変な修行が待っているのかなって、少し構えて聞いていたけれど、これだったらおいらでも出来そうや。
ヨシオ:ポニョは元々性格が良いから、自然体で神さんに融合出来そうやな。
ところでさっき、人の肉体を包んでいる鞘の話を少ししたけれど、これらの神への七つの段階は、人の肉体を包んでいる五つの鞘を一つひとつ除いていって、最後の鞘にたどり着いてその中にいる神さんを見つけ出す事なんや。
それらの五つの鞘とは、最初の鞘は目に見える肉体を覆っている食物鞘で、それは人間の皮膚のほんの数ミリ下のところにあって、人間と全く同じ姿をしているんや。
そしてその食物鞘は、人が食べる食物によって大きく影響され、その食べ物によって影響を受けた食物鞘によって、人の行為も大きな影響を受けるんや。
その食物鞘は別名シルバースキンとも呼ばれていて、目には見えないけれど、人の血管から毛細現象によって血が皮膚の外に滲み出さないような働きもしているんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/9b/918d2d0c19aa972495c21166b8480452.jpg)
ポニョ:それじゃ、その食物鞘の一つ内側にあるのはどんな鞘なんや?
ヨシオ:食物鞘の一つ内側にある鞘は、生気鞘と呼ばれている鞘で、この鞘も人が食べる物によって養われているんや。その生気でできた鞘の中、すなわち神経と生気の活動の領域にいる時、生活は食べ物と遊びと満足のいく快適な生活によって満たされると感じるんや。
そしてその内側にあるのが意思鞘とか微細な心の動きに影響する心理鞘と呼ばれているもので、欲望や動機や決意や望みといった、心の動きを作用する鞘なんや。
そこでは想像力の視界が開け、神の栄光と威厳を垣間見て、それが人に神を崇拝させ敬意を抱かせるんや。
動物と人の違いは、動物たちは以上の三つの鞘に頼り、肉体の快適さだけを追い求めるのに対し、人はその内側にある、後で説明する二つの鞘に進んで行くんや。
これらの最初の三つの鞘が、人が食べる食べ物に含まれている微細体である霊体によって支えられているんや。
だからさっきも言ったように、地縛霊は、肉体から離れた後、肉体からの霊力の供給が無くなっているので、これらの三つの鞘に霊的なエネルギーが無くなれば、この世から消えてしまうんや。
だから同じ地縛霊がいつまで経っても同じ所にいる事が出来ないんや。それらの三つの鞘がどれくらいの霊力を保持しているかによって、地縛霊がこの世にいる期間も決められるんや。
ポニョ:それだけではなく、この世にどれくらい執着しているかによっても変わってくるやろ。それに現代人は、霊力が全く入っていないインスタント食品ばかり食べているから、霊体の力の弱くなっているから直ぐに病気をするし、肉体を離れてたとえ地縛霊になっても長続きしないぜよ。まるで三分間しか闘えないウルトラマンみたいに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/79/d5adef343d448bd69f90bac58cfd4be4.jpg)
ヨシオ:地縛霊とウルトラマンを比べないでくれますか?さっきも言ったように、動物は心の気まぐれや、様々な意志や、心に蓄積された記憶を超越する能力が無いんや。人間以外の生き物は、真の自己を探求する能力が無いばかりでなく、他のものを傷つける有害な行為や、意味が無いものを識別して捨てることが出来る能力を持っている理知によってではなく、本能や肉体や感情の衝動によってその行為を駆り立てられるんや。
人間だけが、次の段階である理智鞘に達することが出来、その識別力という機能を働かせて、自分を至福へと導く一連の行為を選択することができるんや。
ところが、人間は、理智の機能を使ったり、その恩恵を受けたりすることがほとんど無く、肉体の要求に負けてしまって、性欲やポニョのように食欲をコントロール出来なくなってしまっているんや。
人は、理智によって至福を勝ち得る代わりに、増大する一方の欲望の迷路に迷い込んで、自分の欲望を満たせず、欲求不満と落胆の餌食になっているんや。
人は、理智鞘と人の体の中核にある歓喜鞘に達して、至福を得る資格や機会があるのにも関わらず、それらを使わずに無駄にしてしまっているために、せっかく目の前にある至福が指の隙間からこぼれ落ちてしまっているんや。
歓喜鞘で体験する至福は神そのものなんや。なのに人は世俗的なものの虜となって、人は、生来の魂の飢えや、内在の神を自覚する必要性を無視して、それを忘れ去ってしまっているんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/dc/095bc455a6ecf4f6932f3dde314a2eba.jpg)
