タイは敬虔な仏教徒の国。
国の至るところに寺があり、人々は寺を大事にし、僧侶を敬う。
男性のほとんどが、一生のうちに一度は出家し、
人々は高僧に手を合わせ、高僧の教えに従い、高僧の書いた本を読む。
ほこらやお寺の前を通れば立ち止まって手を合わせ、
高僧をかたちどったものを身につけ、日々心に神様を宿している。
僧侶や神様のことを พระ プラッ という。
毎朝、僧侶に喜捨をするタンブンを行うことからタイ人の朝は始まる。
(→ 過去ブログ 「サイバーツ」)
タイ人の多くがプラッを身につけている。
胸に下げている人が多い。
私ももらったことがある。
憧れている高僧のいるお寺に行ってきて、そこで買ってきたプラッを
人にあげるという行為は、タイ人にとってとても親愛のこもった行為で
ありがたい行為なのだが、最初の頃はそれが分からなかった。
僧侶の小さな置物や、僧侶の写真、本をもらってもどうしていいか分からず、
その価値もくれた人の気持ちも分からなかった。
私の家族が来たときに、近所の人がプラッを大事そうにくれたのだが、
その気持ちの大きさを理解できなかった。
日本に帰国しなければならなかったとき、この国に戻ってくれるように
願いを込めてプラッを紐に通し、タイ人のように首にかけて帰った。
それから、私もプラッを身につけるようになった。
こうやったら จี้พระ ジープラッ というんだよ、と先生達が教えてくれた。
ウドンターニーで買った、このプラッ。
身につけていると、「仏教なの?」と嬉しそうに聞かれることがある。
「まあ!きれい!」と声をかけられたり、
「ゲンゲン(上手上手!)タイ人みたいよ。」と言われたり。
そのきっかけになるだけでも嬉しいし、
タイ人と同じことをすることで少しタイ人になっているようで嬉しい。
道を歩けば、あちこちにあるほこら。
ほこらの前でも手を合わせてみる。
タイの人たちの敬う神様が私の心にも宿れるよう
私もタイ人になれるように。