磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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軍国主義の歴史I 封建騎士団から大衆軍隊へ

2009年12月02日 | 読書日記など
『軍国主義の歴史I 封建騎士団から大衆軍隊へ 叢書ヌヴェラージュ』
   アルフレート・ファークツ(著)/
     望田幸男(訳)/福村出版1973年

原書名 A history of militarism



用語の発生はフランス。下「」引用。

「ところで軍事的方法と軍国主義的方法とは、軍隊による人間と器材の利用にあたっての別々の異なった二つの側面である、ということが十分に理解されたのは、最近のことである。すなわちまずフランス第二帝政期に、政治闘争の過程で「ミリタリズム」という言葉が発生し、帝政にたいする共和主義敵および社会主義的反対派によって、同時代人による概念である「帝国主義」と同じようにもちいられた。-略-」

共産主義、教会組織も利用してきた。下「」引用。

「軍事的諸制度や軍紀は、それらの直接的効用やロマンティックな連想にとどまらず、産業主義下の個々の雇主や管理者にとっての、遂にはファシズムやコミュニズムによって創出された秩序にとっての一大モデルとなってきた。ある意味で救世軍ですら、宗教的博愛主義のために軍事的本能を把握しようとする試みを示している。また種々の教会も、軍事的な形態と心的傾向とを利用してきた。たとえばイエズス会は、当初から軍事的制度を模倣し、ミリタリズムのなかの非キリスト教的特質--決闘のような--を許容してきた。-略-さらに聖母被昇天修道会(-略-)が、一八五○年に創設されたが、それは一八八○年代に軍人の助けをかりて、「教会の支配領域」を保持し拡大すべく、キリストの勢力範囲拡大という目的で再組織された。-略-」

プロシアも。下「」引用。

「この時代には、プロシアにおいてすら軍事的ナショナリズムの信奉者があらわれていた。プロシアですからといったのは、ブルジョアジーは、プロシアの特殊利益とあいまいな穏和な世界主義との間を気楽にただよっていたからであり、また当時の軍制は、たてまえとしては一七九二年の一般徴兵制度の基礎のうえに立っていたけれども、まだブルジョアジーは兵役免除を享受していたからである。」

老軍人ゲオルク・ハインリヒ・フォン・ベーレンホルスト(1733-1814)は匿名で出版『戦争技術とその進歩・矛盾・信頼性とに関する考察』。下「」引用。

「それは最初のフランス戦争の勝利が達成されたとき、書きおろされていた。当時「ルールにもとづく人殺しの科学」--彼はこうよんだが--は、新しい段階にはいっていた。ブルジョアジーは、そのミリタリズムらついてのブルジョアジーに警告しても、時すでにおそく、ブルジョアジーは、そのミリタリズムにとりつかれ、ほどなくブリュメール一八日のクーデターが刊行され、もはやいかなる抗議の声も聞かれなかったからである。-略-」

ナポレオンと諸政府。下「」引用。

「フランスに対抗していた諸政府の課題は、革命的なナポレオン軍の大衆軍隊に、たとえ性質は異なっていても、効力においては同一の熱情によって鼓吹された大衆軍隊を、しかもそれを革命をともなわず、いかに形成するかにあった。イギリス、ロシア、オーストリア、プロシアの支配層は、恐怖政治の光景に恐れおののき、また彼ら自身の国において、このような階級的激変がくりかえされはしないかということを、なによりも恐れていた。しかし、そうであったけれども彼らは、あまりに多くの自由を容認することなく、また革命という病菌に戸口をあまりに広く開くこともなく、新しい軍事力を打ち立てるという問題を熟慮した。-略-」 

日本もフランスから学びましたね……。









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