ポニョ:聞いていたら耳が痛いぜよ。食欲や心をコントロールするって難しいな。
ヨシオ:ポニョは神さん以外のこと、つまり世俗的な事を気にかけ過ぎるから、心が彷徨うんや。世俗的な想念を減らし、逆に神さんの事を思う機会が増えて行くに連れて、心はだんだん力を失って行ってコントロールし易くなるんや。食欲については、自分が好きなものを毎年一つずつ諦めて行けば、そのうちにコントロール出来るようになるやろ。
ポニョ:前にも同じアドバイスをしてもらってトライしたけれど、それが結構難しいんでヤンス。
ヨシオ:さっき神へ至る七つの階段の話をしたけれど、今紹介したように、人の中にある五つの鞘の最後の歓喜鞘に到達する為の修行が神への七つの階段なんや。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五つの知覚器官をコントロールする事が最終段階で、これらをコントロール出来れば一人ひとりが内に持っている神、つまり歓喜鞘に到達することが出来るんや。
そしてその歓喜鞘に近づけば近づくほど、人は、全ての人や生きとし生けるものの中に神を見ることが出来、自分と他人の違いがだんだん無くなって行き、全ては自分、つまり神だと感じることが出来るようになるんや。
その時、人の心はアートマの光に照らし出されて無知が追い払われ、人は喜びに満ち溢れ、至福に包まれた人生を歩めるようになって行くんや。
神性はあらゆる生物の内に顕現しています。
同一のアートマの原理が、人間の内だけでなく、宇宙の全生物の内に存在しているのです。
しかし、この真理を悟るには、純粋で無私の心を持っていなければなりません。
この真理を悟るためには、誰も皆、絶えず神を黙想していなくてはなりません。
そうすることによって、心は純粋で平安になります。
その段階に達した瞬間に、必ず神は、はっきりと、あなたの内に顕れます。
これが皆さんの霊性修行でなければなりません。9/10/05
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4e/1c7928ece612bdd0471f3bad11a772be.jpg)
私は、あたかも鏡であるかのようなそれらの体の中に、自分自身を見ることができます。
あなたがこの段階に到達することができたとき、初めて皆さんは本当の平安を味わうでしょう。22/11/08
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/36/08b959c797dd42191fc965f654aa4af2.jpg)
ポニョ:何日か前に、人間は神より七段階低いレベルにいるって話をしたけれど、人間が死ねば誰でも一つ上の段階に昇れるのかな。
ヨシオ:人間より一つ上の段階って肉体意識を無くした段階なんや。だから、ほとんどの人は死んで肉体を脱ぎ捨てればひとつ上の段階に進む事が出来るんや。でも死んでも、まだ自分は肉体だと思い込んでいる霊もいるから、そういう霊はいつまで経ってもこの世に地縛霊として残っているんや。
とは言っても、人は五つの鞘と呼ばれる霊体で包まれているけれど、その中でも粗雑な霊体である食物鞘や生気鞘は、肉体が死ねばその肉体から霊的なエネルギーの補給を受ける事が出来ないので、霊力が切れた時点でこの世からバイバイしていなくなるんや。
ポニョ:という事は、地縛霊は永遠に地縛霊としてこの世界にいられないって事なんや。ところで、さっき神へ至る七つの段階って言ったけれど、このブログで何度も紹介しているメッシングさんなんかは、どれくらいの段階にいる人なんやろな。メッシングさんは、ロシアからあっという間にインドのサイババさんの部屋に現れることが出来るので、光の七聖人のレベルの人だと思うけれど。
ヨシオ:俺はもっと上のレベルの人だと思うな。でも、もしメッシングさんが、ポニョが言っているように光の七聖人のレベルの人だったら、神さんから四段目のレベルにいる人やろな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e9/f553fccb52916b446019c126988dab31.jpg)
ポニョ:あのメッシングさんでもまだ、神さんから四段目のレベルなんか。メッシングさんでもそのレベルやったら、凡人であるおいらなんかまだまだやな。
ヨシオ:因みに、神から五段階目に達するには、欲望、怒り、貪欲、迷妄、傲慢、嫉妬などのこの世界に対する執着や欲望を払拭しなければならないんや。そうすれば、メッシングさんの段階である四段目に達する事が出来るんや。
ポニョ:ふーん。おいらは食欲以外ほとんどクリアーしているぜよ。それじゃ光の七聖人の上の、神から三段目のレベルに達するにはどうすればええのかな?
