サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

魂に触れる歌(上)

2017-10-06 16:00:03 | 日記
音楽を神に帰融するパスポートとしなさい。音楽は神への捧げものです。23/11/96

ポニョ:サイババさんのお祖父さん、コンダマさんのグルが、コンダマさんに、「地球の女神様が嘆いておられるので、ヴィシュヌ神が人の姿を取って地上に降臨される」と言われたやろ。その同じグルが、シルディのババが赤ん坊の時に、両親に捨てられたけれど、その赤ん坊を拾ったイスラム教徒の修行者ファキールだったのではないかという推測が面白かったな。
確かに二人の聖者の名前は似ているぜよ。という事はコンダマさんのグルはイスラム教徒やったって事なんか?

ヨシオ:イスラム教徒のファキールは、元々は、今のパキスタンやアフガニスタンから来たんや。
彼らはスーフィーと呼ばれるイスラム教の一派で、エゴや欲望、執着心を取り除いて禁欲生活をし、自らの中におられるアッラーの神と融合するという修行をしているんや。

ポニョ:それってサイババさんの教えとよく似ているやないの。そんなイスラム教の一派があったんか。知らなかったぜよ。なんやて?スーッとか、フィーとか言ってたけれど。

ヨシオ:スーフィーや。日本ではイスラム神秘主義とか訳されているけれど、実際は、そんなカルトっぽい一派ではなく、もっと一般の庶民もたくさんメンバーになっているんや。インドではパンジャブやラジャスターンなどのパキスタンに面した北西地方で盛んなんや。
それに彼らは、ヴェーダンタなど、インドの哲学からも深く影響を受けているんや。
ポニョ:イスラム教って聞くと、コーランを中心とした教えを守って生きて行く宗教のようなイメージがあるけれど、スーフィーはもっと霊的な修行をしてアートマを悟るという教えなんやろな。
そういや、プッタパルティの北隣の村の入り口に、小さな手の形をした御守りを埋めたイスラム教の行者もファキールやったぜよ。

ヨシオ:そのファキールは、自分の御守りをとても大事にしていたので、その上を歩いたり、掘り返そうとした人を呪いにかけたんや。

ポニョ:だからその村のたくさんの人たちが病気になったり、背中が曲がったり、妊婦が流産したり、乳児が死んだりしたんやな。人迷惑な話やぜよ。

ヨシオ:このようにファキールって、北西インドから南インドまで広く影響を及ぼしていたんや。

ポニョ:その人達はファキール、またの名をスーフィーと呼ぶイスラム教の一派に属している人たちやったんか。知らんかったな。まるでヒンドゥー教の苦行僧みたいやな。

ヨシオ:コーランを読んでみたら分かるけれど、この世俗世界でどのように生きて行くかという生活規範、社会規範のような事がたくさん書いてあるんや。だから、イスラム教の聖職者って、コーランを学んでいる学者なんや。

ポニョ:でも一日に五回もお祈りを捧げるイスラム教徒の、その信仰心に溢れた姿には心をうつよな。

ヨシオ:俺の友達は敬虔なヒンドゥー教徒で、オーストラリアに移住してすぐに、フリーマントルという街で健康食品店を始めたんや。
俺は、「君は英語もそれほど上手じゃないし、知り合いもいないのに、見知らぬ国に移住した途端、思い切ってそんなビジネスを始めるって偉いな」と言うと、「その健康食品店を売りに出していた人は、敬虔なイスラム教徒やから信用出来るんや。コーランの教えをしっかり守って生きているイスラム教徒は、ボッタクリもしないし、嘘もつかないし、とても信用出来るんや」と言ってたな。

ポニョ:普通、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒って仲が悪いってイメージがあるけれど、そうではないんや。

