ヨシオ:前回のエピソードやけれど、この家のご主人も、ババが次々と奇跡をやられるので、横で見ていてもすごい迫力やったと言っておられた。
ポニョ:そうやろな。おいらが好きだったのは、ココナッツの周りを指でサーッとなぞったら、パカッと二つに割れたとこや。人間ハサミやんかそれって。指先からレーザー光線が出て来て岩でも何でも硬いもんでもスパーッて切れるってすごいよな。
でも、ちょっと分からなかったのは、何でココナッツの中に九つの惑星を現す宝石の付いた金の像を入れて玄関先に据え置かれたんやろか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/9f/b0780fff9c0d775210048535795bc4f9.jpg)
ヨシオ:カスツーリさんの本の中で、こんな記事があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/7a/991097a9b075e10785b35ee0e9ca8dd3.jpg)
サイババさんの部屋の戸の隙間から光が漏れていて何かなと思って中を覗くと、光り輝く聖霊たちがサイババさんを囲んで座っておられたんや。後ほど、サイババさんは七人の聖仙がやって来たと言われたんや。この世界は、いろんなレベルの霊達が一緒に暮らしている。
その、バラパタッビさんの家もいつもヴェーダを唱え、礼拝をし、バジャンをしているのでかなりの高級霊がいつも出入りしていることが考えられるんや。
ポニョ:サイババさんのところへ挨拶にやって来た、七人の聖仙のようにか。
六十代の終わりまでには六つの敵、すなわち情欲、怒り、貪欲、執着、高慢、憎悪を征服していなくてはなりません。七十代では七人の聖者、七つの海、太陽光線の七つの色に帰融していなくてはなりません。すなわち、霊性修行によって俗世間の欲望や理想をはるかに超越し、神への帰融のすぐ近くにまで達しなくてはならないのです。八十才になれば、属性においても性格においても神と対等な基本的八徳を司る“神々のレベルに達しなければなりません。九十才になれば九つの惑星の位置するより高い領域に昇らなければなりません。
ヨシオ:そういう高級霊が出入りするのに相応しい波動を持った場所にするために、ココナッツの中に金の像を入れて据え置かれたんやろな。
それに、ああいうバラモンの人たちは元々七人の聖仙の子孫が多いしな。
ポニョ:では、九つの宝石は一体なんですか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/3b/06b85a98a887ee07ef3dece3c519bd3f.jpg)
ヨシオ:それらは、太陽系の九つの惑星をあらわしているんや。この太陽系を越えたところの霊的な世界に、人は最終的には赴かなければならないんや。
だから、そういう九つの宝石やその像を出してもらったその家の人は、霊的にかなり高いところから来られている家族なんやろうな。
ポニョ:そんな高い霊界から来てる人でも、こうして地上に生まれ変わるって面白いな。
ヨシオ:どんな高い霊界にいても、永遠の至福を得ることは出来ないんや。それは、神さんと一緒になることによってのみ可能なんや。
だから、どんなに高いレベルのところにいてる霊たちも、この地球に生まれ変わってからでないと神と融合出来ないんや。
だから、どんな霊も、人の体の中に入ることを望んでいるんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/46/8d6a20394c5c46ca78994660128e4731.jpg)
ポニョ:あの光り輝く七人の聖仙もか?
ヨシオ:大元の神さんでさえ、アヴァターとして人の体をとってこの世に遊びに来られるから、どんな霊も人の体を取りたいんやろな。
神さんと一緒になっていない霊は、最終的に神さんと一つになるまで、霊的進化の旅は続くんや。だって、霊界に行けば、霊的親和性の影響で同じ波動のレベルの霊ばっかり集まって来るし、そこは想念の世界やから、同じようなエゴや欲望などを持っている霊ばっかり集まってるんや。そんな半分自分みたいな霊ばっかりのところにいて、どうやって自分のエゴや欲望を無くすことが出来る?