ヨシオ:神から三段目の段階に達するには、ヨーガで定められている八つの行動規範を守らなければいけないんや。
それらは、性欲をコントロールしたり、肉食をしないなど日常生活で行なってはいけない五つの心得や、今持っているもので常に満足し、精進に励むなど日常生活で励むべき五つの励行をしたり、呼吸を整え、神さんに集中出来、瞑想をしても心が彷徨わないといった規範をクリアーしなくてはいけないんや。
ポニョ:心をコントロールするのはまだ難しいな。それで、神さんから二段階下のレベルに達するにはどんな修行が必要なんや?
ヨシオ:九つの親愛、つまり神の栄光を聴くこと、神の栄光を歌うこと、神を憶念すること、神の蓮華の御足に全てを捧げること、神を崇敬すること、神仏の像を礼拝すること、神の召し使いとして奉仕すること、神の親しい友人となること、そして真我への全託する事なんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/67/8a88bbb74a55a5e93344cf4aa1db1859.jpg)
ポニョ:いくつかは、重複しているのもあるけれど、なんとか出来そうやぜよ。食欲をコントロールするより簡単そうや。それで、ジャジャジャーン!神の一歩手前の段階は、どんな修行が待っているんや。
ヨシオ:視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五つの知覚器官をコントロールする事なんや。それが出来れば上がりや。
ポニョ:ネックは味覚と心のコントロールやな。これらをコントロールするのが難しいズラ。でも思ったより神さんの元に到達するのは難しくなさそうやぜよ。
神へ到達する為の七つの階段なんて言ってたから、どんな大変な修行が待っているのかなって、少し構えて聞いていたけれど、これだったらおいらでも出来そうや。
ヨシオ:ポニョは元々性格が良いから、自然体で神さんに融合出来そうやな。
ところでさっき、人の肉体を包んでいる鞘の話を少ししたけれど、これらの神への七つの段階は、人の肉体を包んでいる五つの鞘を一つひとつ除いていって、最後の鞘にたどり着いてその中にいる神さんを見つけ出す事なんや。
それらの五つの鞘とは、最初の鞘は目に見える肉体を覆っている食物鞘で、それは人間の皮膚のほんの数ミリ下のところにあって、人間と全く同じ姿をしているんや。
そしてその食物鞘は、人が食べる食物によって大きく影響され、その食べ物によって影響を受けた食物鞘によって、人の行為も大きな影響を受けるんや。
その食物鞘は別名シルバースキンとも呼ばれていて、目には見えないけれど、人の血管から毛細現象によって血が皮膚の外に滲み出さないような働きもしているんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/9b/918d2d0c19aa972495c21166b8480452.jpg)
ポニョ:それじゃ、その食物鞘の一つ内側にあるのはどんな鞘なんや?