ヨシオ:仲が悪いイメージを作り出したのは、イギリスを始め西洋社会なんや。元々は一つの国に仲良く住んでいたんや。

ポニョ:それを分割統治って言うんや。大衆を支配するのに、奴らが使っている常套手段やぜよ。バラバラにした方が支配しやすいから。

ヨシオ:さっきの話に戻るけれど、イスラム教の学者たちは、コーランを学ぶだけでは物足りなくなり、内的な目を養い、もっと霊的に深める事をしたいなと考え始めて、瞑想をしたり、また音楽や舞踏、詩などを通じて魂の奥深くにアッラーを求める活動をし始めたんや。見た事があるやろ。セマーというトルコのスーフィーたちが白いスカートのような服を着てクルクル回る踊りを。

ポニョ:その踊りは、ボリウッドの映画で見たぜよ。

ヨシオ:また映画か。本当は一時間ぐらい回って、わざと目を回さして、意識を朦朧とさせて神を体験させるんや。

ポニョ:それって日本の子供たちの遊び、カゴメカゴメに似ているぜよ。子供の頃、鬼になって輪の中に目を覆って座り、友達が手を繋いでクルクルと回りながら、カゴメカゴメの歌を歌っているのを聞いていると、頭がだんだんボーッとなって来て、気持ちが良くなるんや。それに、このカゴメカゴメの歌の歌詞にはたくさんのユダヤの言葉が入っているんやで。カゴメのカゴーってヘブライ語で囲むという意味なんや。そして…

ヨシオ:ポニョが話し出すと、めちゃ脱線するから、ユダヤの話は次回に回して、スーフィーの話に戻すけれど。このスーフィーのムーブメントも、今から五百年ほど前にトルコを中心にしてピークを迎え、いろんなテクニックが紹介されたんや。
例えば、アッラーを求めるには、一定のポーズをしながらアッラーの名前を常に唱えるズィクルと呼ばれる方法。これはナマスマナラに似ているよな。また、自分の犯した過ちを反省し、罪を償い、清く正しい禁欲生活をしながら、自分の心の中の傲慢さ、怒り、嫉妬、強欲、妬みなどの悪い性質を取り除いて行く修行などを始めたんや。彼らは羊の毛から編んだ粗末な服を着ていたので、アラブ語でスーフィーと呼ばれるようになったんや。

ポニョ:ふーん。そうやったんか。でもあんた、イスラム教について結構詳しいよな。サイババさんがあんたの長男さんが、前世の一時期イスラム教徒で名前まで教えてくれたんやろ。

ヨシオ:その名前をイスラム教徒の友達に聞くと、イスラム教の聖職者が付ける名前やったんや。昔から俺も含めて、嫁さんもイスラム建築や音楽などの文化にとても興味があるんや。

ポニョ:長男さんがイスラム教の聖職者やったんやから、あんたらも多分、何生か前の人生でイスラム教徒やったんやろな。

ヨシオ:多分そうやろな。サイババさんの事を知る以前に、子供達を幼稚園に送って行く時、ラジオのスイッチを入れると、イスラム教の音楽が流れて来て、その音楽に惹かれてしまい、曲に余りにも集中し過ぎて車の運転が出来なくなったんや。それで仕方なく、曲を聞き終えるまで道の端に車を止めた事もあったな。

ポニョ:あんたは良い曲が流れて来ると身体が硬直するって言ってたよな。そういう人は、人として生まれ変わる前は鹿だったとサイババさんが言っておられたぜよ。あんたは、顔が長い鹿やったんや。

ヨシオ:顔が長いは余計や。

ポニョ:ところでそのラジオから流れて来た曲はどんな曲やったんや?

ヨシオ:いつか忘れたけれど、このブログで紹介したアリ カーンさんのカッワーリーやったんや。その後、子供達を幼稚園に送ってから、一目散にその曲のCDかカセットテープを買おうと、パース中のミュージックショップに行って、探し求めたんや。あの時はめちゃ嬉しかったな。それからアリさんの曲を毎日聴いていた。