なんでも、そうやけど、自分が映っている鏡ばっかり見てても、自分が他の人と違うところが見えないやんか。他の人と接しないと自分が人とどう違うということが分からない。
それと一緒で、肉体という入れ物に入って初めて、霊は他の違うレベルの霊と一緒に仕事が出来るし、交わることも出来る。そしてそうすることによって初めて、同情心が生まれたり、友情が芽生えたり、親切心が湧いてくる。大事なのは、その自分が入っている肉体を使って、他の人たちのために汗をかくことが出来る事なんや。涙を拭ってやることが出来るし、優しい言葉や励ましの言葉をかけてやることも出来る。
また、医療分野などの特別な訓練をしてきた人は、それらの能力を困っている人々のために使うことが出来る。
そういう無私無償の行為を通じて、つまり自分の為にではない行為を通じて、自分というエゴを減らして行くことが出来るんや。
その結果、次の生ではエゴが少なくなり、波動が細かくなって霊的に高いレベルに行けるんや。つまり、神様に一歩近づくことが出来るんや。
だから、大事な点は、何をやるにも自分というものを、一番最後に持ってくる事なんや。
全ての行為を、何の見返りのない行為としてやれば、その人の人生での成功は目に見えている。
だから、俺が真の聖者というか神の化身を探していた時に、ある基準でもって探してたんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/28/21bbf3745740ed0e98358968a51c91bb.jpg)
ポニョ:その基準ってなんですか。
ヨシオ:先ほども言ったように、自分というエゴをなくすには、何をやるにも自己犠牲を伴った奉仕をする事って大切なんや。つまり自分というものの優先順位を最後に持って行くんや。だから、その組織や聖者さんが、自己犠牲を伴った無私無償の奉仕をしているか?というのが第一点。もう一つは、会費とか寄付金が強制されるかどうか?最後に、神様のことを愛そのものとして捉えて、その組織が愛で持って運営されているか?というのが自分なりの基準やったな。
ポニョ:それで、あるところでサイババさんの標語を見たんやったな。「全てを愛し、全てに奉仕する」って。
ヨシオ:そうやったな。それから、実際バジャンに参加したり、人と話したりしても、金は徴収されたことはないし、寄付金も強要ではないし、奉仕活動に熱心やし。そこに来てる子供もええ子が多かったな。何より、みんなそこに来てる人たちは自分たちの家族を大事にしてるし、おじいちゃんやおばあちゃんがとても皆から愛情ぶかく接せられてるのを見て嬉しかったな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b4/6e7f44704629172b4b49e66b1756ead1.jpg)
ポニョ:おいらは、何か催し物がある度に、無料の本場の菜食インド料理が出て来るので嬉しかったな。特に、ひよこ豆を使ったカレーの味は絶品やし、その後に出て来るインドの甘いお菓子がまた、手が混んでいて美味しいのなんのって、一度、食べたらやめられへんかったな。ちょっと甘すぎるのもあったけどな。なんでも無料だってのがええやんか。でも、おいらの一番好きなマサラドーサは一度も出て来なかったけど、あれは、南インドでしか食べないんやろか。日本に住んでるインド人は南インドから来た人は少ないのかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e2/f42abe032c7abcbec882fe3e92862afc.jpg)
ヨシオ:食べ物の話はもうこれぐらいでええやろ。そろそろサイババさんの話に行くで。
今日は、昨日のバンを運転していた運転手の話です。
ポニョ:あの、ガソリンタンクが空のまま走った運ちゃんか?
