サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

感謝の気持ちは愛を育むのだ

2015-11-05 00:00:21 | 日記
あなたは毎日毎日、神の恩寵を享受しています。
神がこれまでずっとあなたのためにし続けている一切に対して、あなたはどのようにして神に感謝を示していますか?
神はあなたに何一つ要求しません。
しかしあなたは、感謝を表すことによって、自分の義務を果たさなくてはなりません。
恩知らずな人間は、残虐な動物より悪いものです。
あなたが人生で活躍できるのは、両親のおかげです。2/4/2003

ポニョ:以前の記事で亡くなった人の中の愛が愛おしくて人は悲しむという話をしたけれど、それって神様は愛やから、その人ではなく、その人の中の神様を愛おしんで悲しむってことにならないか?

ヨシオ:いいところに気が付いたね。実はそうなんだ。ポニョの周りにある全てのものは、実は愛そのものである神様だけなんだよ。その愛そのものである神が、エゴや欲望で制限された肉体やいろんな五大元素で出来た生き物の身体を通じてこの世界に働きかけているんだ。

ポニョ:ちょっとやめてくれますか?その話し方。犬HK教育の理科の実験の番組を思い出すぜよ。

ヨシオ:そうやな。自分でも気持ち悪くなって来た。だから肉体が持っているアートマの光を遮る制限が無ければ、人々の中のアートマの光がその人を通じて輝き始めて、この世界は愛一色の、光り輝く世界になってしまって天国となんら変わらぬ世界になってしまうんや。

ポニョ:それやったら面白く無いよな。天にある天国と地上にある天国っていうか、地上にあるから地国の方が紛らわしくなくてええよな。

ヨシオ:あのな、ややこしいカテゴリーの造語を勝手に作るなよ。何が地国や。余計に地獄と紛らわしいやないか。とにかく俺が言いたいことは、俺たちが見るもの聞くもの全ては実は神様そのものなんやけれど、人が身体やその中にあるカルマが刻まれた霊体を取っている限り、アートマの光が制限されるから、アートマの光が見えずあたかも獣的な性質が人を支配しているように見えるんや。

ポニョ:しかも肉食をすると、殺された動物の霊体を自分の霊体の中に取り込んでしまうから、余計に獣的な性質を身に付けてしまうんやぜよ。

ヨシオ:俺が言いたかったのは、そういう獣的な性質を持った人間が周りにうじゃうじゃいるのが、普通やって言いたいんや。つまりこの世界はわざといろんな霊的レベルの人間がごちゃ混ぜになって住むように作ってあるんや。そしてその中で自分と違うレベルの人間と混じり合う事によって人は他人の気持ちが分かるようになり、同情心や憐憫の心や共に働き共に成長する喜びを味わい、他人や生きとし生けるもののために自らを犠牲にする事によって、自分の獣性をより少なくしていけるようになるんや。そのようにして一歩一歩霊的な階段を上り詰めて神様のところにたどり着けるんや。

ポニョ:と言う事はおいら達は、この世界を見て色々と泣いたり怒ったりして反応するけれど、全ては自分が神様に近づいて行けるように神様が上手くプログラムされた教育の場って事やな。

ヨシオ:だからポニョがグロ襟のやっている事にいちいち頭に来たりする必要は無いって言いたいんや。でももちろん俺たちは人間やから、そういう残酷なシーンを見たり聞いたりしたら頭に来たり、悲しんだりする事もあるけれど、出来るだけそういう事に左右されずに全てを受け入れてクールに物事を見る事が出来ればれば、平安で愛に満ち溢れた人生を歩む事が出来るんや。

ポニョ:と偉そうに言ってる本人の方が、時々おいらより頭に来てるやんか。

ヨシオ:人の事はほっとけ。俺は自戒を込めて言ってるんや。

ポニョ:神への愛は信仰心が無ければ育た無いって言うけれど、その信仰心はどのようにして育て上げたらええんやろな。おいらは、先ず愛があって信仰心が次に来るんじゃないかなと思ったけれど。

ヨシオ:そのように思えるけれど、先ず人生に何が起こっても全てを受け入れるという態度が大切なんや。つまりどんな辛い事が身の回りに起こっても、それは神さんが下さったプレゼントだと感謝するんや。するとその感謝の気持ちが自然に神への愛へと変わって行くんや。