ポニョ:やっぱり何生か前で、あんたもスーフィーやったんやろな。

ヨシオ:そうなんやろな。俺が持っているカーンさんの歌の歌詞は要約すると「私は神を全てのものの中に見ます。あなたは全てに宿っておられます。イスラム教徒は神は聖地におられると言って巡礼の旅に行き、ヒンドゥー教徒は神は神像の中におられると言って様々な神像を礼拝します。でもあなたはそれらに制限されません。どうしてヒンドゥー教徒とイスラム教徒が争わなければいけないのでしょうか?あなたはそれらを全て超越されたお方です。どうかこの世に姿をお現し下さい。至高の神よ。」という意味なんや。それではカーンさんの感動的なQawwali をお聞き下さい。
https://m.youtube.com/watchv=Hgln8m6DFzA
ヨシオ:そのアリ カーンさんもスーフィーなんやで。もう二十年前に亡くなられたけれど、今では甥っ子さんが後を継がれているんや。もちろん伯父さんの歌唱力には劣るけれど、素晴らしい歌唱力やな。

https://m.youtube.com/watch?v=dQN2_hnWiv0
ヨシオ:スーフィーの曲の素晴らしいところは、アッラーを讃えているけれど、全ての宗教の神さんも認めている事なんや。

ポニョ:それって素晴らしいよな。おいらも以前、あんたにアリさんの曲を教えてもらってから何回か聴いたけれど、常にアッラーを讃えながら全身全霊で歌われるやろ。すごい迫力やぜよ。特に最後の盛り上がりがすごいな。

ヨシオ:スーフィーでは、六つぐらいの修行の段階があって、その一番上の段階をファナーと呼び、アッラーと融合出来た人なんや。その人は自他の区別が無く、一切をアッラーの意思に任せ、神の事を思い過ぎてトランス状態になり、肉体を何日も離れてしまう人もいるんやで。
また、アリさんのように熱狂的な音楽によって神の至福を体験するサマーという方法も人気があって、イスラム教徒でなくてもサマーによって至福を体験したいためにスーフィーになる人もいるんや。
サマーと言えば、十年ほど前にデビューされた、ヌーランシスターズという姉妹もすごい迫力やで、まだお若いのに聴衆全員を呑み込んでしまい、コンサート会場の屋根をぶっ飛ばすぐらいの勢いで神さんの歌を歌われるんや。
俺は、最初にこのヌーランシスターズの歌を聞いた時に、アリさんの歌を初めて聞いた時と同じ感覚が蘇って来て、全身が震えて頭が真っ白になってしまったな。
若い娘さんが、全身全霊で声の限りを出して凄いパワーで神さんを讃える姿を見てとても感動したな。
面白いと思ったのは、興奮した聴衆たちが、札束をヌーランシスターズの頭の上からばら撒くんやで。

ポニョ:それって、昔の日本のドサ回りの劇団にもよくやっていたズラ。インドやパキスタン、バングラデシュではまだやっているんか。古き良き時代やな。

ヨシオ:そのヌーランシスターズは、頭の上から吹雪のように舞い落ちて来る札束を一切気にせず、アッラーの名前を叫び続けて歌うんや。

ポニョ:「アッラー困る。アッラー困る。札束いっぱい、アッラーどうしよう」と叫んでいたんやろな。

ヨシオ:うるさい。神さんの名前を冒涜するとバチが当たるぞ。いずれにしてもすごい迫力やで。若い娘二人が、何千人何万人もの人を、神を讃えるコンサートに動員出来るぐらい全身全霊で歌っているんやで。それでは、バングラデシュの首都ダッカで行われたコンサートの様子をご覧下さい。

ポニョ:そんなにすごいんダッカ?
https://m.youtube.com/watch?v=3FFvGW-QSnk

メロディとリズムに注意して、至高の神の御名を歌うことには特別の功徳があります。
至高の神は音楽を愛します。
その上、その歌が熱心に歌われるなら、それは全ての悪い想念を心から追い払うことに役立ちます。
妙なる音楽は至高の神の心を動かし、聞き入る人々を感動させることが出来ます。
~清らかなハートで神の賛美の歌を歌うなら、あなたは環境を、国家を、世界を清めるでしょう。11/4/97


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