ヨシオ:そうやったな。
ポニョ:それで、あのバン、目的地の家の前でエンストしたよな。でも、そのあとが大変やろ。だってガソリンスタンドまで歩いてガソリンを取りに行かなあかんから。いや、そうでもないか。だって、伴走車があったよな。そこからガソリンを抜き取って入れたらええもんな。でも、なんで今回は、水をガソリンに変える奇跡をされなかったんやろか…。ああそうか。もうサイの帰依者の人が車にガソリンの代わりに水を入れてしまう習慣が出来てしまって、ガソリンが無くなったら水を入れてしまうんや。それでエンジントラブルが多発していっぱい苦情が来たんやろな。
だって、みんなサイババさんがガソリンの代わりに水を入れるのを見過ぎて、車は水で走るものやと思い込んでしまってるんや。おもろいなそれって。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/80/c91e01531c280c0e0a64bf4866f310e8.jpg)
ヨシオ:あの~。もしもし、もう車の心配はせんでもええから、ちょっと静かに願いますかポニョさん。次に進みたいのですが。
サイババさんの一行は、その家を離れ、帰路につきました。途中である村の近くに停車するようにババは言いました。
ババも含めて全員バンから降りて村に向かって歩き始めました。
運転手は、バンから降りるとバンの後ろに回って、嗅ぎタバコを吸い始めました。
その運転手は、今までサイババさんの奇跡の話をたくさん聞いたり、実際、ガソリン無しで車が走るなど、サイババさんの奇跡を自分の目で見てたり、体験したりしても、神さんなんて全く信じていない無神論者だったのです。
ババは、車の裏に回られてその運転手の近くに行かれ、二人だけで話しを始められたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4d/e32a8c772529eed5c9724b3d472ae8be.jpg)
「君の名前は何て言うんだい?」
「クマラサミーという名だよ。」と面倒臭そうに答えました。
「ヴィブティが要るかい?付ければ良いよ」とババは言われました。
「なんでそんな事をしなくてはならないんだよ。ただ、あんは、そういう奇跡と呼ばれるものを見せびらかしたいだけじゃねーのか。」
「君は、ヴァーダを食べたことがあるかい?」
「この世にそれを食べたことがないなんて奴がいたら、一度そいつの顔を拝んでやってもいいぜ。」
「じゃあ、君のお母さんが作ったヴァーダを食べたことがあるかい?」
「スワミ、言っとくけどね、俺には、かかあなんていねえんだよ。」
「ハッハッハ、じゃあ君はどっから生まれたんだ?君は、お母さんが亡くなった時の事を覚えてるの?」
「そんなに。あの時、俺はまだ四歳だったからな。」
「じゃあ、君が二歳半の時に、お母さんがヴァーダを油で揚げていた時に、君がお母さんに甘えてお母さんの首に抱きついたこと覚えてるかい?」
「あのね、俺はもう、四十五歳なんだぜ。なんでそんな昔のガキの頃の事を覚えてられるんだよ。」と言い返しました。するとババは、
「じゃあこれは何なの?」と聞かれると同時に、運転手の右の腕をジャケットの上から触れられたのです。すると、その右腕に電気ショックが走りました。それで、運転手は着ていたジャケットを脱ぎました。
運転手の腕には、大きな火傷の跡が見て取れました。ババは、もう一度その火傷の跡を触れながら、
「君は、その時、お母さんを抱きしめようとしたんだけれど、間違って、腕をオイルが煮立っている鍋の中に浸けてしまったんだ。この火傷の跡はその時に付いたんだよ。」と言われたのです。
それを聞いて、運転手はサイババさんの足に平伏しました。そして、もう立ち上がれないほど子供のように泣き始めたのでした。
運転手は、自分は無神論者だということを自他共に自負していて、友達も自分のような神を信じない友達ばかりと付き合っていました。
でも、今日この日から彼は生まれ変わったのでした。
運転手はずっと泣き続けていました。ババは、運転手を立たせましたが、彼は真っ直ぐ立つことができないくらい泣きじゃくっていたのです。
そして、ババはヴィブティを物質化して彼の額に塗りました。
その後、ババは、彼のポケットから運転免許証を取り出して、運転手の写真の横に同じ大きさの自分の写真を物質化して貼りました。
それを見て、運転手はまたサイババさんの足に平伏しました。
皆が席についた後、サイババさんは、「あっ!日付を入れるのを忘れちゃったよ。」と言ってもう一度その運転免許証の写真に触れると、今日の日付が浮かび上がったのでした。
その後、ババは銀のお守りも物質化され運転手にプレゼントされたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/7c/4963e7842215feeb9bd15894fbcb0631.jpg)
“この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。
愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。
この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。
すべての原子が愛から生まれました。
この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。
信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。
この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。
五元素は愛から生まれました。
すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。
“神を味方に付けたとき、成し遂げられないものはありません。
あらゆる困難と苦しみはたちまちの内に消え去ります。
そのような全能の神が私たちに内在するというのに、なぜ私たちはとるに足らない事を心配する必要があるのでしょう?
