磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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中華文化大革命博物館 上巻・下巻

2007年04月21日 | 読書日記など
『中華文化大革命博物館・上巻』
  楊克林(編著)/樋口裕子、望月暢子(訳)/柏書房1996年

ネット検索していて、このタイトルを発見。こんな博物館があったのかと驚く……。政府に都合の悪い博物館があるなんて、中国は民主的な国だったのだろうかと、手にとった本である……。



しかし、読んでみればこんな博物館はない! 博物館は作りたいが当局は許さないという感じでした。

この本を読んでいて、まるで「四人組」を倒した人たちが正義のようである。

でも、事実は多くの人たちは、毛沢東の下で、残忍なこと非人道的なことをされてきた人たちがいるのではないでしょうか?

この本を読んでいて、一番に思うこと。この本にも書かれてありましたが、第二の「文革」が起きても何の不思議はないということ。

ドイツのように、中国もありえていない。

その違いは「体験主義」と「歴史重視」の違いと思える。「体験主義」は主観によって行動するきらいがある……。それは我が国もどうやら、退化してきているようであることは否めない……。

自らの「体験」ですべてのことが決っているような人たちがけっこうおられます……。客観的ではなく、主観的なことばかりの人もおられます……。

しかし、この本を読む価値は多いにあると思います。下「」引用。

「人それぞれ経験は異ろうとも、「牛小屋」を「天国」に描く人はいないだろうし、残虐非道な殺戮を「プロレタリア階級の大革命」だと言う人もいないはずだ。たとえ考え方は必ずしもみな同じではなくとも、我が国に二度と再び「文革」を起さないという共通の決意を我々はもっている。」

マスコミは文革でも手先になっていたようです。下「」引用。

「ラジオでは某省・市の指導幹部が「精神汚染一掃」問題について演説を行なうのを毎日放送し、テレビ画面では文芸家が交替で視聴者に向って精神汚染一掃の決意を表明している。」

どちらが精神汚染していたのやら……。

二度めの文革は起きなかったのは幸運だったようであるという。
それは、なぜかといえば「「文革」で利益を得た人がたくさんいるからである。……」」という。

反右派闘争というのがあったそうです。下「」引用。

「全党で「反右派」闘争が展開される。その結果、中央から末端に至るまで、民主的な生活が破壊され、党内外の人々が右翼日和見主義分子に区分され、共産化の風はいよいよ吹き荒れ、国民経済全体が深刻な苦境に陥り、全国的な大飢饉が人為的にもたらされたのである。」



『中華文化大革命博物館・下巻』
  楊克林(編著)/樋口裕子、望月暢子(訳)/柏書房1996年

文革の十年とは? 下「」引用。

「文革の10年間には、少数の公式的、教条主義的な文芸作品が生れたにすぎない。文革によってもたらされた物質的精神的な損失ははかり知れないものであり、それは人類の優れた文化すべてに対する大きな試練であったといえよう。」

そして変化が……。下「」引用。

「1976年9月9日に毛沢東が死去したのち、「四人組」とその全国各地の追随者たちは、国家指導権奪取の歩調を早めた。この歴史の重大な分かれ目で、葉剣英や華国鋒等は-略-、すなわち先に手を下して敵を制することに決めた。周到な準備を経た76年10月6日の夜、彼らは広範な人民の利益を代表して、江青、張春橋、姚文元、王洪文等を一斉に逮捕し、「四人組」粉砕の凱歌をあげた。この果敢な行動は中国の歴史に新しいページを開かせ、いわゆる「文化大革命十年の災禍」の終結を宣告した。」

今も中国では「体験主義」……。

日本もそれに対抗して「体験主義」の人たちが増えています……。

歴史を重視できる大人は少なくなってきている感じをうけて、あきれかえっています。

博物館が中国でできないならば、インターネットでつくっていただきたい!

この本には、ポスターや表などは中国語のまま、語学の苦手なボクは理解できなかった……。










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