ポニョ:でも苦しみや悲しみを感謝するって大変難しいぜよ。苦しみは苦しみやし、悲しみは悲しいもんなんやぜよ。それが人間を強くするんやぜよ。

ヨシオ:もちろんそうやけれど、悲しみを乗り越えるにはどうするんや?普通の人やったら時間がかかるやろ。俺たちのように霊的な事を知ってれば、悲しみや苦しみが感謝に変わるんや。だからババは世界中の人たちの苦しみや悲しみを、霊的な法則を啓蒙する事によって救い、それらをポジティブな力に変えていく方法を教えておられるんや。

ポニョ:言いたい事は分かるけれどそういう話を聞いてはいそうですね。分かりました。なんて言える人はこの世にいないぜよ。やっぱり感謝の気持ちって自分が何かを得るとかしないと起こって来ないもんやから、先ず人から何か良い事をしてもらったり、いただいたり、何かをして成功したり、褒美をもらったり、あんたの息子みたいにバスケの試合に勝ったりした時に、これらは全て神様からのプレゼントだよ。神様に感謝しなさいね。というところから入らないと、いきなり御主人が亡くなりました。競馬ですった五百万円の借金がある事が分かりました。明日の朝、借金取りやサラ金のヤーさんがやって来て家の家財を取りに来ますよ。と言われた奥さんが、「ありがたい事ですね。私の旦那は死んで素晴らしいものを残してくれました。これらは全て神さんからの贈り物ですよね。嬉しいな。明日が楽しみ。」とはならないやろ。

ヨシオ:ポニョの例は極端なんや。そんな事がどこでも起こるなんて事が無いやろ。

ポニョ:あのね。おいらから言わしてもらったら、あんたの方が常識が無いんやぜよ。大体朝はカンガルーたちと一緒に目を覚まし、夜になるとワライカワセミのバカ笑いと共に床に着く生活を何十年も続けていたら庶民の気持ちなんて分からんような仙人もどきが出来るんやぜよ。

ヨシオ:仙人もどきって俺の事なんか?あのな黙って聞いていたらええ加減にさらせポニョ吉は。俺たちは今、信仰心の話をしてるんやろ。それじゃ聞くけれどポニョがいう普通の人って一体誰やねん?この世の中はいろんな霊的レベルの人たちが混じりあって生活してるんや。だからポニョがいう普通の人と言ってもそれはポニョの想念が反映した普通の人であって、人それぞれによって違うやろ。例えば星やんがここにいたら、星やんはすぐにこう言うやろな。「そうですか?うちの主人が競馬で散財してたんですか?どおりで給料が上がっても家に入れてくれる金が少ないままやった筈やね。でもこうして今世でさんざん好きな事をして欲望を果たしたから、来生は神様の方に向いて生きていってくれるでしょうね。家にあるものは全て神さんの物ですから、明日持っていける物はどんな物でも持って行ってもらっても結構ですよ。私も身が少しは軽くなって気持ちが楽になりますから。」と。

ポニョ:確かに星やんやったらそんな風に言いそうやな。

ヨシオ:このように人によって全然反応が違うのが当たり前なんや。だってこの世の中はいろんな霊的なレベルが違う人たちが混じって住んでいるから。でも星やんみたいな応答が出来る人って、前世から徳を積み上げて来た人でないと無理なんや。ババは「人が死ぬと、その人が生きている間に手に入れた財産や名声や人脈や株券や資産を全て置いて、あの世に旅立って行かないといけない。でも一つだけこの生で得た物で持っていける物がある。それは神への愛や。」とおっしゃった事がある。その神への愛を得るには今まで言ってるように、神への感謝の気持ち無しでは得る事が出来ないんや。何事があっても全て神様からの贈り物だと見なして生きて行けば、神様への愛が心の中で自然に育って生き、その人が死んでもその人が生きている時に育んだ神への愛は星やんのように次の生にまで引き継ぐ事が出来るばかりでなく、神様からの恩寵もより良く受ける事が出来て、一石で二鳥も三鳥も得る事ができるんや。