愛は困難を克服するための勇気を私たちに与える神の力です。
愛の力で何ごとも成し遂げることができます。
私たちは罪を恐れるべきであって、困難を恐れるべきではありません。28/8/04”
“誰をも憎んではなりません。憎しみはあなたの最悪の敵です。
いったんあなたの中に愛を育めば、憎しみは自然に消え失せます。
敵対しているライバルに出会ったら、愛をもって彼に挨拶をしなさい。
彼もまた、同じ感情を返してくることでしょう。
あなたが他者をまったく愛することなしに、どうして他者からの愛を期待できるでしょうか? 私が実践しているのも、伝えていることも、愛であり愛のみなのです。
愛の力を理解するよう努めなさい。愛はあなたの最も偉大な富です。
誰もその価値を見積もることができません。
神はあなたから何を期待しているのでしょうか?
あなたの愛のみです。
愛は、神があなたに与えたすべてのものに対して、あなたが神に支払わなければならない税金なのです。
https://m.youtube.com/watch?v=ZBVdw0VnqF0
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/7557a798c92e4a5d0bee35de18b01fa6.jpg)
ポニョ:そうやろな。おいらが好きだったのは、ココナッツの周りを指でサーッとなぞったら、パカッと二つに割れたとこや。人間ハサミやんかそれって。指先からレーザー光線が出て来て岩でも何でも硬いもんでもスパーッて切れるってすごいよな。
でも、ちょっと分からなかったのは、何でココナッツの中に九つの惑星を現す宝石の付いた金の像を入れて玄関先に据え置かれたんやろか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/9f/b0780fff9c0d775210048535795bc4f9.jpg)
ヨシオ:カスツーリさんの本の中で、こんな記事があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/7a/991097a9b075e10785b35ee0e9ca8dd3.jpg)
サイババさんの部屋の戸の隙間から光が漏れていて何かなと思って中を覗くと、光り輝く聖霊たちがサイババさんを囲んで座っておられたんや。後ほど、サイババさんは七人の聖仙がやって来たと言われたんや。この世界は、いろんなレベルの霊達が一緒に暮らしている。
その、バラパタッビさんの家もいつもヴェーダを唱え、礼拝をし、バジャンをしているのでかなりの高級霊がいつも出入りしていることが考えられるんや。
ポニョ:サイババさんのところへ挨拶にやって来た、七人の聖仙のようにか。
六十代の終わりまでには六つの敵、すなわち情欲、怒り、貪欲、執着、高慢、憎悪を征服していなくてはなりません。七十代では七人の聖者、七つの海、太陽光線の七つの色に帰融していなくてはなりません。すなわち、霊性修行によって俗世間の欲望や理想をはるかに超越し、神への帰融のすぐ近くにまで達しなくてはならないのです。八十才になれば、属性においても性格においても神と対等な基本的八徳を司る“神々のレベルに達しなければなりません。九十才になれば九つの惑星の位置するより高い領域に昇らなければなりません。
ヨシオ:そういう高級霊が出入りするのに相応しい波動を持った場所にするために、ココナッツの中に金の像を入れて据え置かれたんやろな。
それに、ああいうバラモンの人たちは元々七人の聖仙の子孫が多いしな。
ポニョ:では、九つの宝石は一体なんですか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/3b/06b85a98a887ee07ef3dece3c519bd3f.jpg)
ヨシオ:それらは、太陽系の九つの惑星をあらわしているんや。この太陽系を越えたところの霊的な世界に、人は最終的には赴かなければならないんや。
だから、そういう九つの宝石やその像を出してもらったその家の人は、霊的にかなり高いところから来られている家族なんやろうな。
ポニョ:そんな高い霊界から来てる人でも、こうして地上に生まれ変わるって面白いな。
ヨシオ:どんな高い霊界にいても、永遠の至福を得ることは出来ないんや。それは、神さんと一緒になることによってのみ可能なんや。
だから、どんなに高いレベルのところにいてる霊たちも、この地球に生まれ変わってからでないと神と融合出来ないんや。
だから、どんな霊も、人の体の中に入ることを望んでいるんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/46/8d6a20394c5c46ca78994660128e4731.jpg)
ポニョ:あの光り輝く七人の聖仙もか?
