磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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美空ひばり平和をうたう

2006年08月23日 | 読書日記など
『美空ひばり平和をうたう』
       小笠原和彦・著/時潮社2006年

この時の美空ひばりの歌はよかったです。
ひばりさんのファンだったなあー。



広島平和音楽祭に二回出演されたことがあるそうです。下「」引用。

「あのね、一九七四年の第一回広島平和音楽祭で、ひばりさんは『一本の鉛筆』という曲をうたったんだよ。それだけではなくて、第一五回でもうたっている。それはもう晩年で、楽屋にベッドを持ち込んでうたっているんだよ」

ボクもテレビで見た記憶があります。

美空ひばりは反戦歌を三曲うたっているそうです。
・一本の鉛筆
・八月五日の夜だった
・白い勲章


音楽関係者がすべて反戦かといえば、そうではありませんね。

戦争賛美者の方が多かった時代もありますね。下「」引用。

「歌謡曲の世界にも、戦争賛美者もいたし、軍部や官憲の鼻息をうかがって「誰々が自由主義者だ」と告げ口し、得意になって、かつての仲間の追放に協力した卑劣なオポチュニストもいたが、私は戦争にはほとんど協力しなかったが、すべては悪夢であったのだ。」

この本には書かれてありませんが、山田耕筰はいろいろと書かれてもいますね。

そういえば、弟の問題で、
大変だった時期がありましたね。

「親子でカユをすすっても生きていこうと思っています」
と美空ひばりはロックしていましたね。
日本だったら、演歌していましたね。


広島平和音楽祭に出演することが決まり、
広島県の被爆者14団体が広島テレビに抗議。


美空ひばりは横浜大空襲にあい、戦争を憎んでいたという。

美空ひばりは援助などもしていたという。
日赤金色有功賞を受賞。

広島テレビの要請により、広島平和音楽祭に出演したそうです。


美空ひばりのテレビ番組でも語られていたことです。下「」引用。

「控え室がなくて、選手のたまり場みたいなところがありますよね。そこに氷柱が立っていて、ひばりさんはそこから動かないんですよ。みんは暑いので部屋に帰ろうよ、と話しているときに、ひばりさんが『広島の人たちは、もっと暑かったのよね』とぽっと誰にいうともなくいったんですよ。それでまわりの人たちが、そこから動けなくなってしまったんです。ぼくはひばりさんのそのような言葉の端々から、戦争がイヤだということを感じとったんです。」


平和運動というのは、
当たり前のことだボクは思う。

正義でもなければ、
清いものでもない。

イデオロギー以前の
問題だと思う。

人道といってもいいと思う。





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