ヨシオ:食物鞘の一つ内側にある鞘は、生気鞘と呼ばれている鞘で、この鞘も人が食べる物によって養われているんや。その生気でできた鞘の中、すなわち神経と生気の活動の領域にいる時、生活は食べ物と遊びと満足のいく快適な生活によって満たされると感じるんや。
そしてその内側にあるのが意思鞘とか微細な心の動きに影響する心理鞘と呼ばれているもので、欲望や動機や決意や望みといった、心の動きを作用する鞘なんや。
そこでは想像力の視界が開け、神の栄光と威厳を垣間見て、それが人に神を崇拝させ敬意を抱かせるんや。
動物と人の違いは、動物たちは以上の三つの鞘に頼り、肉体の快適さだけを追い求めるのに対し、人はその内側にある、後で説明する二つの鞘に進んで行くんや。
これらの最初の三つの鞘が、人が食べる食べ物に含まれている微細体である霊体によって支えられているんや。
だからさっきも言ったように、地縛霊は、肉体から離れた後、肉体からの霊力の供給が無くなっているので、これらの三つの鞘に霊的なエネルギーが無くなれば、この世から消えてしまうんや。
だから同じ地縛霊がいつまで経っても同じ所にいる事が出来ないんや。それらの三つの鞘がどれくらいの霊力を保持しているかによって、地縛霊がこの世にいる期間も決められるんや。
ポニョ:それだけではなく、この世にどれくらい執着しているかによっても変わってくるやろ。それに現代人は、霊力が全く入っていないインスタント食品ばかり食べているから、霊体の力の弱くなっているから直ぐに病気をするし、肉体を離れてたとえ地縛霊になっても長続きしないぜよ。まるで三分間しか闘えないウルトラマンみたいに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/79/d5adef343d448bd69f90bac58cfd4be4.jpg)
ヨシオ:地縛霊とウルトラマンを比べないでくれますか?さっきも言ったように、動物は心の気まぐれや、様々な意志や、心に蓄積された記憶を超越する能力が無いんや。人間以外の生き物は、真の自己を探求する能力が無いばかりでなく、他のものを傷つける有害な行為や、意味が無いものを識別して捨てることが出来る能力を持っている理知によってではなく、本能や肉体や感情の衝動によってその行為を駆り立てられるんや。
人間だけが、次の段階である理智鞘に達することが出来、その識別力という機能を働かせて、自分を至福へと導く一連の行為を選択することができるんや。
ところが、人間は、理智の機能を使ったり、その恩恵を受けたりすることがほとんど無く、肉体の要求に負けてしまって、性欲やポニョのように食欲をコントロール出来なくなってしまっているんや。
人は、理智によって至福を勝ち得る代わりに、増大する一方の欲望の迷路に迷い込んで、自分の欲望を満たせず、欲求不満と落胆の餌食になっているんや。
人は、理智鞘と人の体の中核にある歓喜鞘に達して、至福を得る資格や機会があるのにも関わらず、それらを使わずに無駄にしてしまっているために、せっかく目の前にある至福が指の隙間からこぼれ落ちてしまっているんや。
歓喜鞘で体験する至福は神そのものなんや。なのに人は世俗的なものの虜となって、人は、生来の魂の飢えや、内在の神を自覚する必要性を無視して、それを忘れ去ってしまっているんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/dc/095bc455a6ecf4f6932f3dde314a2eba.jpg)
ポニョ:聞いていたら耳が痛いぜよ。食欲や心をコントロールするって難しいな。
ヨシオ:ポニョは神さん以外のこと、つまり世俗的な事を気にかけ過ぎるから、心が彷徨うんや。世俗的な想念を減らし、逆に神さんの事を思う機会が増えて行くに連れて、心はだんだん力を失って行ってコントロールし易くなるんや。食欲については、自分が好きなものを毎年一つずつ諦めて行けば、そのうちにコントロール出来るようになるやろ。
ポニョ:前にも同じアドバイスをしてもらってトライしたけれど、それが結構難しいんでヤンス。
ヨシオ:さっき神へ至る七つの階段の話をしたけれど、今紹介したように、人の中にある五つの鞘の最後の歓喜鞘に到達する為の修行が神への七つの階段なんや。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五つの知覚器官をコントロールする事が最終段階で、これらをコントロール出来れば一人ひとりが内に持っている神、つまり歓喜鞘に到達することが出来るんや。
そしてその歓喜鞘に近づけば近づくほど、人は、全ての人や生きとし生けるものの中に神を見ることが出来、自分と他人の違いがだんだん無くなって行き、全ては自分、つまり神だと感じることが出来るようになるんや。
その時、人の心はアートマの光に照らし出されて無知が追い払われ、人は喜びに満ち溢れ、至福に包まれた人生を歩めるようになって行くんや。
神性はあらゆる生物の内に顕現しています。
同一のアートマの原理が、人間の内だけでなく、宇宙の全生物の内に存在しているのです。
しかし、この真理を悟るには、純粋で無私の心を持っていなければなりません。
この真理を悟るためには、誰も皆、絶えず神を黙想していなくてはなりません。
そうすることによって、心は純粋で平安になります。
その段階に達した瞬間に、必ず神は、はっきりと、あなたの内に顕れます。
これが皆さんの霊性修行でなければなりません。9/10/05
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4e/1c7928ece612bdd0471f3bad11a772be.jpg)