ヨシオ:大元の神さんでさえ、アヴァターとして人の体をとってこの世に遊びに来られるから、どんな霊も人の体を取りたいんやろな。
神さんと一緒になっていない霊は、最終的に神さんと一つになるまで、霊的進化の旅は続くんや。だって、霊界に行けば、霊的親和性の影響で同じ波動のレベルの霊ばっかり集まって来るし、そこは想念の世界やから、同じようなエゴや欲望などを持っている霊ばっかり集まってるんや。そんな半分自分みたいな霊ばっかりのところにいて、どうやって自分のエゴや欲望を無くすことが出来る?
なんでも、そうやけど、自分が映っている鏡ばっかり見てても、自分が他の人と違うところが見えないやんか。他の人と接しないと自分が人とどう違うということが分からない。
それと一緒で、肉体という入れ物に入って初めて、霊は他の違うレベルの霊と一緒に仕事が出来るし、交わることも出来る。そしてそうすることによって初めて、同情心が生まれたり、友情が芽生えたり、親切心が湧いてくる。大事なのは、その自分が入っている肉体を使って、他の人たちのために汗をかくことが出来る事なんや。涙を拭ってやることが出来るし、優しい言葉や励ましの言葉をかけてやることも出来る。
また、医療分野などの特別な訓練をしてきた人は、それらの能力を困っている人々のために使うことが出来る。
そういう無私無償の行為を通じて、つまり自分の為にではない行為を通じて、自分というエゴを減らして行くことが出来るんや。
その結果、次の生ではエゴが少なくなり、波動が細かくなって霊的に高いレベルに行けるんや。つまり、神様に一歩近づくことが出来るんや。
だから、大事な点は、何をやるにも自分というものを、一番最後に持ってくる事なんや。
全ての行為を、何の見返りのない行為としてやれば、その人の人生での成功は目に見えている。
だから、俺が真の聖者というか神の化身を探していた時に、ある基準でもって探してたんや。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/28/21bbf3745740ed0e98358968a51c91bb.jpg)
ポニョ:その基準ってなんですか。
ヨシオ:先ほども言ったように、自分というエゴをなくすには、何をやるにも自己犠牲を伴った奉仕をする事って大切なんや。つまり自分というものの優先順位を最後に持って行くんや。だから、その組織や聖者さんが、自己犠牲を伴った無私無償の奉仕をしているか?というのが第一点。もう一つは、会費とか寄付金が強制されるかどうか?最後に、神様のことを愛そのものとして捉えて、その組織が愛で持って運営されているか?というのが自分なりの基準やったな。
ポニョ:それで、あるところでサイババさんの標語を見たんやったな。「全てを愛し、全てに奉仕する」って。
ヨシオ:そうやったな。それから、実際バジャンに参加したり、人と話したりしても、金は徴収されたことはないし、寄付金も強要ではないし、奉仕活動に熱心やし。そこに来てる子供もええ子が多かったな。何より、みんなそこに来てる人たちは自分たちの家族を大事にしてるし、おじいちゃんやおばあちゃんがとても皆から愛情ぶかく接せられてるのを見て嬉しかったな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b4/6e7f44704629172b4b49e66b1756ead1.jpg)
ポニョ:おいらは、何か催し物がある度に、無料の本場の菜食インド料理が出て来るので嬉しかったな。特に、ひよこ豆を使ったカレーの味は絶品やし、その後に出て来るインドの甘いお菓子がまた、手が混んでいて美味しいのなんのって、一度、食べたらやめられへんかったな。ちょっと甘すぎるのもあったけどな。なんでも無料だってのがええやんか。でも、おいらの一番好きなマサラドーサは一度も出て来なかったけど、あれは、南インドでしか食べないんやろか。日本に住んでるインド人は南インドから来た人は少ないのかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e2/f42abe032c7abcbec882fe3e92862afc.jpg)
ヨシオ:食べ物の話はもうこれぐらいでええやろ。そろそろサイババさんの話に行くで。
今日は、昨日のバンを運転していた運転手の話です。
ポニョ:あの、ガソリンタンクが空のまま走った運ちゃんか?