ポニョ:そういう事なんや。なんとなく分かって来たぜよ。おいらはこの世に縛られすぎているんやろな。

ヨシオ:そういう事や。ポニョも俺も九十歳まで生きれたとしても、もう人生の三分のニは過ぎてしまったやろ。俺はポニョより若い時に不摂生してるから、後二十年も生きたらええ方や。その限られた残りの人生で、一体どれくらいこの生において自分の肉体を使ってこの世界に神様のメッセージを伝える事が出来て、少しでもこの社会に貢献出来るかが俺たちに求められているんや。でも、世俗的な物を追い求めている人達にとっては、彼らの人生が終わるとまるで夢から醒めたように、実は今まで苦労して働いて得た物や貯めた物には、何の価値がある物って一つも無かったなって気付くんや。この世にある姿形を取っている物は全ては幻なんや。
俺たちだって死んで身体を離れれば、俺たちがブログを書いて本にしたりそれを読んで下さっている読者の皆さんや、ポニョが一生懸命苦労して作ったアクアポニックスのシステムなど全ては、実は神様が姿形を変えた物であって自分の物なんて何ひとつ無かったって分かるんや。自分が味わった苦しみや悲しみ、楽しかった事や幸せだった思い出も、実は全て自分が作り出していた物であって、その苦しみや悲しみは死んでもその苦しみを思っている限りその人に付きまとって来るんや。だってそれはただの自分の思いの反映なんや。

自分の周りのある物は全て実は神だけしかなくて、神の愛だけだったのに、それを神と見れずネガティヴな気持ちになったのは自分のせいであって、決して神様のせいや他人のせいではないんや。自分の世の中に対する見方が間違っていた為に、いつまで経っても自分は悲しい出来事に巻き込まれて、苦しんで涙を流している悲劇のヒロインの役を演じなければいけないんや。全ては自分の世界に対する見方の不備からそういう事が起こるんや。この世の中が創造された時には、決してポニョに対して反感を持ったり、傷つけようとしている勢力や人なんて存在していないんや。全ては愛、愛、愛しか存在していないんや。でもポニョがネガティヴの感情を持ち、自分で自分自身を悲劇のヒロインに仕立て上げた途端に、自分のネガティヴな想念が自分に対する敵や加害者を作り上げてしまうんや。自分がせっかく努力して作り上げた物を壊されたと言って投げやりになって人生を諦めたり、一生懸命努力しているのに報われなかったと言って誰かを恨んだり、自分の運のなさを嘆いたりするんや。ポニョにどんな事が起こっても実はカルマの法則が働いていて、全ては起こるべくして起こり、この世には何の偶然や事故もなく神様が計画された、想定通りに物事が運ばれていると悟れば、全ての物事に対して感謝の気持ちしか起こらないんや。だから何事にも感謝の気持ちを持って生きて行けば、神への愛が増して行き、星やんのように素晴らしい人生を神様と共に歩めるようになるんや。

ポニョ:良く分かったぜよ。神への愛を育むには全てに感謝する気持ちが大切なんやな。自分ではいつもそうしているつもりなんやけどな。特に飯を食べる時は。いただきま~すと言うのを生まれてから一回も欠かした事が無いんやけどな。でも、どうしてまだ神を悟れないんやろか?多分心を込めていただきますって言ってないからやろな。そうか。もっと心を込めて言うようにすればええんやな。分かりやんしたでヤンス。これが今日のポニョの収穫でした。

ヨシオ:勝手にしとき。

良い仲間と交わり、良い思いを育てなければなりません。嫉妬心や、怒りや、エゴをもってはいけません。それだけではありません。他の人がしてくれた良いことすべてに対して、感謝の気持ちをもつべきです。感謝はとても大切です。感謝の気持ちのある人は、どこにいても善果を得るでしょう。中には、自分に良いことをしてくれた人たちすら裏切るような人もいます。これは良いことではありません。
自分がしてもらった良いことには、たとえ小さなことでも感謝をすべきです。感謝の気持ちが欠けていれば、あなたの人生はまったく無駄なものとなります。良い性質を育てなさい。どこへ行こうとも、良い思いをもって行動し、すべての人に奉仕しなさい。たとえ自分に敵対する人に出くわしたとしても、挨拶をすべきです。そうすれば、相手も同じように返してくるでしょう。
反対に、もし不遜な態度で話しかければ、相手も不遜な態度を示してくるでしょう。全人生は、反応であり、反映であり、反響です。もし良い結果を手にしたいのであれば、良い生き方をするようにしなさい。一生懸命頑張って、よく勉強すれば、一番のランクの成績を取ることができるでしょう。しかし、もしあまり勉強しないなら、どうやって良い点数を取ることができるでしょうか?あまり勉強もせずに良い点数を取れば、人々はあなたがテストでカンニングしたと疑うかもしれません。あなたが良い点数を取ったのは立派な答案を書いたからだということは、あなたの良心が証明してくれます。ですから、良い行いをして良い状態を体験しなさい。そうして初めて、人としての生は意味のあるものになるのです。人として生を送りなさい。
神に守護を祈る必要はありません。あなたの善良さがあなたを守ってくれるでしょう。あなたの善良さが、あなたの人生の真の支えなのです。7/3/08