磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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司馬遼太郎が語る雑誌言論一○○年

2007年10月29日 | 読書日記など
『司馬遼太郎が語る雑誌言論一○○年』
   司馬遼太郎、他(著)/中央公論社1998年

この本は、司馬遼太郎が亡くなられた後に出版されたもので、NHKの放送からのテープおこしだという。
それだけではなく、他の有名な人の文章も載せられています。



明治はプロテスタントの時代だったという。下「」引用。

「明治はプロテスタントの時代だった。そうしたプロテスタント意識を、本願寺までが持っていたと思います。」

本願寺も、領地をもっていなかったから、生き残ったという。下「」引用。

「本願寺には領土に頼らず、信徒をもって「田んぼ」としていた。それを福田(ふくでん)といいます。このことにプロテスタントとの類似性を見たのではないでしょうか。本願寺はプロテスタントと同じだと。カトリックには領土があるけれど、おれたちプロテスタントは持ってないと。」

しかし、その福田(ふくでん)をおろそかにしてしまったのが現代ではないでしょうか?

新教はキリシタンではないから、受入れられたという。

芥川龍之介と芸術思想について書かれているのが印象的でした。下「」引用。

「芥川さんは本当に芸術家以外の何ものもなれない、思想的体質にはほど遠いところにいた人だと思います。しかし、どんどん若い人たちが新しい思想を身につけてゆく。むろん、その思想のなかに芸術思想も入っていますけれども、すべて外からくる。」

石橋湛山の植民地は、むしろ経済的に損だということを日本国民が耳を傾けていたら、あんなひどい戦争は起こらなかっただろうとボクも思います。

今も、原発のことでは、高木仁三郎に耳を傾けない政治家が多いのには失望感でいっぱいです。

もくじ


「ああ増税!」幸徳秋水という文章を掲載されています。下「」引用。

「彼ら議会政党はいまやことこどく「戦争のため」てふ一語に麻酔して、その常識をすて、その理性をなげうち、しかして全くその議会政党たる所以(ゆえん)の精神能力を遺却して、単に一個の器械となりおわれるを見るなり。何の器械ぞや。いわく増税の器械がこれなり。しかして政府者は、巧みに這箇(しゃこ)の便利たる自動器械を使用せり、しかして六千余円の荷税はたちまち吾人の頭上に課せられる。」

古今東西、戦争をすすめられては、税金があがるでしょうね……。

「非戦論の原理」内村鑑三の文章。下「」引用。

「戦争は廃(や)まります。かならずやまります。これは私ども非戦主義者が非戦論をとなうからではありません。神がこれを命じ、天然がこれを要求しますゆえに、ついにかならず廃まります。もし進化の理が今日ただちに無に帰するものならばいざ知らず、宇宙と人類とがその今日まで取り来りし経路によって進みますならば、戦争はついにかならず廃まります。」

今も、こんな文章を信じておられたら、あきれますね。
--今のアメリカをみれば、戦争が終わるような社会システムではないのです。
平和にしようと思えば、社会システムさえも変えなければいけないのです。
こんな思想をもっておられたら、きっと神様もお困りでしょうね……。

司馬遼太郎は新島襄を尊敬しているという。
同志社大学のために 字を書いてくださいというと、司馬は新島襄の遺言の中から「倜儻不羅(てきとうふき)」という四文字をしたためという。

「倜儻」というのは、自分の考えをしっかり持つこと。
「不羅」とは、他人に御せられない人。

いつものことと関係のない人物のことですね。










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