ヨシオ:そうやったな。
ポニョ:それで、あのバン、目的地の家の前でエンストしたよな。でも、そのあとが大変やろ。だってガソリンスタンドまで歩いてガソリンを取りに行かなあかんから。いや、そうでもないか。だって、伴走車があったよな。そこからガソリンを抜き取って入れたらええもんな。でも、なんで今回は、水をガソリンに変える奇跡をされなかったんやろか…。ああそうか。もうサイの帰依者の人が車にガソリンの代わりに水を入れてしまう習慣が出来てしまって、ガソリンが無くなったら水を入れてしまうんや。それでエンジントラブルが多発していっぱい苦情が来たんやろな。
だって、みんなサイババさんがガソリンの代わりに水を入れるのを見過ぎて、車は水で走るものやと思い込んでしまってるんや。おもろいなそれって。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/80/c91e01531c280c0e0a64bf4866f310e8.jpg)
ヨシオ:あの~。もしもし、もう車の心配はせんでもええから、ちょっと静かに願いますかポニョさん。次に進みたいのですが。
サイババさんの一行は、その家を離れ、帰路につきました。途中である村の近くに停車するようにババは言いました。
ババも含めて全員バンから降りて村に向かって歩き始めました。
運転手は、バンから降りるとバンの後ろに回って、嗅ぎタバコを吸い始めました。
その運転手は、今までサイババさんの奇跡の話をたくさん聞いたり、実際、ガソリン無しで車が走るなど、サイババさんの奇跡を自分の目で見てたり、体験したりしても、神さんなんて全く信じていない無神論者だったのです。
ババは、車の裏に回られてその運転手の近くに行かれ、二人だけで話しを始められたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4d/e32a8c772529eed5c9724b3d472ae8be.jpg)
「君の名前は何て言うんだい?」
「クマラサミーという名だよ。」と面倒臭そうに答えました。
「ヴィブティが要るかい?付ければ良いよ」とババは言われました。
「なんでそんな事をしなくてはならないんだよ。ただ、あんは、そういう奇跡と呼ばれるものを見せびらかしたいだけじゃねーのか。」
「君は、ヴァーダを食べたことがあるかい?」
「この世にそれを食べたことがないなんて奴がいたら、一度そいつの顔を拝んでやってもいいぜ。」
「じゃあ、君のお母さんが作ったヴァーダを食べたことがあるかい?」
「スワミ、言っとくけどね、俺には、かかあなんていねえんだよ。」
「ハッハッハ、じゃあ君はどっから生まれたんだ?君は、お母さんが亡くなった時の事を覚えてるの?」
「そんなに。あの時、俺はまだ四歳だったからな。」
「じゃあ、君が二歳半の時に、お母さんがヴァーダを油で揚げていた時に、君がお母さんに甘えてお母さんの首に抱きついたこと覚えてるかい?」
「あのね、俺はもう、四十五歳なんだぜ。なんでそんな昔のガキの頃の事を覚えてられるんだよ。」と言い返しました。するとババは、
「じゃあこれは何なの?」と聞かれると同時に、運転手の右の腕をジャケットの上から触れられたのです。すると、その右腕に電気ショックが走りました。それで、運転手は着ていたジャケットを脱ぎました。
運転手の腕には、大きな火傷の跡が見て取れました。ババは、もう一度その火傷の跡を触れながら、
「君は、その時、お母さんを抱きしめようとしたんだけれど、間違って、腕をオイルが煮立っている鍋の中に浸けてしまったんだ。この火傷の跡はその時に付いたんだよ。」と言われたのです。
それを聞いて、運転手はサイババさんの足に平伏しました。そして、もう立ち上がれないほど子供のように泣き始めたのでした。
運転手は、自分は無神論者だということを自他共に自負していて、友達も自分のような神を信じない友達ばかりと付き合っていました。
でも、今日この日から彼は生まれ変わったのでした。
運転手はずっと泣き続けていました。ババは、運転手を立たせましたが、彼は真っ直ぐ立つことができないくらい泣きじゃくっていたのです。
そして、ババはヴィブティを物質化して彼の額に塗りました。
その後、ババは、彼のポケットから運転免許証を取り出して、運転手の写真の横に同じ大きさの自分の写真を物質化して貼りました。
それを見て、運転手はまたサイババさんの足に平伏しました。
皆が席についた後、サイババさんは、「あっ!日付を入れるのを忘れちゃったよ。」と言ってもう一度その運転免許証の写真に触れると、今日の日付が浮かび上がったのでした。
その後、ババは銀のお守りも物質化され運転手にプレゼントされたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/7c/4963e7842215feeb9bd15894fbcb0631.jpg)
“この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。
愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。
この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。
すべての原子が愛から生まれました。
この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。
信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。
この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。
五元素は愛から生まれました。
すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。
“神を味方に付けたとき、成し遂げられないものはありません。
あらゆる困難と苦しみはたちまちの内に消え去ります。
そのような全能の神が私たちに内在するというのに、なぜ私たちはとるに足らない事を心配する必要があるのでしょう?
愛は困難を克服するための勇気を私たちに与える神の力です。
愛の力で何ごとも成し遂げることができます。
私たちは罪を恐れるべきであって、困難を恐れるべきではありません。28/8/04”
“誰をも憎んではなりません。憎しみはあなたの最悪の敵です。
いったんあなたの中に愛を育めば、憎しみは自然に消え失せます。
敵対しているライバルに出会ったら、愛をもって彼に挨拶をしなさい。
彼もまた、同じ感情を返してくることでしょう。
あなたが他者をまったく愛することなしに、どうして他者からの愛を期待できるでしょうか? 私が実践しているのも、伝えていることも、愛であり愛のみなのです。
愛の力を理解するよう努めなさい。愛はあなたの最も偉大な富です。
誰もその価値を見積もることができません。
神はあなたから何を期待しているのでしょうか?
あなたの愛のみです。
愛は、神があなたに与えたすべてのものに対して、あなたが神に支払わなければならない税金なのです。
https://m.youtube.com/watch?v=ZBVdw0VnqF0
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なんとなくスッキリした気持ちになりました。ありがとうございました。
にくを食べないようになる人工が増えたら、もっと住みやすそうな世になるのかなぁ(^^)
あ、さきほどのとほべつの伺いたいこと…ムセイランはどちらなのでしょう。
いま、鳥の生肉に禁止がはいろうとしていますね。
あと、先ほどのコメント、肉は本来、人体にたべなくてよかったコメントを受け取りちがえていました。
自分の事を最後に持ってくるって偉いですね。なかなか出来ないことだと思いますが、頑張って下さいね。必ず良い事があなたを待っていますよ。